第五話 八幡戦士の修行

「今年を末法建て直しのための起の年とする。起の数種は1である」


 早速八幡神の教示が始まった。

 それにしても八幡戦士としての修行は山寺にでもこもって行うのかと思ったが、そうではなかった。通常の生活をしながら修行をするいわゆる在家であった。

 ヒンジは自分の仕事を行いながらの状況に安堵したが、その分負担が大きくなることは当然と覚悟をしなければならなかった。何故なら教示は寝床に入ろうとしたときに突然のように始まることが多かったのだ。完全な寝不足状態である。


「数種は理を修するための基本である。まずはこれを理解する必要がある。数種の2は何だかわかるか?」


 1が起であるならその次に何を行えばよいかを考えた。しかし分からない。

「始動かな。きっとそうだ。スタートを切るのではないでしょうか」

 思い悩んで答えてみたものの自信はなかった。


「それはちと早すぎる。始動の数種は3である。始動させる前に、なさねばならぬことがある。それは整えである」

 余分なものはないか。必要なものはそろっているか。その均衡(バランス)は取れているのか。邪魔するものはないか等々を見極めて対処しておかなければならない。

 つまり始動する前の下準備ととらえればよいという。

 なるほどとヒンジは頷いた。


「ところで末法を建て直したいとの願いから今回の動きをするとの思いに至ったわけだが、この思いに至ったことは数種の何になるか?」

 1が起で2が整えで3が始動。そうであるなら1の前ということになるだろうと考えた。

「それは0でしょうか?」

 そう答えはしたものの0は何もない、いわゆる無の状態だろうとの思いもあり、これも回答として自信はなかった。


「それでよい」


「えっ!」

 まさかの肯定。八幡神の質問に正解した。素直に嬉しかった。


「ただ、0とは無であるが無ではない」

 また理解できない話になった。

「それは支離滅裂というか、しっちゃかめっちゃかと思うのですが・・」

 ヒンジはきちんと返答する言葉が思いつかなかった。そのためくだけた物言いで八幡神に問うた。それに対し八幡神は淡々と答えた。


「さもあらん。0とは極めて難しい概念である。

 何もないところに思いが出た。この思いを実行すれば数種は1から2を経て3となるが、その思いを取り消してしまえばそこは何もない元の状態のままである」


 ヒンジには何のことやらさっぱり分からない話であった。

「分かるように教えてください」

 当然の要求だ。


「例えばお前の前に何も書いてない1枚の紙があるとする。

 紙の表面は無である。

 するとお前はここへ字を書こうと思ったのだろう、墨の付いた筆を持った。

 次に字を書くための最初の1点、つまり書き始めの点を討つ場所を決める。

 筆を構え、いざ字を書く。

 字を書いたらそれは始動したことになるが、もし筆を戻したら、つまり実際に字を書かなかったら紙は何も書いていない元の無の状態のままである。

 思いがあるということは無ではないが取り消せば無になる。

 思いだけの段階では結局まだそれは無、つまり0の状態といえる。そういうことだ」


 説明がちょっと長かった。

 それにしてもややこしかった。

 とにかく理屈っぽかった。

 分かったような、分からないような。

 そこで言われたことを想像してみた。

 紙を前にして筆を持っている姿を思い浮かべた。文字を書こうと手を前に出す。次はその手を引っ込めてみる。紙の表面には何もない。つまり無の状態だ。

 何となくではあるが理解できそうに感じた。


「無とは多様な要素を含むが定まらぬものでもある。そこには様々な思いが交錯しているからだ。

 それにしてもこの思いがなければ何事も起こることがない。

 したがってこの思いは極めて重要なものであり、この思いのことを『てん』という。つまりみちびきなのだ。

 先ほど1種を起と申したが1種とはこの點が布されることである。従って起になるのだ」


 今回は0から3までの数種の教示があった。

「ありがとうございます。4以降についても考えてみます」

 この日の教示が終った。ヒンジは深い眠りについた。


 ヒンジの本業は木こりだが、その傍ら鍛冶の仕事もこなした。腕の良い職人として鍛冶の注文は結構多かった。包丁や鉈は作れば作っただけ売れた。良い評判を取っていたのだ。

