辰川竜太の場合
なーんかもう、どうでもいいかな。
そう思ってしまった
――はずだった。
気が付いたら竜太は悪魔としか言いようのない生き物に囲まれ、檻に入れられ、あれよあれよと言う間にどこか排他的なゴシック風味の夫婦にお買い上げされていた。ヴィジュアル系というかゴシック調というか、まぁ、そんな感じに全身がひらひらで黒っぽい。
男らしき人物(?)は、今は懐かしきブラウン管テレビのような頭をしている。画面にはずっと砂嵐が表示されていて、時折心電図のようなものがぴこんぴこんと脈打っていた。黒いスーツ姿で葬式にでも行ってきた帰りなのかと錯覚しそうだ。
それに寄り添う女らしき人物(?)は、大きな真っ黒の薔薇の頭。服装は古めかしいゴシックドレス。
そんな二人(?)にお買い上げされた竜太は狭苦しい箱に入れられガタゴトと運ばれてきたのが二人の住む屋敷。
あちこち箱の中でぶつけながら聞いていたところ、竜太はどうやら娘のための手土産らしい。喋っていたのは二人の御付きの小さな悪魔と言えば思い浮かべられるような容姿をした生き物だけだったが、時折テレビの砂嵐のような音やなにを言っているのかはわからないが甲高い謎の鳴き声のような音もしていたから、もしかしたら夫婦も喋っていたのかもしれない。
どこから発声するのかは全くわからないが。
箱の揺れが収まって、久々の光に晒されたのは件の娘の部屋だった。
光と言っても箱の中よりは明るい程度で部屋の中は薄暗い。竜太は顔をしかめながら部屋の中を見回した。
重たいカーテンの閉まる窓、天井まで届く本棚とドレッサーのような机、タンスらしき家具、ベッドは天蓋付きのいわゆるお姫さまベッドだ。そのどれもが重苦しいゴシック調デザインで、少し竜太の気持ちを暗くさせた。
「だれ……? 帰って、来ないで、あっち行って!」
少し甲高い、それでも可憐なことがわかる少女の声に竜太は声の主を探した。
声はベッドの中から発せられていて、よくよく見れば布団がこんもりと盛り上がっている。
竜太が逃げられないように側についていた御付きの小さな悪魔が「お嬢さま」と布団に向かって声をかけた。
「旦那さまと奥さまからお土産でございます」
ぴこんぴこんと同意するような音がテレビ頭から聞こえる。
「莠コ髢薙′諱舌m縺励>縺ェ繧薙※縺薙�繧ャ繝ゥ繝エ繧。繝シ螳カ縺ョ繝「繝弱→縺励※諱・縺壹°縺励>繧�」
甲高い謎の鳴き声。やはり薔薇頭が喋っている声のようだ。竜太にはなにを言っているのか全くわからない。
「縺薙�莠コ髢薙r鬟溘∋繧九°鬟シ縺�°縺励※諷」繧後↑縺輔>」
「この人間は今よりお嬢さまの所有物です。食べるなり、飼うなり、お好きになさってください」
そこでようやく竜太は自分が購入された理由を知った。
(そうか、こいつら人間を食べるのか)
それを聞いても竜太は恐ろしいとも逃げ出したいとも思わなかった。ただひたすらに、もう疲れていたのだ。
最期に誰かのためになって死ぬのなら、確かに線路に飛び込んでたくさんの人々に迷惑をかけるよりずっといいのかもしれない。
しばらく隈の取れない目を異形頭夫婦に向け、そしてオジョウサマとやらがいるらしいベッドを見た。
布団の塊は嫌そうにもぞもぞと動いている。
「ひっ、に、人間……? いいいいいいいいやです! 怖い!」
「縺。繧�s縺ィ諷」繧後k縺ョ繧�」
「では、失礼いたします」
ぴここんっ、と少しだけ軽快な心電図音を最後に三人(?)は部屋から出ていった。竜太の後ろでぱたんと音を立てて無慈悲な扉が閉まる。
どうしたものか、と竜太は無精ひげを撫でる。そういえば髭剃りが手元になくてそのままだった、と今はどうでもいいことを考えた。
やることもないのでそっとベッドに近付く。食べられるのなら、すぐの方がいい。
布団の塊は未だに「嫌~、帰って~、怖い~」ともごもご悲鳴を上げている。
ねぇ、と小さく声をかけると、あからさまにびくりと布団が跳ねた。
「ななななななななななんでしょうか! ひっ、怖いっ、人間! 人間がわたしの部屋に!」
「あー、うん、ごめんね。勝手にお邪魔して」
「勝手なら帰って!?」
