その仕事以外に、あなたの道はないのですか?

春風秋雄

雨の日の公園のベンチ

その日は雨が降っていた。まだ日が暮れ切っていない時刻なのに、雨雲のせいで暗かった。今日はサッカー中継が見たくて、仕事を早く終わらせ、最寄りの駅からマンションまでの道のりを、ビニール傘をさして歩いていた。ふと公園のベンチに座っている女性に目が行った。傘もささず、ずぶ濡れになっている。どうしたのだろう。普段の俺なら気に留めず通り過ぎていただろう。しかし、何故かその女性が気になって立ち止まった。遠目に綺麗な女性だったから、近くで顔を見てみたいという気持ちがあったのかもしれない。俺は公園の中に入って行った。女性のそばに立ち、女性を俺の傘にいれると、女性が俺を見上げた。女優のような綺麗な顔立ちに俺はドキッとした。

「どうかされたのですか?こんなところに傘もささずにいたら風邪をひきますよ」

女性は何も答えない。俺は鞄から折りたたみ傘を取り出し、持っていたビニール傘を女性に差し出した。

「これを使って下さい。会社にあった傘ですので、雨が止んだら捨ててもらってもいいです」

女性はジッと俺を見ながら傘を受け取った。

俺は折りたたみ傘を広げ、公園の出口へ向かった。思った通り、綺麗な女性だった。30代だろうか。女優の誰かに似ていると思ったが、思い出せない。

公園を出たところで立ち止まって振り返ると、女性は立ち上がってこちらに歩いてきた。濡れたままでは風邪をひくので、早く家に帰った方が良い。俺は少し安心してマンションへ向かって歩き出した。

交差点の赤信号で立ち止まり、振り返ると、女性はこちらに歩いてきている。家はこっち方面なのか?意外と近いところに住んでいるのかもしれない。ならば、走ってでも家に帰れば良かったのにと思った。信号待ちをしている間に俺と女性の距離は縮まってきた。もうすぐ追いつかれると思ったところで信号が青になった。マンションの近くまで来たところで、もう一度振り返ると、女性は10メートルほど離れてこちらに歩いてきている。俺は少し気になったが、そのままマンションのエントランスに入った。傘をたたんで、オートロックを解錠するためポケットから鍵を取り出していると、女性もエントランスに入ってきた。このマンションの住人だったのか。

「このマンションの方だったのですか?」

女性は曖昧な顔をして黙っている。仕方なく俺はオートロックを解錠して中に入る。女性も一緒に中に入って来た。エレベーターに乗り、俺は自分の部屋がある5階のボタンを押す。

「何階ですか?」

女性に聞くと、初めて女性は言葉を発した。

「同じで結構です」

同じ階の住人だったのか。このマンションは1フロアーに5部屋あるので、会ったこともない住人もいる。

エレベーターを降り、俺は一番奥の505号室へ向かう。部屋の前まで来た時、女性が付いてきていることに気づいた。

「あのう、ここ俺の部屋ですけど」

「行くところがないので、部屋に入れてもらえませんか?」

俺は面倒ごとに巻き込まれたくないので、断ろうと思った。しかし、捨てられた仔犬のような目で俺を見るその女性を、追い返す勇気は俺にはなかった。何より、その女性の容姿は、公園で見かけたときから、すでに俺の心を射抜いていた。


俺の名前は守屋拓海。今年32歳になった。まだ独身だ。出版社でビジネス書を担当する編集の仕事をしている。この2年くらい、俺が手掛けた本がベストセラーを連発して、社内の地位を確立し、収入もそれなりにもらえるようになった。収入が上がったので、半年前にボロアパートからこの2DKのマンションに引っ越してきた。

今浴室でシャワーを浴びている女性は、まだ名前も年齢も聞いていない。部屋にあげ、とりあえず濡れている服を着替えさせるため俺のスウェットを渡し、浴室へ案内した。この時間なので、まだ食事をしていないだろうと思い、俺はコンビニで弁当を買っていたが、宅配ピザを注文しておいた。

シャワーの音が止み、女性が浴室から出てきた気配がした。するとしばらくして、洗濯機が回る音がしだした。勝手に洗濯機を使っているようだ。あれ?たしか昨日俺が脱いだ下着なども洗濯機に入っていたはずだ。ひょっとして一緒に洗ったのか?

