第3話 サーフィンと四つん這いの幽霊

『どうして、……ねぇ、どうして。あたしはお前なんかのせいで何年、いえ、何十年と我慢なんかをしたと思っているのよ。ふざけないでよ、ふざけないでよ、ふざけないでよ、ふざけないでよ』


 ***


 脳内に溢れる怨みの言葉に触れてしまった立花を蝕んでしまう。


 彼女が叩かれた頬は痛み、怨み辛みの言葉も受けてしまった苦渋の記憶が、脳内に溢れ抱えきれなくなった脳が悲鳴を上げて、立花の目にも涙が浮かぶ。


 誰の記憶なのかと、自身の身に覚えもない記憶があやふやと馴染みそうになっていく。


 沁み込みように立花の一部に成り代わろうとしているようだった。


 だが。立花は頭痛に顔を歪めて「ちがぅっ」――否定の言葉を吐いた。



「街中でサーフィンは久しぶりンんん~~」



 賽河の意味の分からない陽気な声が不愉快に拍車をかけた。


「…………はァ??」と立花の口から低い口調が聞き返すかのように聞いた。


 彼女の身の状況も知ろうとも触れようとも、傍にも駆け寄ろうだとか、労わるように手を差し出そうともしない。


 賽河の見据える先に「こ、れは」我が目を疑い、自身に聞くかのように立花は目の前の光景に息を飲む。


「映画か、何か、じゃないなんて、あり得ないっ」


 赤い液体に街全体が飲み込まれている。まるでダムや海底に沈んでしまった廃墟の中に、潜り込んでしまったかのようた。


 賽河と立花が打ち寄せる荒波の津波の中でサーフィンをしている。


 立花も必死について行くのだが、何十年ぶりのサーフィンで身体のバランスもあやふやで頭も必死だ。


 脳内が犯され、かき乱されて自身の言葉も聞こえないほどの被害者であろう女性の声の大きさに聴覚を放棄し、視力で追うしかないでいた。


 彼を見れば高揚と口端も大きく吊り上げて嗤っている。


 背中がザワつき冷たい汗が伝う。賽河が波を使って、ビルの上の階まで登って行く様子に、立花も必死に駆け登る。


 勢いと風圧、顔の痛みに現実だと思い知らされるだけだったが「ひぃいい」と歯を噛み締める。

 

「ほら! 下を見てごらん! 女性の転落死体だっ!」


 くるりと賽河が下を指差して報せるが、怯えている立花が見ることは出来ない。


 賽河が身体の体制を元に戻して、サーフィンをし直したかと思えば八階のベランダに突っ込んだ。

 

 着地もスマートに済ませて、ほくそ笑む。


「転落現場だ」


 カン! と歩行補助のT字杖を鳴らした。すると辺りの赤い液体が濃厚に逆再生するように勢いよく集まると――女性の姿に戻る。


 生前の姿は美しく、転落したあとのまま血まみれだ。T字杖を肩に担ぐ。


「お還りぃ。淑女のお姉さまァ」


 ゆらりと彼女が骨折した全身を引きずって歩いた。


 音と声に気がついたのか、室内の中から男が何事かと顔を出した。


 血まみれの女性と男の顔がかち合う。


 かくん――……と顔面蒼白となった男の膝が折れて、腰が床に砕け音を立てて落ちた。


「ああ。のうのうと居たのか、殺人者のクソ野郎が」

「ぉ、おおお……っま、ぇ!」

「ははは! 腰抜かしたのかっ、おんやぁ~~お漏らしぃいい?? なんちゃいでしゅっかァああ??」

「っだ、だだだレ??」


 男は賽河に聞く。だが、聞かれた方は意地悪く笑みを浮かべるだけだ。


「口くっせぇえ」


 カンカカン! とT字杖を突いて歩き、腰が抜けてしまった男の元へと向かい見下ろした。


 膝を曲げて男の顔面蒼白と混乱した表情の男を真っ直ぐに見据えると、男の長い髪を掴んで引っ張った。


 女性は四つん這いに男を見て、聞き取れない罵声を浴びせ続けていた。


「っだ、ぉ、おおお、アあァああ‼」


 立花は賽河の行いを、ベランダに立ち竦んだまま、息を飲んで見据えている。何を、これから行うのかと。目が離せない。


「っな、せ! こんんンのぉお!」


 男が痛みに藻掻き始めるのだが、賽河の手が引っ掻かれても、血を流しても動じることもなく、強い力で170センチはある男の身体をベランダへと引っ張って行く。


「くそ女もさっさと死ねってんだよォおおぅううっ!」


 男の拳が女へと振り翳され当たるが、感触がない。


 今、四つん這いをする彼女は、霊魂を再構築した幻に過ぎない。殺されたことの記憶は新鮮な転落死体から引き継がれている。


「っな、んなんだってんだ! お前らなんかに関係なんかないだろうがっ!」


「ないさ。あってたまるかってんだ、だが、遭遇した以上。お前さんがした以上の罪を、殺され死んでしまった彼女に反省をさせないと、……場に居合わせて知ってしまった、オレに迷惑と時間と手間をかけさせたんだ。万死を持って、償ってもらうな」


「なんなんだよォおおぅうう‼ なんなんだよォおおぅうう‼」


 カンカンカン! とT字杖を賽河が鳴らすと足許に赤い液体が螺旋階段を描いた。


 一歩一歩と男を引きずって上へと歩きを止めない。男がずっと激痛に喚き散らしている。


「ほぉら。八階だと周りの光景は見渡しがいいねぇ」


 ゆっくりと賽河が男に伝えた。しかし、男にはゆとりはない。何をされるかという恐怖に見舞われている。


 それはどんな誰もが同じ目に遭わされていれば――同じような反応をするはずだ。


「ァ……あぁ、っご、……め――」


「謝る相手はもういねぇんだよなぁア」


 賽河は男をベランダからも放り投げた。真っ逆さまに落下していく。立花の目が大きく開いて、口も大きく戦慄いた。


 男の悲鳴がビルの谷間に響き、立花の鼓膜もびりびりと痛む。耳を抑えてしゃがみ込んで顔を膝の上にやる。


「何かどこからか。落ちた、みたいだねぇ」


 のんびりとした賽河の声が聞こえて目を開ければ、ビルの八階に行く前の場所に立っていた。


「ぇ」


 立花は耳を眼を疑う。状況をさえ――親近感というよりも巻き戻った感がある。


「行ってみようかな。新鮮なうちならオレも何か出来るしね」


 

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