隣の文谷さんは今日もふにゃふにゃ

星 高目

日向ぼっこでふにゃふにゃ


 僕には気になる人がいる。

 気になるとはいっても、別に恋愛感情があるとかそういうわけではない。

 ふらふらと危なっかしい子どもやペットの猫を見守るような感情だ。

 

 文谷 沙希ふみや さき。鎖骨の辺りまで伸ばした茶色っぽい髪に、いつも眠たげに半分閉じられた目、女子の中でもひときわ低い背丈が小動物感を醸し出す僕のクラスメイトだ。

 そんな見た目からか、文谷さんはクラスの女子からは世話が焼ける妹のように接されている。

 文谷さんはいつ見ても眠たそうだ。

 どの授業でも眠たげなその目がゆっくりと瞬きを始めるたびに、いつ眠りに落ちるのか気が気でならない。

 しかしそれでいて、授業中は眠らず成績優秀なのだから不思議なものである。

 ただ昼休み、ご飯を食べた後の時間は少し違った光景が見られる。

 彼女はコンビニで買ったのだろうおにぎり一つをむにゃむにゃとゆっくり食べる。

 その様子はまるでリスの食事をスロー再生で見ているようだ。一口は小さく、少しずつおにぎりの先端からかじっていく。

 むにゃむにゃ、もぐもぐ。そんな擬音が聞こえてきそうな様子。

 僕が弁当を食べ終えるくらいにちょうど彼女も食べ終わるくらいだから、スローペースにもほどがある。

 そして文谷さんはふらりと教室を一人で出ていくのだ。


 文谷さんの行き先は日の当たる中庭だ。

 彼女はそこで特に日当たりのいいベンチに座って、船を漕ぐ。

 これは僕がわざわざ彼女の後を追いかけたとかではなく、ある日たまたま見かけただけだ。

 それで気になって観察すると、次の日も、その次の日も彼女はそこで寝ていた。

 流石に雨の日は居なかったけれど。

 ぽかぽかと日の光を浴びながら、彼女は気持ちよさそうに眠る。

 隣にはなぜか野良猫が陣取っていて、文谷さんはそれを撫でながら眠るのだ。

 野良猫もまた目を閉じてごろごろと喉を鳴らしながら眠っている。

 たまにこの中にスズメのような小鳥が混ざることもある。

 この光景を切り取って一枚の絵画にすれば、『穏やかな陽だまりの中で』とでも題名を付けられるだろう。

 とてものどかで、見ているこちらも心が安らぐ。

 しかしずっと見ているわけにもいかない。

 なぜなら放っておけば文谷さんはたまに次の授業に遅れてくるからだ。

 成績がいいから許されているけれど、何回も積み重ねていけば流石に先生も堪忍袋の緒が切れる。

 加えて今日は次の授業が体育だ。着替える分早く行かなくてはならない。


 というわけで僕は彼女を起こしに行く。

 気持ちよさそうに口元を緩めて、片手で猫のもふもふした毛の感触を堪能したまま眠っている文谷さんを眺める。

 平和で、可愛らしい光景だ。

 惜しいことに、起こさなければならないけれど。

 僕の足音を察知して、猫がぴくぴくと耳を動かした。そして体を起こし伸びをして去っていく。

 あの猫はどうしてか僕には懐いていない。


「文谷さん、起きて」


 声を掛けるが彼女は身じろぎ一つしない。

 これもいつものことだ。


「起きてー」


 今度は肩を揺らしながら声を掛ける。

 年頃の女子の体を触るのは自分でもどうかと思うけれど、こうしないと起きてくれないのだから仕方ない。

 こうするのにももう慣れたから、どきどきもあまりしない。


「ん……」


 ゆっくりと文谷さんが目を開く。ぼんやりとしたその瞳が僕を捉える。


「榊原くん……」

「次の授業体育だから早くしないと遅れるよ」

 

 ほら早く、というと文谷さんはふにゃんと蕩けた笑みを浮かべて僕に両手を伸ばした。

 完全に人間に心を許した猫のような笑みだ。警戒心というものを捨て去っている。


「つれてってー」

「え」


 いつもなら眠たげにしながらも付いてきてくれるのに、今日は一体どうしたことだろう。

 まるで親に抱っこをせがむ幼児のようだ。

 流石に抱っこはちょっと……嫌でも急がないと遅れるという思いが頭を巡る。

 そうこうしているうちに、窓の開け放たれた廊下が賑やかになる。

 恐らくクラスメイトが更衣室へ移動し始めたのだろう。

 時間はない。僕の思考は一つ狂った。


「わあー」


 文谷さんの肩、そして太ももにスカートの裾の上から手を通し、持ち上げる。

 所謂お姫様抱っこである。


「榊原くん力持ちだねえ」


 間延びした声で言われるけれども、見た目通りというか文谷さんは想像以上に軽かった。

 健康を心配するくらいには軽い。

 そのくせ体に密着する部分は、制服の上からでも温かいし柔らかいしで別の意味で大変だ。

 この歳でお姫様抱っこで運ばれるなんて恥ずかしいに違いない。たまには思い知ってほしい。

 そんな意趣返しの意図もあったのだけれど。


「このまま教室まで行くからね」

「うん、おねがいー」


 答える彼女の声はむしろ嬉しそうで、口元ももっと緩んでいる。

 そして運んでいる最中の周りの目線が痛い。ひそひそ声がとても気になる。

 そりゃあ学校で堂々とお姫様抱っこしている男女なんて目立って仕方ない。

 すれ違う先生も、抱えられているのが文谷さんだとわかると納得が行ったような顔で離れていくのは何故なんだ。


「ありがとう」


 教室について彼女を降ろすと、彼女は優しく笑いながら感謝を告げてきた。

 そしてとてとてと歩いて体操服を取りに向かった。

 歩けるんじゃないか、というツッコミをするのも馬鹿らしいほどに毒気を抜かれてしまった。

 そんなこんなでどうにか僕達は次の授業に間に合ったのだった。

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