寒い寒くないではない

男はその死体と思われるものをずるずると引きずりながら、のろのろと進んでいた。白衣から分かるように、恐らく男は研究者か何かなのだろう。筋肉もないし、その貧弱な体では運ぶのはかなり大変そうだった。


僕も後をつけていくが、いかんせん草木が多いものだから音をたてないように細心の注意を払った。ここでばれると色々面倒くさいことになりそうだからな。


そうしてお互いにのろのろと進むこと30分、目の前に洞窟が現れた。入口が大きくぽっかりと空いた穴で、上から植物が垂れ下がっていた。


男はその洞窟の中にずかずかと入っていった。ここが目的地だったのだろうか。僕も後を追うように洞窟の中に入った。


洞窟の中には地面はなく、床が水になっているタイプの洞窟だった。水位もかなり深い。これでは奥に行くのは厳しいだろうと思った。


だが中には小舟がおいてあり、男はその小舟に死体と箱を乗っけると、自分も乗り込んでそのまま洞窟の奥に向かって漕ぎ始めた。ずいぶんと用意がいいものだ。事前に準備していたのだろう。


これでは後を追うことなどできない。こっそりついていくにも水音がしてしまう。水位も深いので泳いでいったらなおさらばれるに決まっている。


そんなことを考えているうちに男はみるみると遠ざかっていき、洞窟の奥の闇に消えた。


あの男は一体全体なんなんだ。ただ単に人を殺してしまっただけには見えなかった。薄汚れた白衣、謎の箱。気になることしかない。だが今追えるのはここまでで限界だろう。


こうなったら洞窟の外で待機して、男が出てきたら入れ違いで洞窟の中を見に行くしかないな。仕方がないので男が出てくるのを待つことにした。


男が洞窟の中に入ってしまったら、辺りはしんと静まり返った。虫の鳴き声くらいは聞こえたっていいのに、そんな音すら聞こえないほど無音だった。


聞こえるのは僕の呼吸音ぐらいだ。それも微々たるものだったが。


そんな静寂の中待つこと60分ほど。男が洞窟から出てきた。けれど持っていたのはスコップだけ。死体と思われるものも、謎の箱も持っていなかった。


そのまま男は行きより身軽になった体を動かし、トラックがある方に帰っていった。


男の姿が十分に見えなくなったのを確認すると、僕は洞窟の中に侵入した。中には男が使っていた小舟がちゃんと残っていた。


それに乗って、小舟をバシャバシャと漕いで奥に向かった。洞窟はじめじめとしていて、時折天井からしずくがポタポタと垂れていく音が聞こえる。


それをかき消すようにバシャバシャと水面を揺らして奥に向かっていった。5分くらい漕いでいると、だんだんと体が重くなっていくのを感じた。何かに押されているようで、吐きそうでもあった。


けれどもその程度で引き返すような僕ではない。速度を落とすことなく奥へ奥へと進んでいった。


だんだん視界も悪くなっていった。黒い靄のようなものが辺りを充満していった。そのせいで小舟を何度も壁にぶつけたが、男が進んでいったという確証もあるし、一本道だったので、何の疑問も抱かずに進んだ。


そうして漕ぐこと10分。ついに最奥にたどり着いた。


最奥というか、行き止まりの方が言葉的には近いのかもしれない。そこには水は引いていて、狭い公園くらいの小さなスペースしかなかった。


小舟を止めて、そのスペースに飛び乗った。


飛び乗った途端、視界がぐにゃっと歪む感覚に陥った。目がおかしくなったのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。


"空間"が歪んでいた。


まさに異常という言葉がふさわしい。そんな空間があった。


そこには死体を埋めたと思われる、掘り起こしたような跡があった。男が来たのはここで間違いない。


僕は素手で土をかき分け、掘り起こす。土はまぁまぁ硬かったが、好奇心という名の僕のスコップで時間をかけながら掘り起こした。


出てきたのは、死体と謎の箱。思った通りだ。死体なんて見たところで楽しいものではない。僕が興味を持っているのは箱の方だ。


死体は埋めたままで、箱だけを取り出した。さっそく開けてみる。


中には、妖しく光り輝く球体のようなものが入っていた。大きさはギリギリ手のひらに収まるくらい。ガラスでできているようにも見えるが、ガラスより曇っていて頑丈そうだ。濃い紫色と、薄い紫色が混ざったような色をしていて、中心はほとんど濁っていて何も見えない。


吸い込まれるような、つい目を奪われるような球体。まるで世界の心理を見たような気分だった。


僕はこの謎の球体をひどく気に入った。こんなにも僕を魅了するものがあっただろうか。一体全体何に使うものなのかすら見当がつかないが、持って帰ることにした。部屋にでも飾ろうか。


そう思い球を持ち上げようとしたが、かなり重い。ボウリングの球よりは軽いが、非力な自分にはかなり重く感じた。けれど、持って帰れないほどではない。落とさないように慎重に持って帰ることにした。