 秋も深まったある日、空は青く澄み渡っていた。

 ヒンジは山仕事に出かけることとした。杉や檜の下枝を落とす枝打ちという作業である。

 杉などを良質な建築資材とするために欠かせない木こりとしての大事な作業である。この作業は一日仕事だ。

 ヒンジは作業に必要な道具一式と妻が作ってくれた弁当を持って山に向かった。落葉樹の葉はもうすっかり色づいていた。

「冬が近いな」

 作業する山に着くとヒンジは道具箱からビンを取り出した。そのビンの中には酒が入っている。

「山の神様、常日頃山の幸を頂いていることに感謝いたします。本日は枝打ち作業をいたしに参りました。山を傷めないよう、また作業が安全に行えるよう心いたします」

 そうつぶやくと地面に酒を注いだ。一度、二度、三度と注いだ。昔からの習わしとして教え習った作法で、山での作業に入る前に必ず行うヒンジの家系で伝え守られてきた儀式のようなものである。

 するとヒンジはあることに気が付いた。

「今俺は酒を三度注いだ。これは山の神への感謝の気持ちを始動させるためなのか。つまり山の神にこちらの気持ちを伝えるための意思表示の行動を実際にとったということなのか」

 3の数種の意が頭をよぎった。ヒンジは数種を知らないうちに実践している現実に驚いた。すると突然声が聞こえた。


「古人は自然体で数種をとらえていたんだよ。それを感謝の心を表す儀式に用いてきた。尊いことだ」


 夜ではないのに八幡神の声が聞こえてきた。そのことに感動したせいなのか何だか分からないが身震いがした。ならばとヒンジは直感的に思い浮かんだ疑問を質問した。

「何となくなのですが、3種にはもっと他にも別の意があるように感じるのですが、如何でしょうか?」

 ヒンジの質問に八幡神が聞いてきた。


「例えば?」

 急にそう言われても突然に沸いた疑問だったので、ヒンジは例を挙げることが出来なかった。


「そのように疑問を持って深きところを探ってみる、考えてみることは良きことである。大いに悩んでみなさい」

「ありがとうございます。そのように努めます」

 3種に別の意があるかの答えはもらえなかったが、その可能性を否定しない返事だったと思えた。

 それにしても八幡神は自分の動向を常に見守ってくれていると感じありがたく思えた。

 本来ならば他人に何時も見られているような状況であるならば、それは煩わしいだけで文句のひとつも言うところであるが、八幡神に対しては全くそのような感情は起こらなかった。その心の在り様に不思議な感覚を覚えた。


 ヒンジは枝打ちの作業に取り掛かった。仕事は順調に進んで気分もよかった。日差しがやや西に傾き始めた。

「お昼にするか」

 弁当を取り出しおもむろに頬張った。やっぱり山で食う飯は美味い。沢の水も美味かった。

 昼飯を食べ終わりゴロンと横になった。澄み切った青い空に雲がゆっくり流れている。

「この天気なら今日は一日雨など降らないな。午後も仕事がはかどりそうだ」

 そんなことを思いながら一息ついているときに、ふっと3種の別の意味について考えた。

「3で成るものがあるよな。たまに仏法僧って言葉を聞くけどよく分からんし、三位一体も良く分からん。3か~。俺みたいな凡人にももっとよくわかる何かがないかな」

 随分と長い時間、考え悩んでいたがこれといって分かりやすいものは思い浮かばなかった。

「そのうち何か分かればな」

 ヒンジは気楽に構えることとし、午後の作業に取り掛かった。


 ヒンジが行う枝打ち作業の方法は、一度木に上ると枝打ちが終わっても地面には下りず、隣の木に飛び移って作業するという方法だった。この方法はヒンジの祖父から引き継いだ作業方法で、作業時間の短縮にも繋がり効果的だった。


 作業は午後も順調で残すところあと一本となった。その一本に飛び移ろうとしたとき事故が起こった。

 木の先端を揺らすために足を掛けていた枝が折れてしまったのだ。

 枝を折ってしまうこんなミスはこれまでしたことがなかった。

 ヒンジはバランスを崩し片手で木の先端にぶら下がった状態だ。隣の木には手が届かない。

 どうしたものか、このアンバランスな状態では再び自分のいる木を揺らすことはできそうもない。これはやばいぞと思ったその時だった。やや強めの風が突然吹いて、最後に枝打ち作業をする予定だった隣の木の先端が自分の方に揺れてきたのだ。ヒンジはすかさずその木を掴んだ。

