第2話 ルークという名の男②

ノアの言葉の何に引っかかったのはわからない。でもオリビアは昔から、そういった勘が鋭かった。

なんだか起こる気がする———ただそんな漠然としたものだったけれど、オリビアの勘は当たる。


案の定、オリビアが帰宅しようと店を出ると店の隣に座り込んでいる人影を見た。

黒いマントを目深にかぶった怪しい男———ノアが昼間に言っていた男だろうかと、オリビアは眉をひそめる。

見るからに怪しい姿の男は、ぐったりと倒れているようにも見えた。


「あの———大丈夫ですか?」


ノアに十分気をつけるように言われていたけれど、今はそんな状況ではないことくらい誰が見ても明らかだ。

もしかしたら病気かもしれない。病院までこの人を担げるかしらと、オリビアはマントに手をかけた。

すると、その手を嫌がるように男の手がオリビアの手をつかんだ。


「だ……誰だ……っ」


今にも消え入りそうな声。つかむ手にもまったく力が入っていない。

もう倒れてしまってもおかしくないはずの男の瞳は、鋭くそして力強くオリビアをとらえる。

その視線にしり込みしそうになったオリビアは、息をのんで男に立ち向かった。


「わたしはこの小料理店の店主です。あなたが店の前で倒れていたので声をかけたまでです」


オリビアの姿勢は堂々としたものだった。その力強さは男の瞳に負けておらず、男の方の瞳が揺れる。


「俺のことは放っておけ……」

「あのねえ、ここはわたしの店の前だって言ってるでしょう?それにあなた具合が悪そうよ?」

「いいから消えろ……ロモルン王国の娘の世話にはならない」


その声は憎しみと恨みに満ちていた。低くぞっとするような声に、オリビアの背筋は凍った。


「ロモルン王国……?あなたもしかして……」


オリビアはこの男がこの国である、ロモルン王国の名を出したことが引っかかった。その違和感は、おそらくオリビアが直感したことが正しいことを証明づけるには十分だった。

男の目の前にしゃがみ込み、マントに手をかける。そっとマントを取るとその男の顔があらわになった。


「あなた……やっぱり」


男は漆黒の髪色に青い瞳、鼻筋はすっと高く、端麗な顔立ちをしていた。息をのむほどの美しさだった。


「あなた……ディユね?」


ディユ———この国にはディユと呼ばれる種族がいる。大昔からその種族はある特別な能力を持って生まれてくるのだ。

そのディユの特徴にはこの男のように容姿が端麗である特徴がある。そのことを知っていたオリビアは男の姿を見てすぐにわかったのだ。


「あんたには関係ないことだ。さっさと消えろ」


大昔のこの国の王がディユの種族と協定を結んだ。だからこの男は絶対にオリビアを襲わない。襲ってはいけない。

オリビアはディユに会うのが初めてだった。でもこんなに死にそうになった状態の男を放っておけるわけがなかった。


「あなた、病気?体調悪いの?」

「違う……さっさと行け」


男が視線をそらしたとき、男のお腹が大きな音を鳴らした。空腹の合図だ。


「あなた、お腹空いているの?」

「うるさい、放っておけと言っている、ロモルン王国の娘」

「ちょっと、そのロモルン王国の娘って呼ぶのやめてくれない?いいわ、店にいらっしゃい。今からご飯ごちそうしてあげる。とてもお腹空いているんでしょう?」


オリビアは男の前に立ち上がって、腰に手を当てながらにかっと笑顔を見せた。そして、男に手を差し伸べた。


「結構だ。ロモルン王国の娘の情けはいらない」

「あなたも頑固な人ね。いいからいらっしゃい。わたし、料理には自信があるのよ?」


オリビアは無理やり男の手を取り引っ張って立たせた。立ち上がった男はオリビアの想像以上に高身長だった。

背の高いノアと張り合えるくらいの男の手を引いて、オリビアはそのまま店の中に連れ込んだ。


「あなた、食べられないものとかある?」

「………」