最奥から遠ざかるにつれ、どんどんと吐きそうだった気分もマシになってきて、空間が歪むなんてこともなくなった。


いったいあの場所は何だったのだろう。非日常といえば非日常だが、その言葉で片付けてしまうにはあまりにも異質すぎた。


また行きたいとも思わなかったが、この球は思いがけぬ収穫だった。上機嫌で洞窟を後にした。


とりあえずさっきのトラックのところまで戻ることにした。さすがにもうあの男はトラックで帰宅しただろう。となるとどう帰ったものか…なんて考えていたが、杞憂だった。


まだトラックがあった。あの男は迷子にでもなっているのだろうか。


好都合だ。行きと同じようにトラックの荷台に乗り込んで、男を待つことにした。男は30分ほど後に戻ってきた。


男はエンジンをつけると、再びトラックを走らせた。心なしか行きより景色が動くのが早いように感じた。


帰りは眠気もなかったので、暇をつぶすように洞窟で見つけた球を見つめていた。


これ、球という感じではないな。オーブといった方がなんかしっくりくる。そっちの方がかっこいいし。そう呼ぶことにしようかな。


オーブは引き込まれるような魅力があって、ずっと見ていても飽きなかった。


気づいたら朝、トラックに乗ったコンビニについていた。家の近くまでくればもうこのトラックと男に用はない。男がコンビニに入る隙にトラックから降りた。


トラックから降りると、体がかなり痛かった。まぁあんなに長時間トラックの荷台なんていう固いところにいればこうもなるか。


なんか色々疲れたな…。帰ってひと眠りしよう。


家に着くと、枕元にオーブを置いて、眠りについた。




■□■□■□■□




どっぷり眠って、時間はあっという間に21時。


我慢ならない。非日常。非日常が全然足りていないよ!オーブを手に入れたのはよかったが、今は非日常を摂取したい。


早く何かしらの非日常を摂取しなければ。ただ、簡単に非日常が思いついていたら苦労はしない。


思いつかないから、とりあえずまたユードリナに侵入するか…。気軽に取れて、かつスリルも効果力。カップラーメンみたいなものだ、僕にとっての。


そうと決まればユードリナに直行。ユードリナは変わらず営業していた。前回のように、3階の窓の外にぶら下がって、閉店時間までやり過ごして、閉店後、中に侵入。


ただ、最近侵入したばかりなので警備員にすぐに見つかった。警戒されていたのだろうか。


警備員が怒号を飛ばしてくる。例によって僕は3階の窓から華麗に飛び出して、逃げた。今回はすぐに見つかっちゃったな。あまり楽しめなかった。


前回と同じルートを辿って逃げていた、その時だった。


「ミチル………?」


聞き覚えしかない声。声の源に振り向くと、呆然と立ち尽くすナダラの姿がそこにはあった。


「ナダラ………」


最悪の再会だ。犯罪行為はしないと約束したのにもかかわらず、僕は好奇心に抗えず、いともたやすく約束を破った。そんな僕に待っているのは間違いなく絶縁の2文字だろう。


そんなことはわかりきっていた。わかりきっていたはずなのに、僕は非日常を前にすると視野が極端に狭くなる。ああ、最悪だ。またやってしまった。


「なんで約束を破ったんですか!私約束しましたよね?!犯罪に抵触しそうなものはやらないって!どうして……」


ナダラは涙目になりながら僕に感情をぶつけてきた。こんなに感情をむき出しにするナダラは初めて見た。当然か、僕がクズ過ぎたからな…。


「すまない…ナダラ…。約束は守ろうとしたんだ…。だけど感じていた非日常がどんどんと僕にとって日常になってきて…、僕の中から非日常が抜け落ちていくのが怖くてたまらなかった…!それでつい手を出してしまったんだ!

ごめんな…ナダラ…。本当に悪かった。僕は君の前から消えるよ、当然だ、約束を破ってしまったのだからな…。少しの間だけど楽しかったよ、ナダラ。」


潔くナダラの前から消えようとしたその時だった。急に僕は暖かいものに包まれていた。気が付くと僕はナダラに抱きしめられていた。ナダラは泣きながら力強く僕を抱きしめていた。


「ごめんなさい、辛かったですよね…。ミチルの欲望が他の人と違って歪んでいることは分かってました。それを知っていたのに、欲望を押しつぶすような対処をしてしまって。よく考えれば暴走することもわかりきっていたのに…。本当にごめんなさい。とりあえずここはユードリナに近いので少し離れましょうか。」


思わぬ返答が返ってきた。ナダラのやさしさにどうかしてしまいそうだ、本当に。こんなに理解を示してくれる人間なんて今後現れないんじゃないかと思ってしまうほどだ。


僕からも涙がボロボロと零れ落ちていく。墨汁のように黒く濁った心の闇が軽くなっていく気分だった。


ナダラに手を引かれ、僕、いや僕たちはユードリナから離れた。

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