14. 月

「月見をしよう」

 アシュレイが唐突にそう言った。

「今宵は中秋の名月だそうじゃないか。美を解する者同士、たまには月を見上げて語るも一興だろう」

 日藤は長い付き合いから、この生首が言い出したら聞かない性質であることを知っていた。そのため彼は重い腰を上げて、月見の支度を始める。

 廊下に面した格子戸を開け放つと、庭の土壁越しの夜空に、金色の満月が光っている。缶酎ハイと柿ピーナツの袋を床に直置きし、彼は庭先に腰を下ろした。傍らには生首の入った鳥籠がある。

 月明かりのみがほのかに辺りを照らしていた。虫の声が静かな夜半に彩りを添える。

 アシュレイは一言も発さずに、ただ真っ直ぐに月を見つめている。淡い月光の下、その横顔はこの世ならず美しい。そしてこの眼差しだ。美しいものに接する時の、この真摯で生気に満ちた顔立ち。

 月を観賞する美しき生首を前に、日藤は酒を片手に思いを巡らす。この生首は、自分からは何一つ出来やしない。身体が存在しないのだから当然である。しかしその紡ぐ言葉は、飽くなき美学は、出会う人々を惹きつけてやまない引力となっている。

 なるほど、アシュレイはまるで月のようだ。世にあふれる美を映して、この人ならざる物体は目を輝かせるのだ。


「ん? 何だい、そんなに見つめて」

 アシュレイがふと日藤のほうを見やる。彼はどきりとしてそれを見つめ返す。両の瞳は白い月のごとく冴えて、虹彩はまるで湖面のようにさざなみ立っている。その吸い込まれそうな灰色の深淵、遠く不可知の虚無……。

「……おーい、どうした日藤くん? 顔色が良くないが」

 はっと我に帰ると、不思議そうな顔をしたアシュレイが彼を見上げていた。背を伝う冷や汗を感じながら、彼は震える声で言葉を返した。

「何でもない。少し酔いが回っただけだ」

 日藤は缶酎ハイを一気にあおった。冷え冷えとした月光が辺りを包んでいる。

 たしか、月は狂気を呼ぶ、だったか。酔いはすっかり醒めていた。

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