第2話 高野悦子さんの戦いとは ?
◎ 自分自身との戦い
本来の自分・真実の自己を追求することをやめて「要領よく」周囲に迎合しようとする心の弱さを克服することが、中学時代頃からの彼女の大きな課題であったようです。
本当の自分ではない偽物(にせもの)の高野悦子という仮面をかぶれば、楽に生きることができる。実際、小学校の頃から「素直で・明るい・可愛い女の子」を演じ続けることで人気者となることができた、と「二十歳の原点」には書かれています。
しかし、そうやって周囲に迎合(人の目ばかり気に)していては・周り人たちのウケ狙いで生きていたら、本来の自分が持っている知性や感性を、しっかりと認識して生かし・伸ばすことができなくなってしまう。
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高野悦子さんという女性は、芸術家や学校の先生・大学教授、或いはビジネスウーマンとして、実社会で大いに活躍できた才能と情熱を持つ方であったようです。早い話が、頭がよく・情熱家であった女性ですから、何をやらしても一生懸命に打ち込み、それなりの成果を上げることができたでしょう。
しかし、人から嫉妬されることを極度に怖がる優しい性格であったので、「天上天下唯我独尊」と、一人でガンガン突出した行動を取れない。小・中学校の時に得意だった水泳ではなく、バスケットボールという集団でやるスポーツを高校で選んだというのも、彼女の優しさの表れであったのではないでしょうか。
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高校生までは、なんとか外面(他人との応対・交際の時に見せる顔つきや態度。「―のよい人」)と内面(うちづら)の均衡を保つことで、家族・友人と上手くやってきた高野悦子さん。
しかし、それまで自分を縛っていた故郷を離れて一人で生活し、大学という自由の空気に触れることで、今まで抑えてきた真の自分(頭の良さ・詩情-詩的な情趣・情熱)がどんどん成長していきます。大学3年生の6月頃(死の直前)には、バイト先で「憎まれ口」を連発したりしていたようです。人に好かれるどころか嫌われても、真実の自分を貫き通す、という方向へ大きく傾いていたようです。
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京都という町自体に人の心を自由にする作用はありません。むしろ、閉鎖的で保守的な街であり京都人ですから、自由闊達な心を押さえ込む作用があったかもしれません。
もし、高野悦子さんが京都でなく東京の大学に来て住んでいれば、もっと早く真の自分を曝け出すことができたかもしれません。そして、「自己の確立のための葛藤」という麻疹(一時的な病)を終わらせていたかもしれない。
京都人に比べずっとストレートでハッキリした江戸っ子の中にいたら、ということですが、東京に来て京都人のような煮え切らない人と付き合っていたら同じであったでしょうが。
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◎ 国家権力との戦い
しかも、大学紛争を通じて、そういう自分を抑え続けてきたものが、「独占資本家と、その手先となって国民を操る政府や警察」であるということに気づきます。仮面をかぶって生きなくてはならない(虚構の)社会を作り出しているのは「権力者たち」であると。
まるで2000年に公開された米映画「マトリックス」の主人公ネオの如く、高野悦子さんは真実に覚醒したのです。
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