無論、竜太に今更帰る場所などない。
どうしたものかな、と考え、結局なにも浮かばないので布団の塊からできるだけ離れたベッドの端に座った。重みで少しだけベッドが傾くと、それに合わせてまた布団の塊が「ヒッ」と声を上げた。
ガリガリと頭を掻く。髪質が死んでいる。パッサパサだ。最後にちゃんと髪質に合ったちょっと高めのシャンプーで洗ったのはいつだっただろうか。
最近は烏の行水ばかりでゆっくり風呂に浸かった記憶もない。
食べられるのなら、清潔な方がいいだろうか。いや、気にするのなら向こうが丸洗いでもするだろう。そんなことをぼんやり考えながら天井を見上げる。
天井には蠟燭のようなものがいくつか浮いていた。火は着いていないから明るくないのかと納得する。
背後でもぞもぞと布団の塊が揺れる。
「うう、人間怖いって言ってるのにっ。どうしてあなたも逃げないの?」
ひょこりと布団に埋もれるようにして顔を出したのは鳥かごのような頭をした異形だった。細くて白いワイヤーが美しく絡み合って半円を組み合わせた円柱のような形を作り出している。
かごの中には橋渡しのように小枝が掛けられており、そこに緑鮮やかななにかの植物が蔦を這わせていた。
かごの底にこの暗がりでもキラキラと光るものが見えて、なんだろうと思って見ると、それは丸くて大きななにかの鱗のようだ。角度によって七色に光る薄青のそれは竜太の拳より少し小さいくらいで、三枚ほど散っているように見える。
天頂にはかごを覆うように薄い白レースがヴェールのように掛かっていた。
鳥かご頭の少女(?)は口もないのにどこからか発声しているようで、拗ねたような口調で竜太を責めた。
「逃げる……と、言ってもなぁ。行くとこないし」
「……」
「食べられるなら別に。もう死んでもいいかと思ってたところだからなぁ」
「……あなた、死ぬのが怖くないの?」
「どうでもいいかな、もう。疲れた」
「わ、わたしは怖いわ……人間も、死ぬのも、痛いのも」
「はは、それが普通なんじゃないかな」
視線を合わせず、なるべく少女の方を見ないように天井を眺めながらぽつぽつと話す。
少女は警戒が緩んだのか、更に少しだけ布団から顔を出した。
「違うことも怖いわ。人間なんて、生まれた世界すら違うもの」
「違うことが怖いのはみんな一緒じゃないか? 人間同士でもちょっとでも違うと糾弾されるなんてこと、よくあるし」
「怖い……人間怖い……」
「君、人間怖いっていうより他の人が怖いんじゃない?」
「……そう、なのかしら……」
多分、と竜太は肩をすくめる。まぁ、どちらであっても竜太には関係ないと言えばそうだ。
そもそも竜太はここに食べられるなり飼われるなりするために連れてこられたはずなので、彼女に同情したり仲良くなる必要もないはずが、なんとなく、彼女を気にかけている自分に気付いた。
生きることを諦めたくせに、割とあれこれと気になることが多い。というかやっぱりここは竜太の生きてきた世界とは違うのか、と頭の隅でぼんやりと考える。
少女はなにか考えているのか、(視線はわからないが何故かわかる気がする)竜太の横顔をじっと見つめて黙っている。
「まぁ……食べるならあんまり長く痛みを感じないように頭から行ってほしいかな。別に痛いのは好きではないし」
「……なんで食べられることに積極的なの」
「いやぁ、もうどうでもいいなぁって思っちゃって」
「どうして?」
「あー、両親が事故で急死してたらしくて」
「……らしい?」
「うん。どういうわけか連絡取れなかったみたいで。んで気付いたときには葬儀も終わってたし、俺の評判も地に落ちてた。あの息子は親不孝にもほどがあるって。そりゃ親が危篤だろうが葬儀だろうが仕事で顔出さない息子なんて、なぁ?」
少女が黙っているからか、竜太の口からはとめどなくため息が漏れる。
「それが発覚して慌てて家に帰ったけど俺だけほぼ村八分状態。どうしようもなくて自宅に帰ったら今度は同棲してた彼女が出てってた。結婚まで考えてたのに、向こうはそうじゃなかったんだと。そして忌引き申請通ってなくて無断欠勤扱いになってた会社では上司に吊し上げられて仕事が増えて……残業代出ない残業が八十時間超えた辺りで、気が付いたら会社の屋上に立ってた」
