第1部 第4章

 目が覚めた時にはすでに夕暮れになっていた。

 時計を見ると午後6時を過ぎたところだった。

 部屋から出て居間に行くと真衣姉さんはすでに帰宅していた。

 居間でくつろいで、靴下は脱ぎっぱなしになっていた。

 脱ぎっぱなしになっている靴下を回収して、洗濯籠に入れておく。あとでメイドが激怒しないためには、必要な処理だ。

 ———真衣姉さんとメイドの攻防で家が壊れないようにするための処理だ。

 「お帰り、早かったね。」

 「ただいま。明日、早出する要件ができたから早く帰ってきたのよ。」

 要するに、イレギュラーが発生した。早く対応しないといけない案件だから急ぐとのことだ。

 「ふーん。なら、シュガーに連絡しておいた方がよくない? 今日休暇でいないから明日の朝すぐ用意してって言ってもさすがに無理でしょ?」

 「もう連絡したから、あと2時間くらいで帰ってくるわよ。」

 シュガーとは家に住み込みでいる唯一のメイド兼僕の保護者であり、姉さんたちのブレーキ役である。

 特に、ことあるごとに問題を起こす真衣姉さんにとっての脅威だ。

 別に問題さえ起こさなければ普通に接してくれるし、少しがあるかもしれないが些末な程度である。

 しかし、真衣姉さんからすると毎回怒られて、反省文の提出をしなければいけない相手のようだ。

 真衣姉さんとシュガーの関係は長いもので、前々当主だった四乃宮静氏の代までさかのぼる。

 真衣姉さんが生まれてからは姉さん専属となったと聞いている。

 それから理奈姉さん、僕がこの邸宅に入り、今ではこの3人の世話役となってくれている。僕にとっても頭の上がらない人だ。なるべく手間をかけないようにしてきたが、それでも申し訳なさを感じることは多々あった。

 本人曰く、もう少し自由にしても問題ありません、と言われているが難しい。

 自由にした結果、真衣姉さんみたいな惨事にはなりたくない。

 『——昔、反抗期だったころ言いつけを守らず寝坊を繰り返していたのよ。』

 『あの頃はお嬢様が目に余るほど学業に集中していませんでした。』

 『………だからって、ショットガン片手に部屋に押し入ってくる!?』

 『仕方がありませんでした。扉のドアに開けられないように魔法で強化付与をかけて施錠をかけていたため入れなかったので。』

 『いや、ドアぶち破ってきて、すぐ私には発砲したよね!?』

 『授業内容をしっかり聞いていればすぐに防衛できて当然です。』

 ここでは、ショットガンがマスターキーだったか。

 いやね、昔の銃にドアブリーチング用の散弾銃があったらしいけど………。

 『………あの時から家で命の危機を感じるようになったわ………。』

 『私の教育の賜物ですね。』

 本気で言っているところがさらに怖かった。

 『一回逃げようと思って屋敷から脱走したら、ミニガンを構えて追いかけてきたときは今でもトラウマものよ。』

 『屋敷の主人が夜逃げなど前代未聞ですので。』

 『そうはいっても、さすがに怖かったわ。100kgを超える弾薬・バッテリー機器を背中に抱えながら、平然と私に接近してきてリコイル無視しているかの如く、私にしか弾を当ててこないところとか、入り組んだ地形を選んで逃げたら、壁を突き破って突貫してくるし、メイド服を着ているだけなのにこっちの反撃をものともせず一定の速度を維持したまま迫ってくる恐怖をまだ覚えているわ。』

 『メイドたるもの、どのような状況でも即応しなければならないので。』

 後にゲーム好きの理奈姉さんからこの事件以降、裏でシュガーを巨人(タイラント)もしくは追跡者(ネメシス)と言っている。

 理奈姉さん、そのネタを知ってる人、少ないと思うよ………。

 さらに言えば真衣姉さんだけでなく理奈姉さんも朝に弱かったため寝坊することがあった。

 理奈姉さんは、一時期夜更かししてゲームをしていたからだ。

 シュガーが起こしに来た時、起きなかったため顔面に塩をぶちまけられたそうだ。

 塩を撒いた本人曰く、

 『ナメクジかと思ったので。』

 とのことだった。

 塩を被った本人はシュガーのことを『名前のわりに甘くない』とのことだった。

 ただ、僕は早起きすることは苦ではないため、そういったことをされた記憶がない。

 むしろシュガーと同じくらいに起きて朝食の準備や、掃除の手伝いを行っていた。

 シュガーからは、手がかかないのはいいけど思春期における反抗期が来ないことが怖いと言われた記憶ならある。

 いや、反抗期にガトリングで制圧射撃されることの方が怖いが………。

 実際、真衣姉さんはトラウマなのか、お説教部屋にガタガタ歯を鳴らしながら入っていくところを何度も見たし、理奈姉さんは猫のように首元を掴まれて、お説教部屋に連行される姿を何度も見たし。

