第1部 第9章

 焼けた大地と木々が燃える中、一番大きな樹木によりかかる形で座っていた。

 「………こんなことも、あるんだな。」

 息も絶え絶えだが自分がまだ生きていることを実感する。

 爆破の瞬間———。


 地面に次元の入口を作り、体ごと転移した。


 正直、命と引き換えるつもりでやったのだが、思わぬことが起きた。

 今まで死闘を繰り広げていたクリスタル人形に救われたのだ。

 最初は、魔法発動に感づいて止めるために突進してきたのかと思ったが、爆発の余波から身を挺して庇われたのだ。

 おかげで全身やけど程度だ。

 「………ちょうど、左側を焼いてくれたとは、ご丁寧に感謝の言葉を述べたいくらいだよ。」

 腕の欠損部分からの出血が止まっている。

 が、もう貧血気味で正直、思考がまとまらない。

 意識を失う前に血液の供給をしておかないと非常にまずいことは本能的に理解していた。

 すでにお腹に開いた穴の次元魔法は切れている。

 着ている服に、血が広がっていく。

 頭に酸素が回っていないのか意識が薄くなってきていた。

 早く行動しなければまずい。

 次元の出口を開いて予備として持っていた血液パックを木の枝にかける。

 管を伸ばして輸血の準備を整える。


 ———が、最後の針先が歪んで見えない。


 視野も暗転してきて動脈が見えない。

 ここまでかな………。

 閉じかかる視界の中にあの気に入らない姿が見えた。

 「はあ。世話が焼けるね。焼けるのは体だけにしてくれない?」

 こんな状況で言われる皮肉は虫唾が走る感覚だ。

 が、もう限界だ。

 口だけでなく、瞼も開けない。

 「仕方ないねぇ。」

 右腕にわずかな痛みが走る。

 そして、お腹の穴に何かの布を突っ込まれる感覚があった。

 「あ、あとこっちもいっとこうか?」

 答える間を与えずさらに何かが注射された。

 「ペニシリンさ。輸血だけじゃ足りないからね。それじゃあね。」

 そういうと、気配が消えていった。

 なんなんだよ、全く。

 が、少なくともいろいろと九死に一生を得た状況だ。

 安心したせいで、強烈な眠気が襲ってきた。

 もう指の一本も動かせない。

 まどろみに意識が落ちていった。

 こんな時だからだろうか。

 昔のことを思い出す。




 いまから三年前。

 護衛任務から解放されコロニーの防衛線の仕事について間もないころだった。

 本来なら、防衛局就任時は特例を除いてオペレータの仕事を任される。

 必要な事項を学びながら徐々に、前線に投入されることになっている。

 しかし、僕は就任してすぐに前線入りとなった。

 上層部からの圧力があったらしい。

 まあ、どうでもいいけど。

 面倒ごとは昔から嫌いだ。

 当時は、勤務時間が変わる当直制になれていなかった。

 睡眠がうまく取れなくて防衛線にある拠点で寝ぼけていた。

 あくびをして退屈な時間を過ごしていた時だった。

 急に通信が入り、防衛線を越える人影が見えるとの連絡が入った。

 頭は寝ぼけて通信の内容もあいまいだったが、緊迫しているのは声でわかった。

 対象が、第一次防衛ラインを踏み越えたらしく、警告を出しても無反応で向かってくるとのことだったので座標を聞き出し、現地へ向かった。

 座標に次元魔法で飛ぶと当該する人物をすぐ見つけられた。

 民族的な衣装なのか、それとも砂漠の熱を逃がすためなのか、薄地の布を羽織ながら歩いている人物を見つけた。

 「おい、ここはコロニー3の防衛線の第一防衛ラインを過ぎたところだぞ。すぐに引き返さないと殺されるぞ?」

 が、反応を示さない。

 大丈夫か?と訝しんだ時、当該人物が倒れたのだ。

 駆け寄ると、体が痙攣し始めた。

 そっと触れると体が熱くなっていた。

 推察するに、この砂漠地帯を抜けてここまで来たとするなら、熱中症が疑われる。

 警告に対して無反応だったことから意識の混濁によるものだろう。

 すぐに木陰に移し、水分を与えなければならないが、そもそもここに遮蔽物は存在しない。

 仕方がないので、回線を通して防衛局中央司令部のオペレータにつなぐ。

 「迷い込んだ羊を確保したものの意識障害を起こしている。すぐに治療しなければならない。これから東ブロックの商業施設に移送する。エリア防衛を別なものに頼む、以上。」

 オペレータからは、苦情が上がりそうだったが一方的に切った。

 困ったときはお互い様だ。

 だから後で当直長にお叱りを受けないようにソフトな伝達を頼む。マジで。

 次元魔法で転移して、東ブロックの住み慣れた空き家に入る。

 ここは、僕が家に居づらいときに逃げている場所だ。

 簡素なものしかないが広く、ベッドなどがおかれている。

 そっとベッドに横にさせ、常備していた冷却シートをオデコに貼ってあげる。

 介抱のために、ベッドに寝させていた体を抱きかかえるようにして上体を起こしてあげる。

 先ほどまで慌てていたので相手をよく見ていなかったが、色白というより蒼白に近い肌で髪や眉なども白い女性だった。

 一瞬、見とれていたが気を取り直す。

 しかし今後の問題がある。


 ———ここは水がない。


 商業地区もこの時間はやっていない。

 あくまでトイレがあるだけで、これといって生活できる空間ではないのだ。

 本来であれば医者に見せるべきだろうが、市民権のないものをコロニー内に移すことはできない。

 仕方がない。懐にしまっておいたナイフを自分の左手に充てそのまま切る。

 当然、斬った部分から血が流れるので彼女の口元に運ぶ。

 「ごめんな、今はこれしかできないんだ。」

 飲料水を生み出す魔法使いも存在するが、ここにはいない。

 本来であれば、血だって感染症などの危険もあるが、剣崎と理奈姉さんが自分の血をよく飲んでいたのでおそらく大丈夫だろう。………モスキート系女子がいて助かったと思えるのは初めてのことだ。

