帰り道の文谷さん
文谷さんは歩き方もゆっくりだ。
のっぺりと西の空に沈んでいく夕方の太陽に照らされながら、二人で帰り道を歩いている。
二人とも地元の中学校から同じだったため、方向は同じなのだ。
とはいってもクラスが同じになったのは今年が初めてなのだけれど。
だから彼女のことを本格的に知るようになったのはつい最近のことだ。
文谷さんは成績優秀で授業を真剣に受けているが、それ以外は掴みどころのない人だ。
独特な自分の世界を持っているように見えるし、つい可愛がってしまいたくなる愛嬌がある。
ふわふわ、ゆるゆる、ふにゃふにゃ。
見ているだけで脱力させられる癒し系の存在だ。
「ねえ、榊原くん」
隣を歩く文谷さんが間延びした声で話しかけてくる。
目を細めて、なんだかうれしそうだ。
彼女の歩き方は特徴的で、とんと大きく一歩を振り上げては、それをゆっくりと降ろす。
一歩踏み出す度に膝丈のスカートがふわりと翻る。
そのままくるくると踊りだしそうな不思議なリズム感がある。
「なに?」
「榊原くんは夕焼け、好き?」
「夕焼けかあ」
遠く空に浮かぶ夕日を眺める。
赤く揺らめくそれを見ていると、なんだか寂しい気持ちがする。
今日という日が終わってしまうことへのノスタルジーだろうか。
「見てると寂しくなるからあんまり」
「そうなんだ」
「文谷さんは?」
「私はねえ」
くるりと彼女は振り返る。
「好きだよ」
首を傾げていひひと文谷さんは笑った。
夕焼けが彼女を照らしてその頬を真っ赤に染めていた。
主語が抜けた言葉と、思わず一枚の絵画に切り取ってしまいたくなるような姿に言葉が詰まる。
「夕日がゆっくりと空の向こうに沈んでいって、カラスがかあって鳴いてて、少し切ない気持ちになるの。今日が終わって、皆が家路を急いでいて。ああ、一日がまた終わっちゃうんだなって」
いつになく饒舌な文谷さんは、後ろ手に腕を組んで伸びをしながら歩く。
小さな歩幅に合わせて、僕も自然とゆっくりとした歩調になっていく。
穏やかな時間の中で、カラスの声がかあと響いた。
「それに今日は隣に榊原くんがいるでしょ? いつもと違って特別だから、もっと嬉しいの」
「どうして?」
「うん?」
「どうして文谷さんは僕がいると特別だと思うの?」
それは純粋に疑問に思っていたことだった。
文谷さんが僕に対して見せる姿は、他の人よりも心を許してくれている……ように思える。
僕のうぬぼれでなければ、だけれど。
僕の言葉に対して、彼女はんー、と顎に人差し指を当てながら悩む素振りを見せた。
真剣に悩んでいるというよりは、どう答えようかとのんきに考えているようだった。
なんというかねー、と彼女は首を傾げる。
「私ってこんなじゃん? 周りの皆からずれてるのかなあ。だから大切にしてくれる人はね、特別なの」
彼女なりに自覚はあったらしい。
確かに彼女は周りとは違った雰囲気がある。けれどそれは悪い意味ではない。少なくとも僕にとって彼女のふにゃふにゃとした雰囲気は好ましいものだ。
でもそれは僕が抱く印象に過ぎず、彼女から見える世界はまた違うものなのだろう。
独特であるというのは、決していいことばかりではない。
それにね、と文谷さんは続けた。
「榊原くんは私を大切にしてくれる人の中でも、なんだか温かいんだあ。一緒にいると、心がふわふわしてくるの」
ふへえ、と脱力しきった猫のような笑顔を浮かべながら、ちょっと恥ずかしいねと彼女は言った。
言われた僕も僕で、思っていた以上にむず痒くなる言葉が返ってきて照れくさくなる。
友達に対して抱く印象としては少し重たく、親友と呼ぶには彼女と過ごした時間はあまりにも短い。
恋、というものとはまた違うだろう。
文谷さんのふやけた笑顔は、夕焼けの赤の奥にほんのりと桜色に色づいている。
彼女は気付いているだろうか。
その恥じらうような表情に当てられて、僕の頬もきっと赤くなっていることに。
人の好意をこうも正面からぶつけられるのは初めてだ。
僕は周りの人にとって興味を持たれる価値のない人間だと思っている。だからあまり人とも積極的に関わらないようにしていて、僕に対する印象を聞く機会も当然少なかった。
そんな僕が文谷さんに何故関わろうと思ったのかと言われれば、ただの気まぐれ、少し心配になったからに過ぎない。
そのはずだ。
なのにこんな正の感情に溢れた言葉を向けられるだなんて、想像もしていなかった。
文谷さんが笑う。
恋というものはよくわからない。わからないけれど。
心臓が熱に浮かされたようにときめくというのはこういうことか。
「榊原くん、夕日に向かって走ってみようよ」
「なんで?」
「青春って感じがしない?」
「わからないけど……」
「じゃあ競争ね。よーい、どーん」
「急だなあ」
突然夕日の方向に走り始めた文谷さんを追いかける。
追いかけるとは言っても、彼女の足はあまり速くないから数秒のうちに追いついて、それからすぐ彼女はへばってしまったのだけれど。
両ひざに手をついて息をする彼女は、僕を見上げて笑った。
「なんだか楽しいね!」
「……そうだね」
こんな日常も悪くはないかもしれない。
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