今度は洗面台からドライヤーの音がしはじめた。髪を乾かしているのだろう。まるで何回もこの部屋に来たことがあるような振る舞いで俺の部屋を使っている。

やっと女性が風呂場から出てきた。「お風呂ありがとうございました」と言いながら、冷蔵庫の扉を開ける。缶ビールを1本取り出すと、プルタブをプシュッと開け、グビッと一口飲む。俺はあっけにとられてその様子をジッと見ていた。女性は俺が座っているダイニングテーブルの向かいに座り、俺を見て言った。

「それで、あなた、名前は?」

いやいや、それはこっちが先に聞くことでしょう。と思いながら、つい答えてしまう。

「守屋です。守屋拓海です」

「そう、拓海君ね。私は山田花子」

「それ、偽名でしょ?」

「何で山田花子は偽名だと決めつけるの?全国の山田花子さんに失礼でしょ?」

「ちゃんと名前教えてください。そうしないと追い出しますよ」

「あ、私が下着を洗濯したのを知ってそう言っているんだ?私を追い出して、私の下着を盗ろうとしてるでしょ?」

「そんなこと考えてませんよ。それより下着も洗濯したのですか?」

「そうだよ。濡れてたもの」

「じゃあ、今は?」

「ノーパン、ノーブラ。変な想像しないでね」

あきれた。それより、さっき見た“捨てられた仔犬のような目”は俺の目の錯覚だったのだろうか。

「それで、ちゃんと名前を教えて下さい。それと、どうして行くところがないのかも」

「その前に、何か食べるものない?お腹すいた」

「さっきピザを注文しましたから、もうすぐ来ますよ」

「だったらピザが来るまで、さっき持っていたコンビニ弁当をちょうだい。私朝から何も食べてないの」

「俺がコンビニ弁当を持っていたのを知っていたんですか?」

「左手に指輪はなく、晩飯にコンビニ弁当。しかもひとつしか買ってないから、独身の一人暮らしだろうと思ってついてきたんだもん。さすがに妻帯者では部屋にあげてもらえないでしょ?」

俺は公園ですでにロックオンされていたのか。仕方ないのでコンビニ弁当を渡すと、山田花子さんはガッツいて食べ始めた。公園で俺の心を射抜いたイメージがどんどん崩れていく。俺が名前は?と再度聞くと、食べている時に話しかけないでと怒られた。捨てられた仔犬が獰猛犬に変身している。

仕方ないので、俺はテレビをつけてサッカー中継をみようとした。すると、インターフォンが鳴った。ピザが来たようだ。

テーブルにピザを持って行くと、山田花子さんは弁当を食べ終えていたところだった。そして早速ピザにパクつく。山田花子さんが食べている間は話しかけるのを諦めて、俺はピザを食べながらサッカー中継を見る。すでに前半が終わる頃だった。楽しみにしていたのに、まったくサッカーに集中できない。ハーフタイムになり、ふと見ると、山田花子さんは2本目の缶ビールを飲みながらピザを食べ終えていたようだ。

「ピザはもういいのですか?まだ残っていますよ」

「私はもうお腹いっぱい。あとは拓海君にあげるよ」

俺がお金を出して買ったんだけどと、突っ込みを入れたくなるがやめておいた。

「それで、どうして行くところがないのですか?」

「家には事情があって帰れない。友達の家に泊めてもらおうと行ったら、いつの間にか彼氏と住んでいて私を泊めることは出来ないと言われた。財布にお金を入れてくるのを忘れたのでホテルにも泊まれない。ちなみにキャッシュカードもクレジットカードも持っていない。以上」