「助かった。もうだめかと思った!」

 ヒンジは最後の一本の木に移り、枝打ちの作業も行い下へ降りた。

 それにしてもこんなに穏やかな天気なのに、さっきは何故あんな風が吹いたのだろうと不思議だった。それもあんなミスをしたその時に。そんな偶然などあるのかと訳が分からなかった。


「手当をしたのだよ」


 八幡神の声が聞こえた。


「ヒンジよ。そなたは今命の危険を感じ苦しんでいた。そなたは我と共に生きていることを自覚し、そのことを命の掛場とすると明言した。何故そのものを見捨てることが出来ようぞ」


 ヒンジは天を仰いだ。八幡神の言葉が胸に詰まった。

 あの風は偶然などではなかった。八幡神が吹かせたという。まだ何の役にも立っていない自分をこのように見守ってくれて、危機に際しては手を差し伸べてくれる。世間ではこの現象を奇跡というのだろうと思った。そして実際自分の身の上でその奇跡が起こった。

「ありがとうございました。命拾いをしました」

 ヒンジは両の手を胸の前で合わせ深くお辞儀をして心から感謝の意を伝えた。


「同じ過ちでの二度目はないと心得よ」


 同じ失敗を繰り返すことは職人として恥ずかしい。何故枝が折れたのか、その原因をしっかり追究し同じ失敗をしないことが恩返しになると自分に言い聞かせ、ヒンジはもう一度お礼を言った。

「八幡さん、本当にありがとうございました。同じ過ちを二度と犯さないよう心します」


 ヒンジは「八幡様」ではなく「八幡さん」と呼んだ。自然とそう呼んでしまった。そのことにヒンジは気が付いた。ヒンジの八幡神を慕う心がそう呼ばせたのだろうか。それとも八幡神がそう仕向けたのだろうか。それは分からない。ただこれからはこの呼び方でいきたいと思った。

 一つの問いかけに答えが出た。

 何となくだが、八幡神はその呼び方を受け入れてくれていると感じた。

 それが嬉しかった。

 ヒンジは枝打ちで下に落とした枝を片付け、一日の作業を終えた。そして山の神に向かってお礼を申し上げ帰路についた。


 家路の途中、やはり3について考えていた。ふと西の空に目をやった。空を夕日が朱色に染めている。奇麗だ。自然が織りなす色様は何故こんなに美しいのかと今更のように思えた。

 ふと足元を見た。

 土を踏みしめる音が聞こえる。自分の足音だ。これらが合わさって一つの考えがひらめいた。

「空。つまりこれは天だ。足元にはしっかり歩くことが出来る大地がある。この大地があって木や草が命を育んでいる。動物だってそうだ。今その大地を歩いているのは自分だ。天と地と自分だ。これも3なのではないだろうか」

 このひらめきを八幡神に問いたくなった。答えてくれるかどうかは分からないが、それでも聞いてみた。


「大事な着眼点である。天と地と人と、である。このことを三輝という」


 答えが返ってきた。

「人が天と地と共に並んでひとつの輝となれるのですか?」

 自らを振り返れば未熟であることが明らかである。天と地と、つまりは神と同じ土俵の上に自分が立てるなど恐れ多く、思いもよらぬことと思えた。


「勿論だ。この三者が三つにともえることこそがこれからの成り立ちにとって大事なことなのだ。

 この三者が一意、つまりは同じ目的に向かって同動とあればこれを『三輝一動』という。

 天が上で人が下という住み分けはない。互いに同等の立場である。

 八幡宮の紋を知っているか。左三つ巴ぞ」


 ヒンジは地元の八幡神社に左三つ巴の紋があることを思い出した。びっくりした。まさかあの火の玉のような図柄の中のひとつが人を意味しているとは思いもよらなかった。


「ヒンジよ。そなたに初めて声をかけた時、共に行動をとることが出来るかと尋ねたことを覚えているか。その時のそなたの返答にそなたが三輝の中の一つの輝と灌頂されたのだ」


 あのときの言葉は今も鮮明に思い出すことが出来る。ものすごく不思議な体験であって、忘れようはずもなかった。

 あの話の通りで行けるのであれば、恐れ多くもそれは頷ける話であると思えた。


「3の意味合いについては、これからも追々教示してまいろう」


 八幡神はそう締めくくった。

 ヒンジは家路を急いだ。ヒンジの家にはすでに明かりが灯っていた。



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