第4話 「天気の子」に見る「国家権力との戦い方」

「『天気の子』あらすじネタバレと考察・解説 この狂った世界に馴染めない全ての人へメッセージ」https://ciatr.jp/topics/311482


高野悦子さんは、その著「二十歳の原点」で、個人としても・集団で闘争をしても、どうにも勝てない国家権力や独占金融資本の強大さ、恐ろしさについて述べていらっしゃいます。

◎ 「二十歳の原点」から

<引用開始>「警察という国家権力」「政府という怪物」「政府いや独占資本は巨大な怪物であることを銘記せよ」「国家権力-私は私の生活がそれに支配されているのに、どうしようもないものを感じていた」「常識や一般的風潮で正しいものを見失わせごまかしている政府」「進学で考えることをさせずに、人間を記憶暗唱する機械にしてしまう現在の高校教育」「私が受けてきた教育が、何が真実かを見失わせていたことに対する怒り」「私は眼前のバリケードを見ながら、『闘うぞ』と思った。あのバリケードは国家権力の否定・自己の持つブルジョア性の否定のバリケードなのだ」

「怒りを込めて、官憲(警察)帰れ!のシュプレヒコール」

「国家権力と直接ぶつかり合っているときに、一番強く生の実感を感じる」

「独占資本家に対しての反逆を、ここに行なうことを宣言する」

「権力と闘ったところで、しょせん虚しい抵抗にすぎないのではないか」

しかし、

「国家権力との対決なくしては、人間は機械になってしまう」

「国家権力というものを知ってしまったということは不幸なことなのでしょうか」

「黒い怪物に向かって進撃せよ」

「闘争のない生活は、空気の入っていない風船」

「権力に利用されるおそれのある一切のものを焼き捨て」

「独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して 暗い古樹の下で一本の煙草を吸おう」「近代社会の臭いのする その煙を 古木よ おまえは何と感じるか」



<引用終わり>


  国家権力(者)の学校教育によって育てられてきた彼女は、大学に入ってそれが真の教育ではなく、若者たちの目を真実から逸らすための洗脳であったことに気づきます。

  高野悦子さんと同じく、大学生となって「覚醒した」若者のほぼ100パーセントが、「国家権力」との闘争に敗れ、挫折し、失望していくなかで、高野悦子さんは、その戦いの心を維持するために死を選びました。死という詩を描いて、次の世に移っていった(と、私平栗雅人は思います)。


◎ 高野悦子さんへの鎮魂歌「天気の子」

高野悦子さんの死から50年経った2019年7月19日『新海誠監督「天気の子」という映画が公開されました。

「『天気の子』あらすじネタバレと考察・解説 この狂った世界に馴染めない全ての人へメッセージ」https://ciatr.jp/topics/311482 という記事は、

「天気」という国家権力に育てられた「子供」が、最後は天気に反逆し、個人の(心の)自由を手に入れた。』そんな解釈で映画を観ることを教えてくれました。


<引用開始>

<狂った世界に振り回される無力な人間>

  タイトル『天気の子』の意味は、シンプルに考えれば“天候を操る”能力を持つ陽菜のこと。「天気の巫女」の響きにも通じますね。 しかしこのタイトルにはもう1つ、人間への、そして社会への皮肉が込められているのではないかとciatrは考察します。まずは「天気」と「子」、それぞれの意味について考えていきましょう。

< 天気=狂った世界・運命>

映画パンフレットによると「天気はたんなる自然現象ではなく、思いや運命や世界そのものの象徴」であり、誰もに身近な「天気」のように、みんなの物語だという意味があるとのこと。 須賀の「天気なんてさ、どうせもともと狂ってるんだから」というセリフからわかるように、この物語は「世界」や「運命」というものを、とことんネガティブで理不尽なものとして描いています。 そう考えると、タイトルにある「天気」という言葉も、気まぐれで狂った世界や運命を表しているのではないかと考察できます。

< 子=非力な人間・言いなりになるしかない存在>

  子というのは一般的に、大人よりも未熟で無力な存在です。しかし天気や世界にとっては、人間皆がそのような「子」ではないでしょうか。 映画の中でも、「天と地の間で振り落とされぬようしがみつき、ただ借り住まいさせていただいているのが人間」というセリフを神主が口にしていました。

  無力な私たちは、世界や運命という大きなものを前にして、ただ言いなりになるしかないのです。黙って従うことが「大人になる」ということなのです。須賀は帆高に「大人になれよ」と言っていましたが、それは、世界や運命を自分で変えることをあきらめる、ということと同じ意味ではないでしょうか。


< 帆高と陽菜の反逆>

   しかし帆高と陽菜は、大人になりませんでした。「青空よりも俺は陽菜がいい!天気なんて狂ったままでいいんだ!」「僕たちの心が言う。(中略)恋が言う。生きろと言う」。これらのセリフからもわかるように、帆高は「世界」よりも「愛」を選びました。大多数よりたった1人の大事な人の命を守ったのです。 この選択が正しいかどうかはわかりません。しかし生半可な覚悟でこんな選択をしたわけではありません。結果的に、帆高が愛する陽菜の尊い命が救われました。それが新海誠が描いた「愛にできること」ではないでしょうか。


<世界に従わなくても「大丈夫」>

非力な人間は、本当に世界という大きなものの犠牲になるしかないのでしょうか。そうではないということを、帆高と陽菜は見せてくれました。 世界の正義も自分の正義もどちらも正しい、だからこそ自分の正義を選択したとしても「大丈夫」だと帆高は伝えてくれています。選択には痛みが伴うこともありますが、それでも自分の大事なものを守れるのなら「大丈夫」だと。

<生きづらさを感じるすべての人へメッセージ>

帆高や陽菜と同じように、この世界に生きづらさを感じている人はたくさんいると思います。黙って従うことが「大人」だと信じて、日々耐えている人もたくさんいるかもしれません。 そんな人たちに監督は、自分にとって本当に大事なものを守れる選択なら、反対されても周りに迷惑をかけても「大丈夫」、生きづらくても、反対されても、大事なものを大事にすることを怖がらないでほしいというメッセージを届けたかったのではないでしょうか。 「天気の子」というタイトルには、不満を溜め込み大人でいようとする私たちへの、皮肉と挑発が込められているのではないでしょうか。

<引用終わり>


「『天気の子』あらすじネタバレと考察・解説 この狂った世界に馴染めない全ての人へメッセージ」https://ciatr.jp/topics/311482

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高野悦子さん「二十歳の原点」から見えてくる現代社会 V.2.1 @MasatoHiraguri

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