2 くるのが遅い

 ノスリがわたしに「トリノコ」と名付けた次の日、1番目の姉が死んだ。もうすぐ隣国の第三王子を婿にとり、国を継がせる予定だったのに、ちょっと城下に出たら馬車にはねられたのだ。父は大いに悲しんだ。他の2人の姉もそうだった。


 わたしは自分に名前を授けられたからだろうか、と、微かに不安に思った。いや、ノスリは予言など信じないと言った。ならば信じてはいけない。


 その日の夜、2番目の姉が突然血混じりの咳をした。医者が集められ手当てをしたものの、高熱を出し、治ることは治ったが老人のようにほうけてしまって、これでは国を継いだり世継ぎを産んだりすることはできない、と医者は言った。


 3番目の姉は、自分もそうなるのではと激しく恐れ、部屋に引きこもり出てこなくなった。食事もろくに摂らずずっと怯えているようで、父はとても気を揉んだらしい。


 3番目の姉の様子がおかしくなってから、城に予言者がやってきた。父が呼んだのだ。そのめしいた老婆は、


「末の姫に何者かが名前をつけたのでは?」


 と、父に尋ねた。


「いや、そんなことあるはずがない」


「わしの鼻はそう言っております。末の姫の呪いが、世界を動かし始めたのです」


 恐ろしいことを聞いてしまった。


「世界は大渦に巻き込まれ、変貌し、大きく変わるでしょう。それはすべて、末の姫に名前をつけたからです」


 父はその呪いの打ち破り方を老婆に尋ねた。老婆は、


「これは不可逆的なもの。もう変えようのないもの」


 と、呪いのように答えた。


 ◇◇◇◇


 わたしは、座敷牢に閉じ込められることとなった。

 当然だろう。姉たちがあんなことになったのだから。そして最後まで、父はわたしの顔を見ようとはしなかった。


 ただただ、わたしは父が憎かった。呪いなんて迷信なのに。予言だって迷信なのに。少なくともあのノスリならそう言って笑う。

 ノスリの顔を、何度も何度も思い出す。


 日焼けした肌。精悍な顔立ち。美しい白い翼。

 座敷牢の前には下男がふたりいる。こうやって見張られるかぎり、空からノスリがやってきてわたしを助けてくれることなど、きっとないのだろう。

 いや、あの破天荒なノスリなら、下男くらい軽くあしらってくれるかもしれない。そういう期待感を覚える。

 ノスリが助けに来てくれるのを、わたしはただただ望んでいた。


 ある日のことだった。

 下女が食事を運んできて、わたしに、

「ズクが殺されました」と告げた。


「なぜです」


「あなたさまを見張っていなかった罰、だそうです」


「……そんな」


「あなたさまのせいで、次に殺される下男下女はだれかと、城の中はざわついております」


 食事を運んできた下女はそれだけ言うと、食器を置いて去っていった。

 食器に手を伸ばす。そっけないパンとサラダと目玉焼きというメニューである。

 もぐもぐとそれらを食べて、わたしは座敷牢から見える空を見つめる。ノスリが助けにくることを、ただただ望んでいた。


 こういう状態なので、元気を出すために「トリノコ」とつぶやくことすらできない。城の下男たちはそういう、わたしの挙動のおかしいところにすぐ気づくのだ。


 助けて、ノスリ。わたしをここから連れ出して、呪いのないところに連れていって。


 その願いも虚しく1ヶ月が過ぎた。3番目の姉はまだ閉じこもっているらしい。自分から閉じこもれる姉の身分を羨ましく思った。

 ある日、物々しい警備の騎士に守られながら、父がわたしのいる座敷牢を訪ねてきた。


「この国は滅びる。お前のせいだ」


「なぜです」


「第3王女が首をくくった。王家の血は断絶したに等しい」


「そうですか」


「姉が死んだというのにずいぶんとそっけないな」


「姉とは思っておりませんので」


「そうか」


 父王はすん、と鼻を鳴らした。

 ああ、この人はたくさん持っているがゆえに、悲しいのだ。自分の持っているものが、次々なくなっていくことが。


「お前に名をつけたものはだれだ?」


「そんな人おりません。わたしは哀れな名無しのままです」


「いや。占い婆が、お前に名をつけたものがいると言うのだ。誰だ?」


「わたしは名無しです!」


 わたしは全力で叫んだ。そのとき、父の重用している将軍が駆け寄ってきた。


「翼人族の国が、宣戦布告してきました!」


「なんだと?」


「戦を避けたくば王の姫君を人質として差し出せと。さもなくば国を空から滅ぼすと」


「もう差し出せる娘などおらん! ナツとフユは死にアキは抜け殻だ!」

 父は怒鳴る。


「しかし……翼人族の英雄をもてなしたとき、英雄が席を立つなり悪口を言っていたと。翼人族にとって悪口はもっとも嫌われることです。翼人族は耳がいいといいますので、たまたま聞こえたのでしょう」


「そんなことしておらん!」


「いいえ。父上は確かに、翼人族の英雄の悪口を、姉たちとともに仰いました。粗野で野蛮であると。田舎者であると」


「お前は黙っていろ、名無しめが!」


 父はわたしを自分の子供と認識していないのだな、としみじみと思った。


「戦争だ。あの無礼な翼人族どもを焼き鳥にしてくれる」

 父は肩を怒らせて、座敷牢のある建物から出ていった。


 ◇◇◇◇


 その日の夜、わたしは物音で目が覚めた。その音は下男ふたりの「ぐわぁーっ!」という叫びだった。


「よう、トリノコ。迎えにきたぞ」


 清しい顔に笑みを浮かべ、血塗れの剣を持ったノスリが、そこにいた。


「くるのが、遅い」

 わたしはそう言って涙をこらえた。

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