 タオルで顔の汗をぬぐってあげる。

 未だにつらそうな顔だが今できる最善をしているつもりだ。

 しかし先ほどに比べると呼吸も落ち着き、体温も安定してきている。

 もう少し状態が落ち着いたら、商業人のところに行き、水を買いに行こう。状況を説明すれば、東ブロックの人たちは融通してくれるはずだ。

 と、思った時だ。

「あ、ああああああああああ!」

 様態が急変したのだ。

 悲鳴じみた声が響いたと思った瞬間に———


 ———左掌を噛まれた。


「痛っ!」

 無意識下でかなり強く噛まれ、噛みつかれている部分諸々引き裂かれてしまった。

 出血は慣れているので、一旦上体を横に戻し、近くにあったタオルを患部に重点的に当て、押すようにして、その上から包帯を巻きつけ止血をすぐに行った。

 それと幸運だったことに、今は戦闘服を着ている。

 この服を着用していると傷を自動的に回復する効果がある。

 なぜならこの軍服は、所属時に自分の皮膚、骨、髪の毛、血をベースにして作られるもので、魔法の行使や被ダメ、回復効果なども付与されている優れものだ。

 この技術は四乃宮家が代々携わってきた事業なので、シュガーからことさら詳しく説明された。

 だから、こんな噛み傷程度であれば、傷跡は残るが出血や切り傷などは即座に治る。

 ベッドに戻るとさらに異変が起きていた。横にしていた女性が尋常じゃない苦しみで悶えていたのだ。

 そして、腹部を抑えるようにして悶えていた。

 もう一度、状態を確認すると、運んでる時には気が付かなかったがお腹が膨らんでいたのだ。

「妊娠していたのか………。」

 これは、さすがに自分の範疇を越えている。

 すぐにシュガーに連絡を取り、必要なものを四乃宮邸で用意して自分も一旦、邸宅に戻り、一緒にタオルやお湯を沸かした。

 砂漠地帯を抜け脱水症状まで起こしていたので、死産を覚悟していた。

 それでも、できることはしなければ。せめて母親だけでも。

 シュガーと一緒に戻ると、ドア前でシュガーに門前払いされた。

 「仕事にお戻りください。後は私の仕事です。」

 そう言われて、隠れ小屋から追い出され、手持無沙汰になってしまった。

 あの母親のことが、心配になったが僕には何もできないのでシュガーに全部託すしかない。

 とりあえず、放置していたオペレータに事情を説明しようとしたところで、当直の司令官からお叱りの言葉を受けた。

「持ち場を放置していなくなるとはどういうことだ!」

 おっしゃる通り………。

 指令室ではレーダー監視しているので強襲時には、ワンコールで次元移動してすぐ戻れるようにしていたが、司令部にも対面がある。

 結局、始末書という面倒なことになった。

 とりあえず、シュガーに断りを入れて持ち場に戻り、勤務時間が過ぎた後、もう一度隠れ小屋に戻った。


 そこには、シュガーに抱かれる赤子がいた。


 特徴的なのが、母親に似て肌が異常なほど白く、色素を持たないアルビノのような見た目であった。

 その他にも小さな黒い角が二本オデコ付近から出ていた。

 母親の方というと、体力の限界を超えていたのか静かに眠っていた。

