5.生きているといいけれど

「それって、どういう……」


 目をぱちくりさせていると、ゾエは眼鏡のレンズを光らせながら淡々と説明をしてくれた。


「こう見えて私はこの家ナスヴェッタのメイドになって久しいの。……奥様のエルマンガルド様には挨拶したでしょう? 彼女は由緒正しいお家の出自なのだけれど、この家を牛耳るおつもりなのよ。自分の権力を誇示するための一つがあの娼館。あれを建てる資金は奥様の実家が出したの。めかけの子をそこに追いやることによって当主のように振舞っているの」

「旦那様はなにも言わないの?」

「消極的なのよ。他人と関わりたくないのね、きっと」


 色々ごたついているんだなと思いながら、私はその話を聞いていた。


「……ねえ、客室あそこで実は何も起きていないってこと、ここの従者たちはみんな知っている?」


 尋ねると、彼女は静かにかぶりを振る。


「あなたと私と、あと何人かだけ。旦那様の夜のお相手をしていることになっている女の子たちだけよ。エルマンガルド様だって、旦那様が夜伽にうつつを抜かしていると思ってほくそ笑んでるわ」


 彼女はレンズの奥の目を細めた。


「へ、へえ……」

「このことは絶対に言いふらさないでね。そばかすの子には特にばれたくないのよ。実は私がこれっぽっちも特別扱いされていないってことがあの子に知られたら、きっといじめられちゃう」

「わかったよ」


 口をつぐむことが情報料になるのなら安いもんだ。


「ありがとう、セリア。……あら、素敵なリボンをしているのね。でも濡れてしまっているわ」

「ああ、これ」


 私はおけに突っ込んでいた右腕を持ち上げてみせる。すそが濡れてしまっていたが、ほどくわけにはいかなかった。


「言いふらさないでね。実は古傷があるんだ。昔、火事に遭っちゃって」

「今も痛むの?」


 彼女は眉をひそめた。


「ううん。心配されるようなことなんてもう一つも無いよ」


 秘密を共有する仲間に嘘をついていないことを証明するため、私は雑な洗濯を再開した。






 三日後、私はまた湯あみをさせられ、にやって来た。旦那様は、今夜もカウチで寝ろと言う。


(高価なカウチなんだろうけど腰が痛くなるんだよな)


 むしゃくしゃしてきて暗闇にパンチを繰り出す。


(……あっ)


 こぶしの先にあるものを見つけ、私は慌ててカウチを下りた。薄い寝間着の裾をはためかせ、ガラスのはめ込まれた窓に近づく。


(また!)


 窓枠によって四角にくり抜かれた夜空に、一筋の光が走った。


(もう流星群の季節かあ)


 冬の入り口に見られる流星群を、私は毎年心待ちにしている。今年はごたごたしていてうっかり忘れてしまったけれど、こうしてまた拝むことができた。

 胸の前で手を組み、星に願い事をする。


(セリア姉さんが元気でやっていますように。妹たちがお嫁に行けますように。……それから、あの男の子が元気でやってますように)


 ファーストネームも住んでいる場所も知らない男の子のために願う。

 そこではたと気付いた。あれは十年も前の出来事なのだ。彼はもう立派な成人男性になっているはず。


(生きているといいけれど……)


 リボンの上から右腕を擦った。生きてくれていたとしても、リボンなんかでは隠しきれないほどの痕が彼の身体に残っているに違いない。


「脱走するのはいいが足をすべらせるなよ」


 はっと振り返る。寝台の上で旦那様が上体を起こしたのがわかった。


「も、申し訳ありません。起こしましたか?」

「ああ。すっかり起こされた」


 彼はでかでかとため息をついた。


「そろそろ部屋に戻れ。エルマンガルド……、あの女狐ももう寝ただろうから」

「め、女狐……」

「言いつけるか?」


 ふ、と短いため息のような音がした。


(わ、笑ったのかな?)


 彼は寝台から窓のほうへ身を乗り出す。


「今……?」

「流星群です。私もさっき気付きました。きっと今夜が見頃です」

「もうそんな季節か」


 彼は敷物の上に下り立った。夜空を眺めるため私と並ぶ。

 蝋燭の明かりに彼の顔が照らされている。野を駆けまわる少年のように目をきらきらさせていた。


「星がお好きですか?」

「母とよく見ていたな」

「……そうですか」


 「母」という単語に反応しないよう心掛けた。きっと先代の妾のことだろう。


「私が妾の子どもだという噂は聞いたことがあるか?」

「……」


 迷った末、頷く。


「母は今、どこにいるかもわからない」

 彼の口ぶりは静かだった。

「ただ、彼女もこうして星を眺めてくれていたら、と思う」


 窓枠のずっと向こうに再び光が走った。彼は気付かない。


「……旦那様、よろしければ」



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