27. 物語

 夕食後、日藤が六畳間で読書にふけっていると、アシュレイが「何か物語を話してくれよ、きみだけずるいじゃないか」とせがんできた。彼は面倒そうにしていたが、ふと何かを思いついたように古本の山を漁りはじめた。

 ちゃぶ台の上にぽんと投げ出されたのは、『サロメ』の文庫本である。表紙には銀の盆に載った生首と、それを狂おしく抱いた少女サロメの姿。

「おっ、それは皮肉かい」

アシュレイは嬉々として目を見張った。

「読み聞かせしてやるよ。お前には似合いの話だろ」

「まあね、サロメは絶世の美少女らしいし。私も彼女に劣らない美人だと自負しているよ」

「いや、そっちじゃないだろ」

 生首はすっとぼけて言った。日藤は間髪入れず突っ込みを入れる。

「はいはい。でもヨカナーンは死んでるじゃないか。そんな生首と一緒にされちゃ困るよ」

「同じだろ。喋ることを除けば」

「死体の首だよ? そんなものにキスするなんて、サロメって相当クレイジーだったんだね」

 そんな彼女も魅力的だ。私にもキスしてくれないかな。滔々と戯言を口にする生首。それをよそに、日藤はふと思いついたように言葉を発した。

「いや、サロメはただの狂った女って訳でもない。これは俺の持論だが……」

 そうして彼は語り始めた。この話の大筋はこうだ。サロメは罪人のヨカナーンに恋をした。決して檻から出てこられない彼を手に入れるため、サロメは王の前で七つのヴェールの舞を踊り、褒美としてヨカナーンの首を手に入れた。サロメが愛する者にキスをすると、恐れ慄いた王は彼女を殺してしまう。

 殺されると分かっていても、サロメはヨカナーンを手に入れたかった。ゆえに彼女は、自らの命も相手の命も犠牲にして、狂おしき愛を成就したのだ。そう考えると、一連の凶行はサロメの強い意思の下になされ、その真摯な願いは見事成就したともいえる。

 日藤が語り終えると、アシュレイは「ふうん」と鼻を鳴らした。

「読書家の日藤くんらしいね。興味深い意見だ」

 それならさぁ。アシュレイは何気なく付け加えた。

「サロメをそんなに夢中にさせるなんて、ヨカナーンは実はとっても美しかったんじゃない?」

 それで、ヨカナーンの美しさをサロメだけが知っていたんだ。そう考えると、なかなか素敵なお話じゃないか。

 アシュレイの言葉を聞いて、日藤はしばし考え込むそぶりを見せた。そして不意に顔を上げると、ちゃぶ台の上の生首と目が合った。

 アシュレイは彼をまっすぐ見つめ返した。白銀の瞳は爛々と輝き、その言葉に嘘偽りのないことを示していた。日藤はしばらくそれを眺めていたが、やがてたじろいで目をそらす。気まずさを誤魔化すように、『サロメ』を手に取りページをめくる。

「それで、読み聞かせはどのシーンが良い」

「あっはは。いいの? じゃあ頭から通しで!」

「それじゃあ夜明けまでかかっても終わらんぞ」

 賑やかな会話とともに夜は更けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る