 昼間の状態から比較すると、非常に落ち着いている。

 二つの命が助かって、よかったと胸をなでおろした。

 そんな僕を見て、シュガーは微笑んでいた。

「おそようございます、パパ上。」

「遅くなってごめん。あと誰がパパ上か。」

「静かにしてください。お二人とも今、眠ったところです。起こさないように。」

「………ごめんなさい。」

「本日、私はここで寝泊まりします。なので、邸宅の方は、お三方で食事の用意をお願います。」

「わかったよ。冷蔵庫に入っているものであれば使っていいんだよね?」

「はい、構いません。」

「わかった。頼りにして申し訳ないけど、よろしく頼みます。」

「お任せください。」

 そういって、隠れ小屋を後にして邸宅に戻った。




 二人のシスターズからは、『外食、外食!』とせがまれたが約束は約束なので、晩御飯は僕の手料理になり、ブーイングが巻き起こった。

 二人はなぜかシュガーがいない時の一致団結が半端ない。

 チームとして僕が仲間外れになっている感があり、疎遠に思えてきて嫌な感じだ。

 まぁ、そうもいっていられない。

 夕飯はカレーにした。

 ルーは姉達でも好みが分かれる。

 真衣姉さんはベーモンド派、理奈姉さんはこくまれ派だ。

 なので、両方使ってブレンドする。

 ちなみに真衣姉さんは辛口派で、理奈姉さんは中辛派。僕も中辛派なので今回は中辛を採用する。

 さらに中に入れる具材だ。

 真衣姉さんからは、ジャガイモを入れないこと。

 理奈姉さんからは、お肉は鶏肉にすること。

 要望がいちいち、めんどい。

 とりあえず、要望通りに作ったが、

 『平凡な味ね。Coco弐を見習いなさい。』

 『インパクトがないわ。like屋でもうまい牛肉カレーが出てくるわ。』

 散々な言われようである。

 シュガーの気持ちが理解できそうだ。

 そのあと、食器を洗い戸棚に戻す。

 姉たちは片づけをやらないので必然僕がやることになる。片付いていなければ、後日帰ってくるシュガーからお叱りという名の鬼ごっこが待っている。それは絶対に回避しなければならない。

 明日の朝食の準備もしなければならないのでご飯とみそ汁の準備に取り掛かる。

 鍋に昆布から出汁をとるため弱火にかける。その間に、お米を水で研ぐ。研ぐ回数はいつもシュガーが4回行っていたので同じように4回行う。水の量はあえて少なめにする。うちでは、少し硬めの触感が姉たちにうけがいいのでそうしている。

 炊飯器にセットして、時間を入力してごはんの準備は完了。

 そして、ごはんの準備が終わってから、出汁の取れた昆布を取り出して、カットしたタマネギ、水で戻したわかめ、豆腐を順番に入れていく。出汁が沸騰して具材に火が通ってから味噌を溶いて馴染ませていく。最後に輪切りにした長ネギを入れて完成である。

 あとは、明日の朝、作ることにする。

 幸いにも明日の出勤時間は午後の16時からだ。午前中はある程度融通が利くので、今日の親子からいろいろお話を聞けることだろう。朝ごはんの支度をしてから向かうとしよう。そのため、今日できることをなるべくやっておく。

