3 広すぎてめまいがする
「くるのが、遅い!」
「ハハハ、すまんすまん。上とゴタゴタ揉めているうちにこういうことになった。やっても構わんがそれならば北方の蛮族を平定しろとな。相変わらず翼人族もまあまあ愚かな民族だ」
そういうふうに爽やかに言われたら、納得せざるを得ないではないか。
ノスリは片手で座敷牢をこじ開けた。どういう怪力だ。そのままわたしをひょいと担ぎあげて、ノスリは遠くに射掛けられた矢のように飛んでいく。
この比喩が正しいかはわからない。本で読んだことがあるだけだからだ。
すでに城は混乱しているようだった。兵士や騎士が慌ただしく走り回り、ノスリを、わたしごと撃ち落とそうと石火矢を構えている。
「おーおーおっかない。人族は恐ろしい武器を使う」
ノスリの声は風のなかでもハッキリと聞こえる。それがきっと翼人族の声の特徴なのではないかな、とわたしは思った。
わたしのほうはしゃべるにしゃべれなくて、というかすごい風が体に吹きつけて、とてもとてもしゃべるなど無理だった。ただただ、ノスリの羽撃きを聞きながら、城から遠ざかる世界を見つめていた。
城というのが、いかに小さいものだったのか、とてもとてもよくわかった。
そして、外の世界が、いかに、いかに広いものであるか、わたしはノスリに抱えられて、見下ろしていた。
これでまだ世界のごく一部に過ぎない。あまりにも世界は広い。ちょっと頭がクラクラする。
ノスリは静かな湖のそばに降り立ち、わたしを抱え直した。
「どうだ? 外の世界は」
「広すぎてめまいがする」
ノスリはおかしそうに笑う。
「こんなのまだ一部分も一部分だ。山脈を越えれば砂漠があって、その向こうは海だ。海を見たことはあるか?」
「あると思う?」
ノスリは陽気な顔をしていた。こちらも思わず表情が緩む。
「緩んでる場合じゃないな。早いとこズクの遺骨を回収して翼人族の国に戻らないと」
「……ズク?」
「ああ。お前の城に仕えていた下男だ。翼人族の間者だよ」
「翼がないのに?」
「間者になるために翼を引きちぎったんだ」
単純に、恐ろしいと思った。
「恐ろしいと思っているだろう」
「なんでわかるの?」
「だれでもそう思うだろうからだ。さて……この湖の近くに無縁塚があると聞いていたが」
そう言ってノスリはわたしを地面にそっと下ろした。
「あっ、待って。置いていかないで」
「すぐ戻るよ。大丈夫。お前んとこの兵士だって、まさかここに来ているとは思うまいよ」
それはその通り、なのだが。
ノスリはつかつかと去っていく。どうにか追いかけたくて、頑張って這っていく。
痛い。シンプルに痛い。石がゴツゴツするし砂がジャリジャリする。脚の生えるべきところはどんどん傷だらけになり、手もボロボロだ。
「……おいおい。なんでそんなことをする」
「置いていかれたく、ないから……それに、ズクはずっとわたしの面倒を見てくれたし……」
「わかった。困ったやつだな」
ノスリはわたしをひょい、と小脇に抱えた。完全に子豚かなんかを運ぶていだ。
逞しい腕には傷跡がたくさんある。この人は戦士だ。いつ果てるとも知れぬ戦士だ。
「どうした、トリノコ」
「戦士なのね」
「そうだ。だからトリノコを助けられた」
「うん。でも、戦士はいつ死ぬかわからない」
「そうだな」
ノスリは黙って、無縁塚に近づいていった。無縁塚。名前は知っている。弔う人のない亡骸を葬るところ。城の使用人の大半がここに葬られる。
「集まれ」
ノスリは手をかかげた。
それは明らかに魔法とは違う仕組みで動く力だった。ズクの遺骨が小鳥のように羽ばたいて集まる。
その遺骨は人間のそれと変わらないように見えた。それこそ、ズクに背負われて城の図書室で読み漁った解剖学の本で見た、人族の骨と同じだ。
「人族の骨とおんなじ」
「もとが同じ生き物だからだ。翼が生えてるのはおまけみたいなものだな」
「おまけ?」
「お前、商店でお釣りのついでに駄菓子をもらったこと……ないのか」
「ない。それにそこじゃなくて、翼人族の本性は翼にあると思ってた」
「そうか。翼人族の翼は、意志が凝固したものだ。翼人族の始祖は、空を飛びたいとただただ願った。そして翼が生えてきたんだ」
「その理屈ならわたしにも脚が生えなきゃおかしいんじゃない?」
「それは確かにそうだな。でも始祖の時代は、いまより願いが叶いやすかったらしい」
ノスリはそんなことを言い、
「共にこい」
と、また魔法に似た力を使った。するとズクの遺骨はかたまりになって、ふわりと浮かんだ。
「行こう。しっかりつかまってろ。それだけじゃ危ないから紐で繋ごうか」
ノスリはわたしの体と自分の体を紐で繋ぎ、しっかりと、ぎゅっとわたしを抱きしめて、その真っ白い翼を大きく、大きく広げた。
みるみる、湖が小さくなっていく。
ノスリの肩に回した手が震える。
「怖いのか」
頷いた。ノスリは、
「大丈夫だ。もうすぐ、翼人族の国に着く」と、ハッキリとそう言った。
そして、「もうすぐ」とノスリが言ってからだいぶ経って、なにやら賑やかな街のようなところに出た。街、というものをわたしは本でしか知らないわけだが、そこはとても栄えていて、ノスリが戻ってきたのを見てみな手を打ち鳴らした。
「ここが翼人族の王都、セネイだ」
あたりを見渡す。通りにいる人はみな大なり小なり翼がある。本当に、翼人族の国に、やってきたのだ。
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