 この屋敷の当主たちより使用人の立場が上なの怖い。

 「それで、何時に家を出るの?」

 「早朝の5時集合だから4時過ぎかな」

 「なるほどね、じゃあ今日は早く寝ないとね。」

 「そうね。でもわたし都木と違ってすぐ寝れないからなぁ………。」

 確かに。寝たいときに寝れないのには苦労する。

 しかし、ここ3年で身に着けた体内リズムによって寝たいときに寝ることができるようになった。

 仕事柄、身につけなければいけないスキルだったが意外と習得するのは難しい。

 決められた時間が毎回ずれるため、体がまだ休まない時がある。

 瞼が閉じないのだ。

 だからこそ体内リズムをずらしながら寝るのは技術がいる。

 「まあね。でも、どうせ姉さん夜更かしするから変わらなくない?」

 「いいじゃない? 夜は静かだから好きなの。」

 それはいいが気がかりなことがある。

 「………で、この荷物は何?」

 それはテーブルの上に並べられた珍物だ。

 しかもパッケージが異常に赤々しい。

 「見ればわかるじゃない。焼きそばよ?」

 その時の姉の表情はいたずらを楽しむ子供のような表情だった。




 午前3時。

 僕は後悔していた。

 汗が顔の頬を伝っていく。

 その過程で何ともしがたい痛みが走る。

「どうしてこんな………。」

 さらに拍車をかけて体中から滝のように汗が流れ落ちていく。

 体が燃えるように熱い。

 脚はガタガタ音を立てて震えている。

 その時、扉を叩くノックがあった。

 『都木、大丈夫?』

 「こ、これが大丈夫に見える?」

 『見えてないし、声しか聞こえないからわからないわよ。』

 「いや、トイレに今一時間くらい籠っていることから、さ、察して………。」

 そう、お腹を壊した。

 真衣姉さんが買ってきた焼きそば(激辛)のせいで………。

 真衣姉さんの思い付きは今に始まったことではない。

 今回は、神薙ショッピングで、たまたま目に入った焼きそばの会社がすべて激辛を謳っていたことから、どの商品が一番辛いのか気になって全種買ってきたらしい。

 そのせいで、理奈姉さんと僕はその実験の被害者になった。

 しかも全8社のカップ焼きそばを3人で食べなければいけないので一人2つ以上食べる計算になる。

 さらに言えばすべて激辛なので咽るわ、汗が噴き出るわ、で大変だった。

 最終的に味覚がなくなり、辛いのか熱いのかよくわからなくなった。

 なお理奈姉さんは最初にダウンし、部屋に入って倒れた。

 僕も二番目にダウンした。

 口が燃えるように熱くなり頭がグラグラし始めたので、そのまま部屋のベッドに倒れて眠った。

 午前2時くらいに急にお腹が悲鳴を上げ始めトイレに急行し、そのまま引きこもっている。

 「なんで、真衣姉さんは平気なの?………。」

 『なんで、っていわれてもこっちが困るわ。』

 この姉は、ダウンした僕らの傍らで平然と激辛焼きそば群を平らげたのだ。

 ただし、その惨状を帰ってきたシュガーに見られお説教部屋行きとなった。

 今日の真衣姉さんの学びは、かるま食品のへヤングが一番辛く、旨さなら洋東社の焼きそばBegooonとの結論がでた。

 これを真衣姉さんがシュガーに反省文として報告したところ、後者はちょい辛なので激辛の対象ではないと反省文のやり直しを言い渡されたそうだ。

 いや、そこの修正じゃないでしょ?と思ったが、そんなツッコミをする余裕は僕にはなかった。

 せめて、下痢止めをください。

 そんなことを思っているとトイレの扉に新手が来たらしい。

 『あら、理奈。大丈夫?』

 『どいて! トイレ!』

 『今、都木が入ってるわよ?』

 理奈姉さん、すまない。今は立ち上がれない。

 すでに入ったもの勝ち。

 ここは理奈姉さんに踏ん張ってもらうしかない。

 『早く開けなさい!』

 乱暴なノック音が響く。

 「む、無理だって。こっちも限界なんだって!」

 『こっちも限界なんだから!』

 確かに、この腹痛は耐え難い。

 わかる。わかるけど………。

 「でも、い、今立ち上がれない状況で………。」

 すまない理奈姉さん。

 何とかしたいけど無理なものは無理。

 現状お腹が落ちつかない限りまたすぐトイレに入ることになる。

 それにお尻が痛い。

 そうすると、足音は素早く立ち去って行った。

 諦めたのだろう。

 確かにこの場合、無駄なエネルギーを使うよりおとなしくしてこらえるのが一番得策である。

 さすが理奈姉さん、合理的である。

 そう思っていたら先ほどまでの足音が戻ってきた。

 『ちょっと理奈!それをどうするつもり!?』

 『こうするのよ!』

 扉に衝撃が走り何かの先端が突き抜けてきた。

 さらに繰り返され突き出てきたものが斧であることが分かった。

 そして穴が大きくなっていく。

 その切れ目から、こちらをのぞき込む目が現れた。

「キャー!」

「姉の登場!」

 映画のワンシーン!

「ダメだって! というかそのセリフ言いたかっただけでしょ!」

 その隙間から手を伸ばし扉のロックを解除しにかかる。

 カチャっという音とともにドアが開いた。




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