 次にお風呂にお湯を張っておく。

 三人の生活時間がバラバラなので入浴時間もバラバラだ。

 だが姉たちは入浴し終わると必ずリビング来てテレビを見る習性があるので二人が入ったことを確認できる。

 二人の入浴を確認後、僕も入りさっぱりしてから洗濯籠に入っている衣類を洗濯機に入れ、洗濯機のホースを湯舟に入れて洗濯開始を行う。

 さらに日中にシュガーが取り込んでおいた衣類にスチームアイロンをかけて姉二人、シュガー、そして僕の衣類に分類わけをする。分けたものをそれぞれの部屋に運び、タンスの中に収納していく。収納するために入った各姉の部屋で、組み手とマッサージを要求されて律儀に応じてしまう僕が悲しくなってくる。

 洗濯機の終了と共に中の衣類を回収して、夜のうちに外に干しておく。

 これで、今日のノルマは達成だ。

 ベッドに横になると、自然と感嘆の声が漏れた。

 忙しい一日だったがなんとか乗り越えた。

 でも、シュガーは付きっ切りであの親子の容態を見てくれている。

 それに比べれば自分のしていることの矮小さに飽き飽きしてしまうが、疲れてしまうものは仕方がないのだ。

 今は、体を休めることに専念するべきだ。

 だが、今日の親子のことが脳裏から離れずにうまく寝ることができない。

 体は疲れているが、脳の思考回路は止まってくれない。

 これじゃあ、明日姉たちの朝の出勤時間に間に合わない。まあ、合わせる気がない人たちなので別にと思ってしまうが、そのことでシュガーに後々突っ込まれたくないのでしっかりと起きなければならない。

 ただ、心の中であの親子が無事であることを願うばかりである。

 そう思いながら瞼を閉じた。




 朝。

 寝坊すると思っていたが、起床時間通りに起きることができ、朝食の準備を滞りなく用意できた。前日のごはんとみそ汁に加えてソーセージと卵焼キャベツの千切りを各お皿並べて用意した。

 『普通。』

 『定番過ぎて面白みがない。』

 姉たちにはすごい言われようだったが………。

 ここで過ごしているからには処世術がある。

 そう、考えないようにすることだ。

 雨にも負けず、風にも負けず、姉達と姉達の辛辣な口調に負けず、無理難題を押し付けられても丈夫な精神力を保ち、いつも静かに嘆いている。そんな男に僕はなる。

 ………思っていても悲しくなる。

 思いをはせながら、三人分の食器を片付けて、地上東地区に向かう準備を進めていく。

 朝食を食べた姉たちは各部屋に戻っていった。

 が、真衣姉さんは結局出勤時間を守らず、遅い出発を平然としていた。

 理奈姉さんはリモートでの会議のため、出社ではなく部屋の画面に向き合っているころだろう。

 そうこうしている間に、準備を終わらせ地上東地区に向けて出発する。念のためシュガーに連絡を入れる。朝ご飯をそちらにもっていった方がいいのか、タオルなどの生活必需品等を持ってきた方がいいのかなどである。が、要らないとのこと。

 理由はついてから説明するとのことだった。

 地上東地区に向かうためのエレベータに乗り、地上に出る。

 毎回思うが、砂漠地方の明け方の気温はまだいいのだが、昼には約40度、夜間になれば5度くらいにまで冷え込む。地上東地区はシェルターに囲まれ、外界気温とは遮断されているものの完璧ではない。昼付近になると、30度くらい夜中は15度くらいの気温落差が発生する。シェルターの外よりは、マシだが厳しい環境であることには変わりない。その中でもこの地区の人たちは逞しく生きている。また、地上の防衛線からさらに向こう側、旧都市付近にまで行き、土壌の改善を行い、森林生育にも努めている。彼らがいるおかげでこの百年の間で地上の環境は改善されてきている。

 ここで旧都市とあるが、専用の装備がなければ入ることはできない。旧都市には昔の遺産があるとされているが、非常に放射線の線量が高い場所なのだ。どうして、高いのかはわからないが、地上のあらゆる旧都市は、線量が高く侵入することは難しいと、各コロニーから報告されている。

