5 ノスリがそれでいいなら
そういうわけで、わたしはノスリの育った孤児院の片隅で暮らすことになった。
食事の時間やお茶の時間、お風呂の時間になると、先生たちがわたしを抱えて移動してくれる。
これは翼人族のこだわりなのだろうか、と思うのが、先生たちもわたしを小脇に抱えて運ぶことだ。ノスリもそうしていたのだが、まるで自分が子豚になったみたいで落ち着かない。
この孤児院には院長先生のほかに3人先生がいて、その先生たちもたいへんよくしてくださる。わたしはそもそも小さな子供ではないので、先生たちがちゃんと大人として扱ってくださるのが素晴らしいと思う。
わたしはいちおう今年で17になる。生まれてからそれだけの長い間、存在を隠匿されていたというのは、やはり恐ろしいことだ。
その境遇も、先生たちや子供たちも理解してくれて、親愛の情を込めて「トリノコ様」と呼んでくれる。「様」は大袈裟な気もするが、いちおうこちらの国では公的な身分にあるということなのだろう。
そして、「トリノコ様」と呼ばれるたびに、わたしは名前を得たのだ、と嬉しくなる。
ノスリはどうしているだろう。白い翼の、わたしの英雄。
ノスリはちっとも手紙をよこさないし、顔も見せないし、本当に一緒に暮らせる日がくるのか、さっぱりわからない。
ある日、お茶の時間にコーヒーなるおいしい飲み物と薄焼きのクレープとクリームを重ねたケーキを食べていると、院長先生が慌ただしく入ってきた。
「どうなさったんですか?」
「王陛下が、身罷られた」
王が身罷ったというのは、大きな事件ではないか。でもなぜ? 新聞を読むかぎりでは翼人族の王は健康そうだったし、実際に戦場に出ているわけでもない。
「軍部のクーデターだ……将軍が剣でひと突きに殺したそうだ。軍事政権の発足を目論んでいるらしい」
翼人族の国みたいに豊かなところでも、そういうことは起きるのか。歴史書で読んだ人族の歴史にもよくそういうことがあったな、と思い出す。
「これは人族との戦争が決定的になったと思っていいだろう。軍部は最初から戦争をする気でいた。王陛下は今ひとつ気乗りしない顔をなさっていたらしいから」
「わたしが人質に行っていれば、解決したことなのでしょうか?」
「トリノコ様はなんにも悪くない。しかし……トリノコ様において大事なのは、ここでノスリがどう動くかでしょう」
そうか、ノスリは戦士である前に軍人であった。
お茶の時間のあと、眠れないで天井を見つめた。どうもあのコーヒーというものを飲むと眠れなくなる気がする。
ノスリも、将軍の打ち立てた軍事政権に関わるのだろうか。
ノスリが、地上に爆弾を投げたり、わたしの父の首級をあげたりするのだろうか。
父は嫌いだが、それはちょっといやだな、と思った。
◇◇◇◇
それから少しして、孤児院にノスリがやってきた。子供たちの歓声で、ああノスリが来たんだな、ということはすぐわかった。嬉しくて走っていきたいと思ったけれどわたしには歩くすべがない。
でもいつぞやの湖畔を思えば痛いことなどなにもない。体を両腕で引きずり、ノスリのほうに近づいていく。
「トリノコ様!」
先生の1人がやっとわたしに気づいた。抱え上げられてノスリの前に向かう。
「ノスリ、あなたも軍事政権に関わるの?」
「いや。将軍は軍人としては一流だが政治の才能がカケラもない。おそらく失敗するだろう。だからその前に軍属を抜けようと思ったんだが、それもできなくてとりあえず逃げてきた」
ノスリにも逃げ出すということがあるのか。ちょっと面白く思う。
「だからトリノコ、一緒に来てくれないか。一緒に田舎で隠れて暮らそう」
「わかった。ノスリがそれでいいなら」
わたしは頷いた。ノスリは真っ白い歯をみせて笑っている。きっと大丈夫だ。
「トリノコ様とノスリにいちゃんはアベックなのか?」
と、小さな子供に訊かれた。
「おう。相思相愛だ」
そういうことを恥ずかしげもなくさらっというノスリはすごいなあと思う一方、そういうガサツなところがあるから初めて行く王宮の案内されていない部屋に入るんだよなあ……とも思った。
「アベック! アベック!」
子供たちは楽しそうにしているわけだが、どこに2人で平和に暮らせる場所などあるのだろう。
軍部は英雄であるノスリを手放そうとは思わないはずだ。事実ノスリならひとりで人族の王宮に乗り込んで、王の首級をあげることだってできるだろう。
とにかく何も知らないわたしが考えているよりノスリの考えに従うほうが賢明だ、と信じることにした。ノスリはわたしを紐で体にくくって抱きしめて、バサバサと羽撃いて空を弾丸のように駆け抜けた。
空が青い。王宮の窓からしか知らなかったけれど、もっとずっと青い。その青いなかを、ノスリはまっすぐ飛んでいく。
どこにいくのだろう。
そこは安全だろうか。
そこは平和だろうか。
次第に都セネイから離れていくのがわかる。のどかな田園地帯が広がっている。もう軍部に追われることはあるまい――
ぱぁん、と銃声がして、鮮血が飛び散った。
ノスリの真っ白い翼から、血が滴っている。翼を石火矢で撃ち抜かれたのだ。
ノスリは羽撃こうとしたが、なすすべなく墜落していく。だめだ、もう終わりだ……。
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