第1部 第6章

 私、月下理奈は、弟が浴場から出たことを確認して浴槽に浸かりながらいじけていた。

 先ほどまで背中に感じていた温もりがなくなり、無機質な浴槽に背中を預けている。

 ため息が零れ落ちた。


 もう少し、いてくれてもいいじゃない。


 湯面に口を沈めてさらに息を吐く。

 当然、そこにはぶくぶくと音を立てて泡が浮き出てくる。

 意味のないことをしている自覚はあるし、何なら非合理的なエネルギーの使い方だが、精神的な均衡を保つためには必要なことだ。

 「どうしたの理奈? 明らかにテンション下がっているじゃん?」

 「………なんでもない。」

 真衣姉さんは家族のことをよく見ている。

 ちょっとしたことや嘘は確実に見抜く。

 その他のことはかなりおざなり(馬鹿)だが………。

 真衣姉さんは、この邸宅に住んでいる私や都木、シュガーのことを最重要と思っていることは長年一緒に住んでわかっている。

 でも、感づいてほしくない時もあるのだ。

 「都木と一緒の時間が過ごせるから喜んでた、ように見えたけど?」

 本当によく見ている。

 「別に。」

 「そお?」

 嘘だ。

 私は噓つきだ。

 自分でも自覚しているほどだ。

 本当の自分を偽らないと生きていけない。立っていられない、弱い自分。

 それをいままで支えてくれたこの家族が何よりも大切だ。

 さらに言えば都木への依存心や………。

 「ねえ、少しだけでいいから都木と本音でお話したら? 今のままは、つらいだけよ?」

 「………。」

 「ほんとは都木君と離れたくないし、一緒にいたいんでしょ?」

 「………。」

 本当に煩わしいまでに見透かされている。

 これくらい都木も察してくれれば楽なのだが………。

 あの唐変木は、心に壁を作って遮断しているせいで相手の感情を読まないようにしている。時として、ありがたいが最近はつらい。

 「確かに今回、郁美さんに助言はしたけど、あなたが参戦するのであれば別よ? 全力で応援するし、郁美さんにはあきらめてもらうよ?」

 「………。」

 「………それにお互いの出生のことも公にしなくていいし。」

 たしかにこのを語らなくていいのならどれほど楽なことか。

 「真衣姉さんみたいに素直に生きられない。それに都木には幸せでいてほしい。」

 「でも、自分の気持ちに蓋をしたから苦しいのよね? 丸わかりよ?」

 真衣姉さんに馬鹿にされたようでㇺッ、としたが仕方がないことである。

 煮え切らない自分が悪いのだから。

 「確かに今の義姉という立場にいるのもいいけど煮え切れずモヤモヤした感情を引きずって、最後まで後悔する結果になるのはわかっているんじゃない?」

 「………わかってるわよ。」

 「あなたって、賢いくせに臆病で姑息よね。あれだけ都木には強気でいるのに。」

 耳が痛い。つらい。でも怖いのは事実。

 嫌われたくない。

 蔑まれたくない。

 離れたくない。

 おいて行かれたくない。

 「会社まで立ち上げて、つらいことがあっても挫けなかったのは都木がいたおかげでしょ?」

 私が会社を立ち上げたときに、こんな私でも人生を貫けることを都木に教えてあげたかった。このご時世でも生きていくことができると認識してもらってそれで、必要とされたときに手を差し伸べてあげられる存在になりたかった。

 でも実際は違った。

 都木はだった。

 私は秀才だったが、都木は天才だった。

 しかもだ。よりにもよって軍学校で才能が認められてしまった。

 頑張って本を読み漁って、時間の限り知識を覚えて、早く進級して家族を守れる屋台骨になろうと努力してきた。

 私が頑張れば真衣姉さんも都木も戦場に立たなくていい。

 死ぬのは、他のだれかでいい。


 私ののような死を視たくなかった。


 そう思っていた。

 しかし、私の思惑は外れて二人とも今、戦場に立っている。

 特に都木には立ってほしくなかった。

 ここで初めて見たときから感じていた。

 彼からの疎外感が見ていてわかった。

 ああ、同類だと感じた。

 しかし、この世界で生きるにはつらい。

 だから姉という立場を利用してこの世界から守れるように努力を重ねてきた。

 だが、結果はこのざまだ。

 ———私ではこの子を幸せに導くことができない。

 さらに言えば長年一緒にいるせいかそれとも愛着なのか、今度は私が依存するようになってしまった。

 「まあ、冗談抜きで、別に難しく考えずに『私から離れるな』って言えばいいんじゃない?」

 「それ、真衣姉さんに言われたくない。彼氏の前でヘタレるから剣崎のお姫様の力を借りてたじゃない?」

 「な、なんで知ってるの!?」

 「いや、わかるって。」

 私の情報網を甘く見ないでもらいたい。

 情報収集は、会社を持つうえで重要なことだ。

 そして御用家の動向はもちろん、勢いのある家柄や企業の情報をすぐに取り入れるため、私は蜘蛛の糸をはっている。さらに言えば、このコロニー内だけでなく他コロニー情報を知るためにありとあらゆる手段を用いているのだ。真衣姉さんの動向を知らないわけがない。