 そのうち解明されることを願うばかりだ。

 感慨に更けていたら隠れ小屋まですぐについてしまった。

 小屋の敷地に入り、入口の扉を開けようとした時だ。


 ドドドドドドドドド。


 奥からものすごい音を立てて何かが接近してくる。

 瞬間的に防御結界を張ってしまい、しまったと思ってしまった。

 ここにいるのは、あの親子とシュガーのみだ。

 勢いよく飛び出してきたら、防御結界で跳ね返してしまう。

 そう思っていた。

 勢いよく、扉が開かれ白い何かがそのまま突っ込んできた。


 ———そして防御結界が無残に壊れ、その衝撃を殺しきれず、僕は後ろのブロック塀を壊して地面にこすりつけられる形で意識を手放した。




 意識を取り戻したとき、見慣れた小屋の天井が目に入った。

 「お目覚めですか?」

 シュガーがこちらを気に掛けるようにのぞき込んでいた。

 「え、あ、うん。」

 おかしい、視界が真っ赤だ。

 体のあらゆるところが痛い。

 正直、何が起きたのか理解できないでいた。

 「僕、なんで横になってるの?」

 そんな質問をすると、シュガーから嘆息と、めんどくさそうな顔を向けられ、まずいこと言ったのかと、びくついたが違ったらしい。

 「横にいる方のタックルを食らったのです。」

 「横?」

 そこで初めて昨日助けた女性がいることに気が付いた。


 ———なぜか、涙目になって。


 「はぁ。全くどうして私の周りにいる方々は面倒ごとを起こすのでしょう。いっそすべて破壊してしまえば楽になるのでしょうか?」

 いかん!

 破壊神を誕生させてはいけない!

 「ごめんなさい。今度から気を付けます。」

 ここは謝罪による効果で一旦溜飲を下げてもらおう作戦開始!

 「いえ、あなたはもう少しわがままを言ってください。そうしなければ、あのバカシスターズが増長します。」

 選択肢間違えた!

 これはコンテニュー不可!

 セーブデータ全部消えた感覚だ。

 もう終わった。

 僕の青春はここで終わりを迎えた。

 せめて、画面の向こうのマナカとイチャイチャしたかった………。

「それでは、改めてこの方々のことを説明させていただきます。」

 終ってなかった!

 これはバットエンドに見せかけた選択肢成功だった!

 ラブラブでプラスなゲームはこれからだった!

 そんな思考をしていたらシュガーにものすごくにらまれた。

 いかんいかん。

 まじめに話してくれているところに水を差すわけにはいかない。

 「この方はしゃべることができません。正確には脳の一部に障害があるため、発声機能が働いていないと思われます。また、自分の名前もわからない状況です。」

 かなり切迫していた。

 それだと何もわからないも同義だ。

 「ただ、彼女の記憶中であなたのことは覚えているらしく、命の恩人であると認識しているみたいです。」

 ふむふむ。あの意識の混濁状態の中で僕を見ていた?のかな。

 「あと、かなり人懐っこい性格のようであなたの気配を感知した瞬間に飛び出していきました。」

 あ、うん。飛び出して超強力なタックルを食らったけどね。

 僕意外だったら死んでるね?

 いや、僕も死にかけたけどね?

 「それと子供の方も身体に異常なく元気です。これは奇跡ですね。」

 そうだよね。

 下手をしたら母子ともに亡くなっていた可能性が高い。

 そんな状況で二人とも何ともないなんて。

 「あと食事に関してですが、一般的な穀物などは食べません。食べるのは、血液中の魔力なります。」

 ふーん。

 これまた珍しい。剣崎郁美も血液を定期的に摂取する必要があるが、血液のみというのは、聞いたことがない。

 「また今のペースであれば一か月に最低一回。それも大体500㎖くらいで事足ります。」

 吸血種は特段珍しくない。しかし、その他の物を食べなくてもいいというのはどうなのだろうか。少なくとも体の維持に必要な栄養素を摂取しなければ生命の維持が危うくなる。

 「この人たちは珍しい種族です。体の物質は反物質で構成されています。なので、魔力さえ摂取していれば問題ありません。」

 反物質というのは、特定の物質に魔力があてられ、機能を書き換えられた物質?らしい。

 「そう……なのか?」

 僕自身、人種の進化で生まれた亜人種のことは知らない。その生態についても同じく知識がない。なので、信じるしかない。

 「しかし、声が出せないからといってコミュニケーションが取れないということはありません。身振り手振り、といったボディーランゲージはできますのでご心配なく。」

 なるほど。ではなぜ右側の腕にしがみついているのか?