「ひょっとして、今日はここに泊まるつもりですか?」

「そのつもりだよ」

「そのつもりって、俺の事情は聞かないのですか?」

「下手に聞いて、泊めることは出来ないという言い訳を、グダグダ聞いても時間の無駄でしょ?」

「それに、俺は男ですよ」

「女には見えないね」

「そうじゃなくて、男の部屋に泊って襲われたらどうしようとか思わないんですか?」

「拓海君は、けっこうイケメンだけど独身。しかも部屋を見る限り女っけはない。シャンプーも男性用しかなかったしね。つまり彼女はいないということ。もてないはずはないのに彼女がいないということは、草食系男子か、女性を口説く勇気がない男。自分から積極的にいけないから、今まで付き合った女性は相手から迫られた女性のみと推察できる。つまり、同じ部屋に泊っても、私の方から迫らない限り、拓海君には私を襲ってくる勇気はない。だから平気」

こいつは探偵か?ことごとく当たっている。

「わかりましたよ。今日は泊めてあげます。でも俺は明日仕事なので、朝出て行ってくださいよ」

「合鍵を置いといてくれれば大丈夫だよ。どう見ても盗まれて困る物はこの部屋になさそうだし、現金と通帳を持って出れば安心だよ」

「いやいや、そういう問題じゃないでしょ?」

「どういう問題?拓海君が仕事をしている間は、この部屋は誰も使わない。その間私が使って、拓海君に何かデメリットはある?多少電気代がかかる程度でしょ?」

俺が何か言おうとしたところで、洗濯機がブザーを鳴らして洗濯が終わったことを告げた。山田花子さんが立ち上がり洗濯機へ向かう。俺はハタと気が付いて、俺の下着を取にいく。

「拓海君、私の下着が見たいの?」

「そうじゃなくて、俺の下着が入っていたと思うんですけど」

「ああ、それならそこに置いといた」

見ると俺の下着は足元に放り投げてあった。


山田花子さんがベランダに洗濯物を干している間に俺はシャワーを浴びた。もちろん自分の分の洗濯機を回しながらだ。風呂からあがり、缶ビールを持ってテーブルに座ると、山田花子さんはまたビールを飲んでいる。すでに空き缶は3本つぶされていた。

