7 もっとも大きな美徳
ひどい熱を出してうなされるノスリの額に、水で絞った手拭いを乗せ、体を乾いた手拭いで拭く。ひどい汗だ。でもこれだけ汗をかけばすぐ熱もおさまるような気もする。
モズがまた先生を呼んできてくれた。先生は寝間着に着替えようとしていたところらしい。迷惑そうな顔をして、
「熱い風呂には入れたか?」
とこちらを見てきた。
「さすがにこの状態で熱い風呂に入ったら具合を悪くするでしょうよ、先生ったら」
ヒワが軽くあしらう。先生はかっかっかと笑って、
「それもそうだ。熱さましの薬草を煎じて、喉が渇いたって言うたびに飲ませなさい。ほら」
と、薬草の干したのを渡してくれた。さっそくヒワが薬草を煎じた。先生は帰っていった。
「救国の英雄も病気になるんだねえ……」
モズがのどかに言う。それをヒワが肘で小突く。
「ノスリ様、喉は渇いちゃいませんか」
「水……が、飲みたい」
「水じゃなくて、もっとよく効くお薬ならあります」
「わかった」
ノスリはゆっくり体を起こして、ヒワから薬の入ったカップを受け取ると、ごくごくと飲んだ。褐色の喉が上下する。
ノスリはひとつため息をついて、
「……死ぬかと思った」
とつぶやいた。
◇◇◇◇
アロト村はとてものどかなところだった。
人族の国の農村と違って、小さいながらも手習場があり、子供たちは午前中そこで勉強してから家の仕事を手伝っているようだ。
主に麦が穫れるところらしい。他にも、いろいろな野菜や果物が作られ、牛や馬や豚や羊や鶏が飼われている。
こういうところで、ノスリとひっそり暮らせたら、どれだけ幸せだろう。わたしはそう夢想した。
ノスリは熱を出した3日後から、先生に働いて構わないというお墨付きをもらい、農作業を手伝い始めた。わたしはわたしでヒワに編み物を教えてもらい、簡単な帽子やポットカバーから作り始めた。
「脚がないってのは不便そうですね」
「でも生まれつきなので、脚のある人の暮らしがどんなものか、さっぱりわからないのです」
「そういうものですか。ずっと北の土地には機械で体のパーツをこさえてくれる職人がいるって聞いたことがあるけれど」
「へえ……」
そんな職人がいるのか。ならなぜわたしの父はその職人にわたしの脚を頼まなかったのだろう。人族ごときが手に入れられるものでなかったのだろうか。
「おい見ろ! でっかいカマキリがいたぞ!」
ノスリが明るい顔をして、手になにやらおっかない顔の虫を掴んで駆け寄ってくる。
「い、いらない! 逃がしてあげて! 可哀想だから!」
ノスリはケラケラと笑うと、その虫を逃がした。虫はああ迷惑だった、と言わんばかりの態度で飛んでいった。
こういう平和は、いつまで続くのだろう。
ある日、なにやら村の外から大きな音がして、何事だろうとモズが様子を見に行き、慌てて戻ってきた。
「大変だ。軍がこの村にきた。おそらくノスリ様とトリノコ様を探している」
「軍隊は執拗だから地下倉庫まで調べるはずです。隠れても無駄。今のうちに急いで逃げてください。こっちで時間を稼ぐから。あとこれ」
ヒワは焼きたての焼き菓子を渡してきた。
「冷めてしっとりしたら食べごろです。栄養ぎっしりだからちょっとずつ食べて」
「ありがとう、ヒワさん。それからモズさん。お世話になりました」
「ありがとう。いつか必ず礼をする。いこう、トリノコ」
ノスリはわたしを例によって小脇に抱えると、ヒワとモズの家の勝手口を出た。細い水路があって、ヒワはよくここで野菜を洗ったり風呂の水を汲んだりしていた。
それを辿ると、村を囲う柵の切れ目に出た。さらに進むと泉がこんこんと湧いている。
「きれいな水だ。汲んでおこう」
ノスリが水筒に水を汲む。
「トリノコ、喉は渇かないか?」
「渇かない……けど、ノスリの水筒に口をつけて飲んだら、それって口付けしてるのと同じことになるんじゃないの?」
ノスリはなぜかぼっと赤面した。
つられてわたしも赤面した。
「顔を赤くしてる場合じゃないな。急いで村から離れないと」
ノスリはわたしをまた小脇に抱えて歩き出した。飛ぶと真っ白い翼のせいで目立ってしまうのだ。
「ノスリは軍人なのに、軍事政権をよしとしなかったのはなんで?」
「果たしてそれが本当に、人々にとってよいものなのか考えた。軍事政権となれば軍部への批判は取り締られ、言論統制が行われ、人々は自由を失うだろう。それは俺たち軍人も同じく、だ」
「ノスリは自由でいたかったんだね」
「おう。自由であるということは翼人族のもっとも大きな美徳だ、と孤児院で教わった」
そうか。ノスリがそう思うなら、それでいい。
森のなかをどんどん進みながら、
「ノスリのいちばん大きい目標ってなに?」
と尋ねてみる。
「そうだなあ……だれもが正しい自由を全うできる国を作ることだ」
と、ノスリは答えた。とてもとても大きな目標だ。
「そのためなら、いまは力を溜める段階だが、いずれ将軍を倒し、この国を奪還するつもりでいる。俺は軍人だが、それ以前に本質は英雄だ」
途方もなく、大きな夢、いや目標だった。
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