 会話ができない以上、意図が読めない。

 「う~。」

 「先ほどは、すみません、うれしさのあまり加減ができませんでした。嫌いにならないでください。何でもしますので、クソ野郎。」

 ちょっと待て。

 「最後の方は、シュガーの思いが入っていなかった!? ホントにクソ野郎って言っていたの!?」

 「これくらいの翻訳もできないとは、頭が悪いですね。再教育も考えましょうか?」

 「すみません、クソで結構なので許してください。」

 再教育。

 つまり反省文の書き方から教わり、論点を簡潔にしながらも後味がよくなるような語彙を身に着けさせる地獄の3日間。国語辞典の単語を読み漁り、意味を一つ一つ覚えさせられ、その間睡眠は一切できず、終了後には頭が真っ白になると言われている伝説の教育だ。

 真衣姉さんは、途中で脱走を図ろうとして失敗して合計5日、理奈姉さんは手順通りに行ったが、終わった後倒れるように眠り丸一日起きてこなかった。僕も三日間後には倒れるように眠った。あの悪夢が蘇る。絶対にあれは回避しなければならないイベントだ。

 僕が悪夢を振り返っている間に、シュガーから提案が出た。

 「であれば、しばらくあなたがこの親子を助けながらここでの生活を教えなさい。」

 「え?」

 意外な言葉だった。

 いつもであれば、グチグチと小言が………。

 「私の株を下げるような思考をしたら、———わかっていますね?」

 思考を読まないでください。

 エスパー。エスパーなのか!?

 「ともかく、あなたが助けたのであれば助けた責任を取るべきだと言っているのです。」

 急にまじめに話さなくても………。

 「ぶっ殺すぞ!」

 だから思考を読まないで!

 「最後まで面倒を見なさいと言っているのです。」

 「責任って言われてもどうやって………。」

 「あなたはこれから2か月の間、ここに住んで、この親子を自活させなさいと言っているのです。」

 自活。

 つまりここでの生活を教えながら、自分たちでお金を稼いで生活できるようにさせろということか。

 であれば、話は見えた。

 「わかった。しばらくここからの出勤になると思うから荷物をまとめてくるよ。」

 「よろしい。それと育児に関して、この指南書にまとめてありますのでご参照ください。」

 そういって、分厚い教本を渡された。

 育児って、かなり大変なんだな。

 「ありがとう。今日は、午後出勤だから深夜帰りになると思う。だから夜の晩は僕がやることになると思う。」

 「育児を舐めないでくださいね? 深夜から朝、昼の授乳、それと疲労の蓄積、ストレスの発散時間がない。といった問題が山積みです。むしろ育休を取るべきかと。」

 「それはさすがにね………。これでも居候だし。それに使えるお金があった方がこの子たちのためになるし。」

 そういった時の、シュガーの顔が急変した。

 まるで痛みをこらえるような。

 温かいものを見るような。

 懐かしいものを見る目で。

 ………誰かに姿を重ねているような。

 「だからあなたはもう少しわがままになってもいいと言っているのですが。」

 「?」

 よくわからないが、どうやら何かお気に召さなかったようだ。

 「まあ、いいでしょう。それと授乳にはあなたの血液が必要です。あらかじめ血液パック等を用意しておくといいかもしれません。」

 ああ、そうか。そういう種族だったね。

 「いない時のために、用意しておくよ。」

 「以上です。あとはお二人で当番やら役割を決めておくとよいでしょう。」

 「ありがとう。助かったよ、シュガー。」

 「いえ。………あ。」

 なにか唐突に思い出し声を上げてシュガーが振り向いた。

 「まだ、このお二方に名前を付けていませんでした。」

 「名前?」

 「そうです。名前がなければどうするおつもりでしたか? おい、とか。お前、とか言うおつもりでしたか?」

 確かに、名前は必要だな。でも………。

 「それ、僕がつけるものなの?」

 「ほかに誰がいますか?」

 「………。」

 いやね、わかるけど。重要だよ?

 下手に名付けられないし。

 それに一方は記憶喪失だからなあ。

 「ここは、単純に考える方がよろしいと思われます。」

 「例えば?」

 「理奈様のしているゲームからとればよろしいかと。」

 「すごい安直な回答だね!?」

 「………そうですね。毎回ドデカい亀にさらわれるお姫様とかいかがでしょう。あのピンク色の。」

 「いや、それはダメな気がする。」

 横にいる人もすごいふくれっ面になってるし………。

 「では、その顔から。なんでも吸収してコピー能力を持っているピンクのポヨポヨした生物とか。」

 「それも独特だから。」

 もしかして、シュガーはネーミングセンスが皆無なのでは?

