体育の文谷さん
文谷さんはとても運動が苦手だ。
現在の体育の授業は男女合同のフットサル、体育館でボールをころころと蹴り合っている。
サッカー部男子などはいいところを見せようと張り切っているが、僕の運動神経はそこまでよくないのでのんびりと眺める。
みんな元気なことだ。僕にそこまでする元気はない。
というよりもさっき文谷さんをお姫様抱っこしたことで色んなものがごっそりと消耗している。
皆の視線が何故だか生暖かい。クラスメイトにお姫様抱っこは見られていないと思ったのだけど、そんなことはなかったようだ。
しかし誰も『お前ら付き合ってんの?』みたいな囃し方をしてこない。犬や猫を見守るような優しい視線を感じる。
チーム分けも何が何やらわからないうちに文谷さんと同じチームにされていた。何故だ。
なにやら落ち着かない僕とは対照的に、文谷さんは周りの視線など全く気になっていない様子で運動している。
運動……ひたすらへなへなとボールを追いかけることを運動と言えば運動なのだろう。
ゲームのスピードについていけずに一度もボールに触れられていないが。
あれではフットサルではなくただのシャトルランだろう。
「文谷さん、パス!」
「わ、わあ」
見かねたチームメイトがころころと優しいパスを出す――が、文谷さんは驚いていなさそうな間延びした声を上げた。
なんだか嫌な予感がして文谷さんの傍に駆け寄る。
そして彼女がボールに触れた瞬間。
「わあ」
「危ない」
ボールに思い切り上から体重を掛けた文谷さんがつるんっと前のめりにひっくり返る。
見事なまでのこけっぷりだ、と見惚れる間もなく彼女と地面の間に体を割り込ませた。
「むぎゅ」
「あだっ」
胸にとんと軽い衝撃が走る。
思っていた以上に柔らかい音に目を開くと、僕の胸に頭を預けるように文谷さんが倒れこんでいた。
「痛くない……」
目をぎゅっと閉じていた文谷さんは、予想していた痛みが来なかったことを不審に思ったのか、ゆるゆると目を開く。
何が起きているのかを理解した彼女はぽかんと口を開けている。
「榊原くん?」
「大丈夫?」
「うん」
事態が飲み込めたのなら早く僕の上から退いてほしいのだけれど。周りがプレイを止めてまでじーっとこちらを見ている。
色恋好きな女子となればきゃーと黄色い歓声まで上げているのだ。
クラスの注目が全て僕達に集まっているといっても過言ではない。
だというのに文谷さんは眠そうな目で僕を見るばかりだ。
「くぅ……」
「ちょっと、寝ようとしないで。起きて」
体を起こすのではなく、ぽてんと僕の胸の上で寝ようとし始めた。
肩をゆすってもふにゃふにゃと寝ようとするのをやめない。
柔らかいものが当たっているから心臓に悪い。
自制心をフル動員しないとあらぬところが起き上がってしまいそうだ。
早くぼろが出ないうちに起き上がってくれ。
「おーい、そこ二人いちゃついてないで早く戻れー」
「いちゃついてないです」
「違うの……?」
「なんで残念そうなの?」
体育教師からの適当な注意を受けてなお動揺しない文谷さんは一体何を考えているんだ。
こら、さりげなく腕を腰に回すのをやめなさいコアラじゃないんだから。
しょんぼりとした目で見上げられると、悪いことをしていないのに罪悪感が湧いてくるからやめて欲しい。
「そんな子犬みたいな目をしてもダメです」
「えー」
「えーじゃなくて」
ようやくもぞもぞと体を起こし始めた文谷さんに少し安心する。
本当に彼女は一体どうしてこんなに僕に引っ付いてこようとするのか。
恥じらいを持ちなさい恥じらいを。
「と見せかけてくぅ」
「起きなさい」
「ああ」
もうどうしようもないので、両脇を持ち上げて何とか起こすことにした。
差し込んだ両手に伝わる柔らかさにどきりとしたけれど、それ以上に子どものような軽さに驚いた。
お姫様抱っこの時も思ったけれど、両手だけで持ち上げられるとは。
「私もちゃんと大人だよ」
「はいはい」
お互い高校二年生なのだから大人も何もないと思うのだけれど。
なぜか誇らしげな文谷さんに、小さく息を吐いてそっと降ろした。
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