「え、」
「なんかもう疲れたし、明日……いや、もう過ぎてるか、ここに来ることになった日? に、また吊し上げされそうな雰囲気だったし、もういいかーって線路眺めてたら――ここに来てた」
「……」
「だから、もう別にいいかなって」
食べていいよ、と少女を振り向くと、少女は少しだけ俯いているように見えた。
同情してほしいわけでもないのに、どうして話したのかは自分でもわからない。もしかしたら誰でもいいから話を聞いてほしかったのかもしれない。
少女は布団の端をぎゅっと握りしめて、ふと顔を上げる。じっと竜太の顔を見ていると思った。
「あなた、わたしに食べられても、いいのね?」
「うん。別に死んでも誰に引き留められることもないし、特に未練もないしね」
強いて気になることがあるとすれば、元の世界にいる近所の野良猫がちゃんと冬を越せるのかということくらいか。
まぁ、ふてぶてしい性格をしているから問題はないだろう。そもそも竜太の飼い猫でもないわけだし。たまに撫でさせてもらったりはしていたが。
わかった、と少女は頷く。
竜太はゆっくりと目を閉じた。
最近は不眠の症状まで出ていたから、これでゆっくり眠れると思うと清々するくらいだ。
少女が動く気配がして、そして――
「――お嬢さま、レピお嬢さま。お目覚めの時間ですよ」
鳥かご頭の少女――レピを呼ぶ声がして、彼女は小さく身じろぎした。声の主が重たいカーテンを勢いよく開けたので強い陽光がレピの頭にかかる。
「うう……まだ、眠い……カーテン、開けちゃいやよ……」
「はいはい、早く起きないと朝飯食いっぱぐれますよ、お嬢さま」
「……そのお嬢さまって言うの、やめて。今はお父さまたちもいないでしょう、リュウタ?」
「はいはい、仰せのままにー」
執事服に身を包んだ男――辰川竜太は肩をすくめて軽い調子で答えた。
その顔には未だに濃い隈が浮いているが、髭も剃られているし、以前ほどの悲壮感はない。
レピはのろのろとベッドから身を起こし、竜太が朝のお茶を淹れるのを眺める。
――結局、レピは竜太を食べることはなかった。
しかし、飼うというのもよくわからない。なので自分専属のお世話役にしてほしいと両親に頼んだのだ。
両親は厳しいものの、なんだかんだでレピを愛し可愛がってくれている。二つ返事で許可が出た。
どうしてあんなに怖いと思っていた人間である竜太を側に置こうと思ったのかはレピ自身にもわからない。ただなんとなく、食べてしまって終わりにはしたくないと思ったのだ。
竜太の話はなんだか恐ろしかったので、絶対に残業なんてさせてはいけないと他の使用人にも言い聞かせてもらっている。そのおかげか、竜太の顔色は日増しに良くなっていく。
あの濃い隈もそのうち薄れていくだろう。
……お茶を淹れるのはまだまだ上手くはならないが。渋い。
「レピさん、まだ俺のこと食べる気にならない?」
「まだあなた以外の人間もお外も怖いもの……」
そっかー、と竜太は気のない返事をする。
どうして竜太だけは平気なのか、レピにもわからない。だが、竜太がこうして自分が食べる以外の死に方を探そうとしないのならいいと思った。
仕事は大変ではないかと聞けば、あの会社より全然楽だと小さく笑う。
そのわずかにふにゃりとした顔は今のところレピの前でしか出さないのだと気付いたのは昨日のことだ。それがちょっとだけ、優越感のようなものを覚える。
そろそろ着替えの手伝いをする女たちを呼ぶかと聞いてくる竜太に頷いて、渋くて冷めたお茶を飲み干す。
今日は竜太を伴って少しだけ庭に出て散歩でもしてみようか。まだ家の外に出るのは怖い。
それでも、レピは部屋の外に出てみようと思った。
竜太と一緒なら、それができると思ったから。
しゃらりと頭に入っている鱗がこすれて幽かな音を立てる。
なんだか素敵な日になりそうな予感がした。
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