 そういっても、意見を出さなければ。

 「うーん。悩む。」

 確かに、姉さんから大なり小なり影響を受けている僕からすれば好きなキャラは多々いる。

 でも、いざってなると思考が止まるものなんだよなぁ。

 「うーん。」

 あと横でそんなキラキラした目でこっちを見ないでほしい。

 ネーミングセンスなんて皆無だし、人に名前なんて付けられる立場でもないし。

 「うだうだ言ってないでさっさと決めなさい。」

 業を煮やしたシュガーが急かしてくるが、こういったことはちゃんと決めた自分がいるのだ。許してください。

 が、一つだけ、候補があった。

 シリーズは4つあったが、その中でも思い出深いものがあった。

 当時やっていたゲーム機の中でも抜きんでてやりこんでいた記憶がある。

 その中に登場しているキャラが好きでたまらなかった。

 当初、敵だったが続編を通じていくうちにたまらなくなっていった。

 そのキャラが二人いるのだ。

 「よし、じゃあ、君の名前はカルミラ。子供はスミレにしよう。」




 目を開けると見知らぬ天井があった。

 記憶もあいまいでどうしてここにいるのかさえ分からない。

 ただわかっているのは、

 「やっぱ、ないよな。」

 左腕がないことだ。

 とりあえず、わかっていることを整理しよう。

 最後の記憶は森の中で気を失ったところまでだ。

 そして誰かがここまで運んでくれた。

 介抱してくれたのか、ベッドの上で掛布団まで用意してくれたようだ。

 転移した場所は昔、剣崎が誘拐された場所付近にゲートを開けた。

 故に、ここら辺に住んでいる住民といえば大体だが予想はつく。

 そのとき、ドアを開けて入ってくる音が聞こえた。


 「あ、起きましたか?」


 その声と顔には驚いた。

 「はは、また会うとは思わなかったけど変わりないようだね。」

 「お久しぶりですね、都木様。」

 「久しぶり。あと、ありがとう。ネイト。」

 研究者が着る白衣、寝不足なのか目の下に見える隈、そして片目にをかけた少女。

 ネイト=ダンタリオン。

 ネイトは、昔、この地方に来た時にお世話になった人だ。

 当時は、目の病にかかり失明に近い状態だったが、治療に成功して視界を開けるようになった。そのことで感謝されたが、こちらこそ衣食住を提供してもらった。

 「こちらに来るとは伺っておりませんでしたので、おもてなしができず申し訳ありません。」

 そういって、頭を下げてくるがこちらとしては申し訳ない気分になってくる。

 唐突に思いついた場所があの森で、さらにここまで運んでくれたことを思うとしのびない。

 「やめてくれ。申し訳ないのはこっちの方さ。いざこざで巻き込んでしまった。」

 「いえ、お役に立てたのであれば幸いであります。」

 昔から、何でこんな礼を尽くすのかわからない。

 僕なんかした?

 そんな思考を置いといて、重要なことを聞き出していかなければならない。

 「それで、僕はどのくらい眠っていた?」

 「およそ3日といったところでしょうか。」

 あれから3日も過ぎているのか。

 なら迅速に対応しなければならないな。

 「すまない。ここの近くのコロニー78のヘリポートを利用できないだろうか?」

 現状からしてすぐに行動に移さないといけない。しかし、今回の状況からして、コロニー3近傍に敵勢力が突然、現れることはあり得ない。

 どこかに拠点があるはずだが、付近にある不審な建物などは真衣姉さんの特務隊が日々調査している。

 だとすると考えられることは絞られる。

 コロニー3の座標は大体覚えているものの、他の目的地の座標を知らないと僕の次元の扉は意味をなさない。

 すぐにヘリポートを借りて調査しなくてはいけない。

 しかし、

 「それは難しいと思われます。」

 きっぱりと言われ、現状を理解するために何が起きているのか聞かなければならない。

 「ヘリポートがとばない理由があるのか?」

 「都木様が寝ている間に、緊急の案件が起きたからです。」

 「緊急?」

 「コロニー78と隣接する宗教国家アルカディアが進軍してきたからです。」




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