 なぜなら四乃宮家は、コロニー3の要であり、その行動一つで世間体が動くのだ。

 真衣姉さんには自覚がないだろうけど。

 でも、(馬鹿な)真衣姉さんの発現は受け入れなければならない。

 「でも、真衣姉さんの意見も正しい。」

 「お、ついに妹が一歩踏み出すの!? お姉ちゃん感動だよ。」

 「………うるさい。」

 この姉のペースは、どの交渉相手より難解なのだ。

 「ただ………。」

 「ただ?」

 「真衣姉さんの服を見るときに自分も服を見るのもいいかな………。」

 私が出せる勇気にも限界があるのだ。

 「ピュア! 我が妹ながら純粋でかわいらしくていじらしい! だが、そこがいい!」

 姉のテンションの振れ幅も読解不可能だ。

 「それじゃ、あの唐変木が嫌でも振り向くように飾りに飾りまくっちゃおう!」

 姉に相談したことを後悔した。

 ………でも、都木に振り向いてほしいのは本心だ。




 朝食をとるときにはすでに真衣姉さんは家を出ていた。

 正確に言えば、シュガーに蹴り上げられて家を追い出されていた。

 『指定時間を自分で言っておいて遅れるなんて言語道断。口にくわえていってきなさい。』

 シュガーが真衣姉さんにサンドイッチと水筒にブラックコーヒーを持たせて、文字通り蹴っていた。

 予想はしていたが容赦ない。

 ———それはさておき、僕と理奈姉さんは朝食をゆっくり食べていた。

 シュガーは、その傍らで慎ましくたたずんでいた。

 食事を終えると、気になっていることを口にした。

 「それにしても、真衣姉さん遅れずにつけたかな?」

 「さあ? 出ていった時間からすれば、ギリギリなんとかついたころ合いじゃない?」

 防衛局についても検問室で検査を受けてからの入場となるため、それなりの時間的余裕を持たないと不慮の事態で遅刻は免れない。

 その件で先ほどまでたたずんでいたシュガーが口を開いた。

 「おそらく、無事に到着はしますが、仕事の決行時間は遅延するでしょう。」

 まるで未来を見ているように話しているシュガーが不思議だった。

 到着はできるけど作戦に支障がある。

 つまり不測の事態が必ず起きるといっているのだ。

 「何か知っているの、シュガー?」

 理奈姉さんが不思議そうに聞き返している。

 僕も不思議だ。

 自信に満ち溢れた声から確定事項と言わんばかりに聞こえる。

 なぜだろう。

 「今回、私はまだお嬢様を許しておりません。昨晩の件で、私の仕事を増やした償いをしてもらいます。」

 怨恨。

 もはや執念さえ感じる。

 「あ、あの、具体的にどんなことが起きるのでしょうか、シュガーさん………。」

 「目には目を歯には歯を、です。」

 うん?

 どうゆうことだろうか。

 「お嬢様に持たせた、コーヒーに下剤が混入しております。」

 一服盛っていた。




 私は黒崎隼人(くろさき はやと)。

 特務隊の少佐である。

 現在、大変困ったことが発生していた。

 先ほど来たばかりの大佐の顔が真っ青となっていた。

 いや、顔色だけでなく滝のような汗も印象的だった。

 大佐は、すぐに自席に荷物を置くなり消えてしまった。

 もうすでに5時を過ぎ、もう少しで半に差し掛かるところだ。

 しかし、いまだに大佐が帰ってこない。

 こちらからの呼びかけにも一切応答がない。

 これでは予定が狂う。

 数名を大佐の捜索に充てているが、全く見つからない。

 先ほどの様子から医務室にいるのではと思ったが部屋は空っぽ。

 では休憩室で横になっているのかと思ったがこちらも予想が外れ無人だった。

 では、どこだ?

 こんな時に弟さんがいてくれたらわかるのだろうが、前回の休暇取り消しで対応してもらった件があるので最終手段としたいものだ。

 どうしたものか。

 そう思っていたら、呼び出しが鳴った。

 正確には耳付近に埋め込まれている、無線機が耳小骨を鳴らしているのだ。

 相手は、甲斐田都木さんだった。

 『黒崎さん、おはようございます。』

 『おはようございます。都木様。ちょうどよかったです。』

 『様はやめてよ、黒崎さん。これでも僕は年下ですよ。年長である黒崎さんから、敬われるのはやりにくいです。』

 『失礼しました。しかし、こちらは礼を尽くさないといけない立場ですのでご了承ください。』

 『変わりませんね。ところで今の様子からすると姉さんがらみですか?』

 『はい、来るなりどこかに消えてしまって。どこにいるのか皆目見当がつかない状態でして………。』

 『あぁ、やっぱり………。』

 『なにかご存じなんですか!?』

 『そこに女性社員いますか?』

 『え? ええ、数名います。』

 『その人達に頼んで近くのトイレかたっぱしから調べさせてください。』

 『は?』

 『うちのメイドが、下剤盛ったのでおそらく個室に引きこもっているはずです。』

 『は?』

 『それじゃあ、頼みましたよ?』

 『え、ちょっと!?』

 ………。

 通信は一方的に切られてしまった。

 とりあえず、女性社員数名にお願いして近くのトイレを捜索してもらったところ発見の連絡があった。

 あったものの、しばらく動けないとのことだったので作戦の概要と役割を再確認し、昨日人員を振り分けた通りに編隊を結成し、それぞれジープに乗ってもらい現場に向かうことにする。

 大佐からは日常的に各自判断を尊重するとのお達しがあるため独断だが、先行することに決めた。

 おそらく決行は同時に行う。

 しかし、先に現場について周辺探索することは可能なため万全を尽くす余剰ができた

 少し気が楽になった。

 私は南ブロックを突っ切り、予定場所まで目指す。

 この時間から向かうとおそらく目的地まで3時間くらいかかるだろう。

 それまでひたすら悪路が続く。

 車体の揺れが大きくなるにつれて陰鬱になってくるが仕方がない。これも仕事である。

 今回、何事もないといいのだが………。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る