鳥の子姫と覇王の翼

金澤流都

1 トリノコ

 城のなかが騒がしい。きょうは翼人族の英雄をもてなすとかで、姉たちはその翼人族の英雄に見染められようと、どのドレスを着ようか、どの口紅を塗ろうか、どの香を焚こうか、そういってきゃあきゃあと騒いでいる。


 わたしには関係ないことだ。わたしはこの城の最大の秘密、最大の禁忌だ。足のない姿で生まれてきて、母を死なせたわたしには、関係のないことだ。


 きれいなドレスを着たことなどない。

 化粧などしたことがない。

 香を自らの衣服に焚き染めたことなどない。


 わたしは、永遠に、呪われた子として、この城に残り続けるのだ。ヨボヨボになって死ぬ日まで、わたしは孤独に生き続ける。だれからも愛されず、ただただ秘密として。


「いきましょうズク。わたしは部屋にいるのがいちばん気楽です。姉上たちのように、はしゃぐ気持ちにはなれません」


 わたしを背負っている下男にそう命じて、わたしは部屋に戻ることにした。


 悔しかった、情けなかった、悲しかった。

 姉たちのように、人の世の喜びを知りたいと、ずっとずっと思っていたけれど、わたしが呪われているばかりにそれは叶わない。

 だれかが、この狭い城から、それこそ自由な世界に連れ出してくれるのを望むしかできない。そして城の外に出たとて、わたしには足がない。誰かに背負ってもらわなければどこにもいけないのだ。


「姫さま、悲しいお顔をなさらないでください」


 下男――幼いころからずっとそばに仕えてくれている、ズクという心優しい男――は、せいいっぱいの優しさでそう言ってきた。

 言わんとすることはわかる。姉たちと比較してより不幸になるのはやめろ、ということだ。


「ズク、お前には名前がありますね。それすらわたしは望めないのです」


「……失礼いたしました」


 わたしには名前がない。

 わたしに名前をつけたら天地がひっくり返るような、世界を飲み込む大きな渦が起きると予言されて、父は名前をつけることを躊躇ったのだ。


 だれか、素敵なひとが、わたしに名前をつけてくれて、わたしはその人とここを出ていく。それを夢見なかった日などない。そしてその人は、いつも英雄であった。


 ◇◇◇◇


 宴が始まったようだ。飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをしているらしく、父の威厳ある笑い声や、姉たちがきゃあきゃあ言う声、翼人族の英雄の朗々たる歌声、そういうものが聞こえる。

 ズクはもう下がってしまった。わたしはふだん、今くらいの時間に寝ているからだ。しかし宴会の楽しげな声の聞こえるなか、寝るなどできるだろうか。


 うらやましかった、悔しかった。


 足。足さえあれば、あの中にいられたのに。


 翼人族の英雄が用足しに席を外したらしく、いちど騒ぎが鎮まった。


「なんだあれは」


 父が憤慨していた。


「野蛮ですわね」


「粗野ですわ」


「田舎ものはこれだから嫌ですわ」


 姉たちも冷たい反応である。


 ああ、贅沢だなあ。あんなに楽しそうなのに文句が言えるんだ。


「お? なんだこの部屋」


 耳に爽やかな殿方の声が聞こえた。下男や下女はみな宴会にかかりきりなので、わたしの部屋にはわたししかいない。

 どうしよう、という恐れが全身に走った。


「フム。人族の王様は姫君を1人隠しておいでのようだ」


「それ以上来てはだめです、わたしは呪われております」


「そのように美しい声を持つものが、呪われているとは思えない」


 堂々と入ってくるので、綺麗なことを語り誤魔化すのをやめさせるべく、


「あの。なんで案内されていない部屋に当たり前に入ってくるのですか。人族においては無礼なことです」


 と、詰めてみた。しかし相手は気にしない。


「それは失敬。しかし魔王討伐の際、民家の戸棚からくすねた薬草が役に立ったのでな。つい知らない部屋があると入りたくなるしツボや棚があると調べたくなる」


 なるほど父や姉たちが嫌がるわけである。

 でもわたしは、そこまで嫌だとは思わなかった。


「灯れ」


 わたしが蝋燭に魔法で火を灯す。部屋が柔らかな灯りで照らされた。


 翼人族の英雄は、とても優しそうに見えた。すらりと背が高く褐色の肌をしていて、背中には真っ白い翼がある。

 幼いころから夢見た、わたしを城から連れ出してくれる人だ、と、微かに思った。


「俺はノスリだ。あなたは?」


「名前などありません」


「なぜ?」


「呪われて生まれてきたからです。名をつけると天地がひっくり返り世界を巻き込む大渦が湧き起こると予言されたからです」


「人族は予言など信じるのか?」


「ええ。父はとてもとても、迷信深い人です」


「ハハハ。迷信と言い切ったか」


「そのせいで家族には『あれ』とか『あの子』とか呼ばれてきましたから」


「それじゃあ、俺が名をつけよう。いいか?」


「……え?」


「お前は『トリノコ』だ。その髪の色が、まるで卵の殻のよう、鳥の子色だから」


「トリノコ」


 言葉にした瞬間に、全身に力がみなぎった。


「またいつかお前に会いにくる。そのときまで、名前を忘れるな」


「わかりました……」


「さて。そろそろ宴会に戻らないと、お前に名前をつけたことがバレてしまう。それではな」


 翼人族の英雄――ノスリは、気持ちのいい笑顔を浮かべて、部屋を出ていった。


 端的にいってとてもとても無礼な男だった。だが、なぜか嫌いになれなかったし、つけてもらった「トリノコ」という名前をつぶやくたびに、体に力がみなぎった。


 わたしの名前は、トリノコだ。

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