「そういえば拓海君はいくつなの?」

「32歳です。あなたは?」

「ちゃんと花子と呼んでよ。私は35歳よ」

「それで花子さん、仕方ないので合鍵は渡しますが、俺が帰る前には出て行ってくださいよ」

「それより、1万円貸してくれない?」

「1万円ですか?」

「さっきも言ったように財布にお金が入ってないのよ」

俺は財布から1万円札を取り出しテーブルに置いた。

「別に返さなくてもいいですから、これでちゃんと家に帰ってください」

「あら、気前がいいのね。じゃあ、私はそろそろ寝るね。ベッドを借りまーす」

「ベッドで寝るのですか?」

「私に床で寝ろとでも?」

俺は何も言えなかった。


翌日仕事から帰ると、ある程度予想はしていたが、山田花子さんは当然のような顔をして家にいた。

「お帰り。ご飯作ってあるから、食べていいよ」

どうやら料理をしたみたいだ。テーブルの上には鶏のから揚げと、チャーハンが置いてあった。ふと見ると、山田花子さんの服装が昨日と違っている。

「服買ったの?」

「家からとってきた」

「家に帰ったのに、またここに来たの?」

「だから、家には帰れない事情があるの。誰もいないうちに荷物だけ持って出てきたの。あ、そうだ。昨日借りていた1万円返すね」

「いいですよ。返さなくていいって言ったじゃないですか」

「大丈夫。お金も持ってきたから」

山田花子さんはそう言って財布を開いて見せた。財布には1万円札が20~30枚入っていた。

「どうしたんですか、そのお金?」

「だから、家からもってきたと言ったじゃない」

「あなたは、何者なんですか?」

「山田花子」

「そろそろ、事情を教えてくれてもいいんじゃないですか?」

花子さんは、しばらく俺をジッと見ていた。

「拓海君は、テレビ全然見ないの?」

「スポーツ観戦がメインで、ドラマとかはネットで見ています」

「そう。拓海君は、椎名華という女優を知っている?」

「あの高校教師役でブレークした女優?」

「それは妹の椎名亜香里。華はそのお姉さんで、時代劇とかによく出ていた女優」

「俺、時代劇はほとんど見ないので」

「そう。まあ、時代劇を見ている人でも椎名華という名前を言われてもピンとこない人も多いけどね」

「それで、その女優さんがどうしたのですか?」

「私がその椎名華」

俺はからかわれているのだろうと思ったが、花子さんの顔は真顔だった。


花子さんの説明を要約すると、こういうことだった。

まず驚いたことに、山田花子は本名だった。生まれた時は橘花子だったが、幼い頃に父親が亡くなり、母親が山田姓の人と再婚して山田花子になった。母親は再婚して間もなく、新しい父親との間に妹の亜香里を産んだ。新しい父親は芸能関係の人で、妹の亜香里が中学を卒業すると、亜香里を芸能界に入れた。花子も高校を卒業すると、母親の勧めで女優として芸能界に入った。しかし、父親のコネで次々に仕事をもらう妹と違い、姉の花子にはなかなか良い仕事が回ってこなかった。そのうち、時代劇で活路を見いだし、脇役で時々使ってもらえるようになった。しかし、若い子がどんどん出てくると、その仕事も近年めっきり減って来た。そんなとき、父親を通じて映画出演の話がきた。台本を読むと、かなり過激なラブシーンがあり、肌を露出するシーンが数多くあった。女優ならいつかはそういう仕事もしなければならないかと思ったが、相手役が花子の嫌いな男優だった。その男優は、業界の女性タレントからはかなり嫌われており、何人もの女優から断られたらしい。できたら断りたい。しかし、父親がこの話をもってきたのは、妹を他の映画の準主演にするためのバーターだったらしく、父親から「この話を断ったら、俺はもうお前の面倒は見られない。そうなるとお前は女優としてはもうやっていけないと思いなさい」と言われ、妹からも自分が準主役になりたいがため、その仕事を引き受けろと迫ってくる。どうすれば良いのかわからず、家を飛び出してきたということだ。


「へえ、芸能界だねえ。嫌な仕事なら断ったら?」

「でも、そうすると私の女優生命は終わるんだよ」

「女優の仕事好きなの?」

「好きかどうかはわからないけど、私は女優しかしてこなかったから、女優以外何もできないもん」

「何も出来ないということはないと思うよ。誰でも学生から社会人になったときは、経験のないことをやるわけだから」

俺はムキになっている。何故だ?おそらく花子さんが嫌いなやつとラブシーンをすることが許せないのだ。


花子さんは毎日料理を作ってくれる。花子さんの料理は美味しい。コンビニ弁当ばかり食べていた俺としてはありがたかった。あれ以来映画の出演の話は一切しなかった。最後に決めるのは花子さん自身だ。俺が口をはさむ問題ではない。夕飯を食べて、寝るまでの時間は一緒にゲームをやったり、俺が手掛けた本の話をしてあげたりした。

花子さんが来て5日目の日は日曜日で、俺は仕事が休みだったので、一緒に買い物に出かけた。芸能人と街を歩くということに俺は興奮したが、すっぴんで、飾りっけのない花子さんを見て女優だと気づく人は誰もいなかった。気づかれても困るが、まったく気づかれないというのも俺としては納得いかない気がした。

「仕方ないよ。私は時代劇がメインだから、カツラと着物を脱いだ姿ではわからないって」

花子さんにそういわれて、そうかもしれないと思ったが、俺は何故か悔しかった。


その日の夕食後、花子さんが改まって話し出した。

「拓海君には迷惑かけたけど、私は明日、家に帰ることにしたから」

「帰るんですか?映画の出演は引き受けるのですか?」

「まあ、そうなるかな」

俺は、胸の中がムカムカしてどうしようもなかったが、俺が口出しすることではないので、何も言わなかった。


花子さんが来てから、俺のベッドは花子さんが使っていたので、俺は隣の部屋に来客用の布団を敷いて寝ていた。花子さんが泊る最後の夜もそうしていると、扉が開いて花子さんが入ってきた。そして俺の枕元に座って言った。

