6 わたしの英雄

 ノスリが撃たれて、地面に墜落したとき、わたしは死を覚悟した。足元にはきっと軍隊がいて、ノスリを離反の罪で捕らえ、わたしも同じように処分されるだろうと思ったからだ。


 墜落の瞬間、ノスリは受け身をとってわたしの下に滑り込んだ。わたしは抱き止められるようにして、地面への激突を免れた。

 しかしノスリはそのまま気絶した。これではすぐ捕まってしまう。ノスリ、起きて、とノスリを揺さぶろうとして、もし頭を打っていたら揺するのは悪手だと、手を引っ込めた。


 心臓は激しく鼓動し、両目からぼろぼろと涙が溢れる。

 ノスリ。わたしの英雄。わたしをあの狭い城から助け出してくれた、わたしの英雄……。


「どうされましたー?」

 のどかな声が聞こえて、顔を上げると一台の荷馬車が歩いてくるところだった。御者台には、質素ななりの若い女の子が乗っている。


「怪我して墜落して気絶したんです」


「わあ、それは大変。あたしの家で手当てしましょう」

 若い女の子は御者台を降りて、ノスリをどっこいしょと担ぎあげた。怪力だ。そのまま荷馬車の積荷である干し草の山にノスリとわたしを乗せて、街道を進んでいく。


「ありがとう存じます。あなたは?」


「しっ。この先は検問です」


 あわてて干し草に隠れる。若い女の子は検問の兵士に焼き菓子を賄賂として渡し、そのまま通り抜けた。焼き菓子が賄賂になるとは、どれだけおいしいのだろう。


「さて……都で手配書が配られていましたよ。ノスリ様とトリノコ様ですよね」


 若い女の子はそう言うと、わたしに焼き菓子を差し出してきた。果物がふんだんに練り込まれた記事をこんがりしっとりと焼いたものだ。口に運ぶとじわりと甘い。


「そうです。都から逃げる道中、撃ち落とされました」


「お可哀想に。救国の英雄を撃ち落とすんだからこの国はどんどん狂っていく。あ、あたしはヒワです。この先のアロト村で農業をしているものです」


「農業ですか」


「はい。まあ要するに百姓ですよ。お国に搾取される立場の。あいにくとおいしい食べ物で救国の英雄と異国の姫君をもてなすことはできません。いまさっき年貢を納めてきた帰りですので」


「年貢。翼人族の国にもあるんですね」


「ええ。お上は百姓から搾り上げることで国家の経営を舵取りしているので。さあ、もうじき着きますよ」


 体を起こす。ノスリの頬に触れると、ノスリはゆっくり目を開いて、


「ここは……どこだ?」


 と、首を動かした。


「親切な方が助けてくださいました。手当ても受けられるそうです」


「そうか。石火矢というのは当たると痛いんだな」


 なにをそんな当たり前のことを言っているんだ。そう思っているうちに、背の高い柵に囲われた農村へと荷馬車は入っていった。


「ヒワ! 都はどうだったんだい?」


 若い男性の声だ。


「どうだったもなにもいつも通りさ。そうだ、先生を呼んでおくれよ。怪我人を拾ってきたんだ」


 ヒワは干し草――どうやら穀物の、実の部分を取り除いたものらしい――を取り除けた。まもなく農村に似つかわしくないヒゲの老紳士が現れて、ノスリの翼の傷を診てくれた。


「この程度の傷ならちゃんと食べてちゃんと寝て、ちゃんと熱い風呂に入ってれば半月ほどで治る」


 ぞんざいな診断である。でもヒゲの老紳士、先生と呼ばれているので医師だろう、その人物はちゃんと薬も出してくれた。意外とちゃんとした医師のようだ。


 ヒワがわたしたちを家に入れてくれることになった。

 ヒワに声をかけた若者はヒワの兄でモズというらしく、やっぱりわたしを小脇に抱えて家まで運んでくれたのだった。


 ノスリは顔を歪めている。そりゃそうだろう、石火矢で撃たれたのだから。


 簡単なスープと野鳥の肉の燻製、それからパンが出てきた。

「まあお食べよ。食べないことには治るもんも治らないって先生に言われるよ」


「かたじけない。それでは遠慮なく、いただきます」


「いただきます」


 質素な食事ではあったが、お腹がすっかり満足して、だんだん眠たくなってきてしまった。


 それでも訊かねばならないことがある。


「なんで指名手配のこのひとを助けてくれたんですか?」


「ここいらの辺境だと、魔物がとにかく悪さをしてたんですよ。でもノスリ様が魔王を討伐したことで、魔物は出なくなって農業は大助かりってわけで、恩しかないんですよ」


 そうなのか。


「軍事政権がどうだって噂を都で小耳に挟んだけど、だれが王様になっても百姓のやることは変わらないですからね」


「軍事政権って、王陛下が身罷ったのは軍部のクーデターかなにかなのか?」


 モズが目を見開く。


「どうもそうらしいよ。それで、ノスリ様は政治の才能のない軍部に見切りをつけて抜けようとしてこうなった、ってわけですよね?」


「その通りです」


 このヒワという女性はとても聡明なひとのようだ。


「しかしなんで墜落したとき軍は来なかったんだろう」


 ノスリが考えこむ。ヒワが、


「おおかた仕留めたと思ったんじゃないですか? 翼を撃ち抜いたとき、心臓を撃ち抜いたと勘違いでもしたんですよ、きっと」


 と、肩をすくめてみせた。


 しばらくヒワとモズの家の世話になることが決まったが、その日の晩ノスリはひどい熱を出した。

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