4.かっこいい

「ひどい。ひどいよ……」


 薄着で廊下を歩きながら、私はさめざめと泣いた。


「旦那様のところへ着くまでには泣き止むように。女の涙は殿方をえさせるものですよ」


 アギャットにたしなめられたけど、涙は止まる気配が無い。


「だって、ひどいじゃないですか。人をだまして娼婦にさせるだなんて……」

「あなたは娼婦でなくてメイド。ここは娼館ではなくメイド用の家」

「そんなの名目上でしょう!?」

「いいえ。明日から侍女としての仕事を覚えてもらいます。お勉強もしないとね。言葉遣いを正し、お作法を覚えなくては」

「娼婦にさせられるうえ勉強まで!?」

「使いの者が散々説明しましたし納得していたはず。それを今さら蒸し返すだなんてのはどちら?」

「な、納得!? 姉さ……、私が!?」

「『お顔が良いと評判の旦那様の相手なら喜んで』と二つ返事なさったのをお忘れ?」


(セリア姉さんなら言いそう……!)


 でも、彼女はそんな話なんてすっかり忘れて駆け落ちしたのだ。奔放ほんぽうすぎるセリアを心から呪う。


(ああ、でも)


 私は唇を噛む。


(ここで逃げ出したら残った家族全員、村を追い出だされてしまう。きっと)


 二人の妹たちの顔を思い浮かべる。セリア姉さんは奔放、私は淑女らしさが皆無。

 そんな姉二人を見てきたせいか、彼女たちは慎み深く敬虔だ。


(二人には幸せになってほしい)


 私は涙をぬぐい、覚悟を決めた。


(初めての相手がハンサムということだけが救いだわ)


 脚をすくませながらも(名目上の)客室へ入った。アギャットは扉を閉めてしまう。


 中は静かだった。屋敷中からかき集めたんじゃないかという数の蝋燭の火が室内を照らしている。天蓋てんがい付きの寝台が中央にどんと一つ置かれていた。


 その上に人の気配があって、私はまた涙を流し、震えだしてしまう。

 はちへびも怖くないのに、人間の男なんかに怯えている自分が情けない。


(えーい、妹たちのためだー!)


 意を決して顔を上げる。


「……!」


 一人の青年を前に、私は目を丸くさせた。


(か、かっこよすぎ……!)


 黒い髪。背は高く胸板は厚く鼻筋も通っている。

 もし街で見かけたら、誰しもが彼の足元にハンカチーフを投げるに違いない。(拾ってもらいたいからね)。


(かっこいい、けど)


 ハンサムなこと以上に私を驚かせる要素があった。


(こんな出迎え方ってある?)


 ナスヴェッタ家の当主様と思しき殿方は、寝台の上で腕組みをして立っていたのだ。自分が一番偉いと誇示するように。


(そりゃあ、偉いのは当たり前だけど、情緒もへったくれも無いな……)


 これではまるで決闘だ。夜伽が行われようとしているとはとても思えない。


「旦那様。お初目お目にかかります」


 とにかく、私は丁寧に頭を下げておいた。


「セリアと言ったか」


 闇の中、彼ににらみつけられたのが分かった。



 そしてこいつは、私を散々侮辱しやがったのだった。






「……●ソッ、あんにゃろー!」


 憎しみを込め、おけの底にリネンを叩きつける。石鹸水が派手にこぼれ、地面を濡らした。(洗濯は私の仕事ではないけれど、むしゃくしゃするのでやらせてもらっている)。


「まあ、力があるのね」


 洗濯物にあたる私の隣に、桶を持った一人のメイドがやって来た。

 おさげに眼鏡。昨日、意地悪そばかす娘の取り巻きをやっていた子だ。


「昨夜はどうだった?」


 彼女も腰を下ろし洗濯を始める。


「えっ!? あ、ああ……」


 「みにくいとののしられ抱いてもらえなかった」だなんて、恥ずかしくて言えやしない。


「もう腰が痛くてたまらないよ、あ、あはは……」


 彼女はくすくす笑い始めた。(お、見かけによらず品の無い話題もいけるか?)と思っていると、


「いいの。私はわかってるのよ。セリア」

「え?」

「私の名前はゾエ。……実はね、あの旦那様は誰とも寝ないのよ」



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