「拓海君は、本当に草食男子だね。ひょっとしたら私が寝ている部屋に来るのではないかと毎日ドキドキしてたけど、本当に来ないんだもん」

「もともと積極的ではないですけど、あんなこと言われたら何も出来ませんよ」

「ねえ、女優として、初めて人前で肌を見せる練習をさせて」

花子さんはそう言うと、立ち上がり部屋の電気をつけた。そして、ゆっくりと自宅から持ってきたパジャマのボタンに手をやった。


翌日、俺が仕事から帰ると花子さんはいなかった。テーブルに合鍵と「ずぶ濡れの私を拾ってくれてありがとう」と書かれた手紙が置いてあった。

花子さんがいない部屋はとても広く、そして冷たく感じた。映画の撮影はいつから始まるのだろう。映画が封切られても、俺は絶対に見ないと決めていた。


花子さんがいなくなって、1か月もすると、あれは夢だったのではないかと思う。それほど現実離れした出来事だった。しかし、いつまでも捨てられずに置いておいた花子さんの手紙を見るたびに、やはり現実だったのだと思い知らされる。あの手紙には「ありがとう」としか書かれていなかった。どうしてあの手紙に「さようなら」の文字を書いてくれなかったのだろう。そうすれば俺は吹っ切ることができたかもしれないのに。俺は未練たらしくも、ネットで椎名華が出演している時代劇を探して観る毎日を送っていた。


その日は雨が降っていた。まだ日が暮れ切っていない時刻なのに、雨雲のせいで暗かった。手掛けていた編集の入稿が早く終わり、今日は早めに仕事を切り上げた。コンビニ弁当は買わず、一旦家に帰って着替えてから外食するつもりだった。1冊の本が仕上がると、自分へのご褒美として、ちょっと良いものを食べたくなる。最寄りの駅からマンションまでの道のりを、ビニール傘をさして歩く。途中、公園のベンチを見るが、さすがに誰もいない。俺は足早に公園の前を通り過ぎた。

マンションのドアを鍵で開け中に入ると電気がついていた。朝電気を消し忘れたか?と中に入ると、なんと山田花子さんがいた。

「拓海君、お帰り」

「花子さん、どうしたの?」

「やっぱり、あの男とラブシーンなんて無理!父親と大喧嘩して出てきた」

「どうやって部屋に入ったの?合鍵は置いて行ったでしょ?」

「テーブルに合鍵を置いといたのに、どうやってドアを閉めたのか気にならなかった?コピーを作っておいたに決まっているでしょ。わざと合鍵をテーブルに置いて、鍵はあるから、また来るよという、私からのサインだったのに。気づいてくれなかったんだ」

俺は花子さんがいなくなったことがショックで、合鍵がテーブルに置いてあることを少しも不思議に思わなかった。うかつだった。

「とりあえず、ご飯にしよう。ちゃんと準備してあるから」

花子さんは鍋の準備をしてくれていた。花子さんは鍋をつつきながら、話し出した。

「本当は覚悟を決めて映画に取り組むつもりだったの」

「それがどうして?」

「拓海君のせいだよ。現場に行って、相手の男優の顔を見た瞬間に無理だって思っちゃった。拓海君以外の男に私の体を見せたくない、拓海君以外の男に私の体を触らせたくない、絶対無理と思っちゃった」

俺は嬉しくて、嬉しくて、今すぐ花子さんを抱きしめたくなった。


俺はシャワーを浴びようとバスルームに入った。ふと見ると、俺のシャンプーの隣に、昨日まではなかった女性用のシャンプーの新しいボトルが並んで置いてあった。

髪を乾かし、部屋に戻ると、花子さんはベッドに入っていた。俺は迷わずその隣にもぐりこんだ。

「花子さんは、山田花子という名前は気に入っているの?」

「そんなわけないじゃない。書類の記入例に書いてあるのと一緒なんだよ。何かの書類を出した時に、これは記入例ですから、記入例をそのまま写すのではなく、自分の名前を書いて下さいと言われたこともあるんだから」

「じゃあ、提案だけど、守屋花子に替えるというのはどう?」

花子さんは満面の笑みで俺の首に抱きついてきた。

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