男からの反応はない。オリビアとは目も合わせず、一番隅の椅子に座って窓の外を見ていた。


「とにかく余りものになっちゃうけど、何か作るわね。あとで食べられないって文句言わないでよ」


あまりにもお腹が空いていそうな様子の男を見かねて、オリビアは手の込んだものよりスピード重視の料理を提供することにした。

10分足らずで余りもののポムのスープに複数の食材を入れただけのオリビア特性スープが完成した。それにアップルパイのひとかけらを男の前に持っていく。


「足りなかったらおかわりもあるからね。どうぞ」


“ロモルン王国”に相当な恨みがあるのか、男は「どーも」とそっけなく答え、疑いの目を向けながら一口スープを飲み込んだ。


「そんな恐る恐る飲まなくても、毒なんて入れてないわよ」


男はそうとうお腹が空いていたようで、お椀いっぱいに入っていたスープは飲み込むようになくなった。アップルパイもたった3口で食べ終わってしまった。


「そうとうお腹が空いていたのね」

「……3日間何も食べてなかったから」

「3日も食べてなかったの?おかわりあるわよ。食べる?」


男がこくんとうなづくので、オリビアはお椀いっぱいにおかわりを入れてやった。

男がガツガツと食べ進めるのを見ていると、オリビアは1つの疑問にたどり着いた。


「どうしてこんなところにいたの?あなたたちってタルーン村で暮らしているんじゃないの?」


昔からディユの種族はタルーン村という国の最西端で暮らしてきた。ただ実際は追いやったという言い方の方が正しいかもしれない。


「確かにあんたたちがディユと呼ぶ者たちは、その村に住んでる。俺は別の場所から来た」

「あなたこの国の住人ではないの?」


ディユははるか昔からこのロモルン王国にいると歴史書にも記されている。そして、タルーン村に集められて暮らしているとロモルン王国の国民であれば周知の事実だ。

ディユの種族はその村を出たがらないと、オリビアは聞いたことがあった。村を出る人は滅多にいないと———。


この男のように外に出ているディユの種族は数えるくらいしかいないとも聞いたことがある。それにも関わらず、この男はこの王国の住人ではないと言うのだ。


「俺は、ハルメア王国から来た。ここにとらわれている仲間を救うために」

「ハルメア王国……?ハルメア王国ってなに?そんな国……」


オリビアにとって初めて聞く国名だった。ハルメア王国という国の名前は地図にも歴史書にもどこにも乗っていない国名だったからだ。


「やっぱりあんたたちは知らないんだな。ハルメア王国はロモルン王国の最南端の位置に接している小さな王国だ」


ロモルン王国の中心から南部にかけて、次第に山岳部に近くなる。オリビアの住むリビ村も南部に位置するが、山を超えたことはないため、山の向こうに国が存在するなんて思ってもみなかったのだ。


「ねえ、タルーン村にいる人たちもあなたたちもディユってことは、元々タルーン村の人たちはその……ハルメア王国から来た人ってことよね?」

「まあ……そうだな」

「でも、どうしてタルーン村にやって来たんだろう……」


オリビアにとってはふいに出た疑問だった。まさかこれが男の引き金になるなんて思ってもみなくて、オリビアは男の蒼い瞳をじっと見つめていた。


「それはあんたたちのせいだろ?ロモルン王国の娘」


男の言葉には鋭さがあった。オリビアたちとこの男の国の間には目には見えない大きな壁があるようだ。


「さっきも言ったけど、“ロモルン王国の娘”って呼ぶのやめてくれない?わたしにはオリビアっていう名前があるの。それと今のどういうこと?」

「じゃあ、あんたはどうして俺に食べ物をくれた?」


聞いたはずが逆に質問を返され、オリビアは一瞬戸惑った。

男と初めてこんなに長く視線が合う。ずっと視線をそらされていたから、男の瞳がこんなに鮮やかな青だとはオリビアは予想していなかった。


「それはあなたがとてもお腹空かせていたから」

「あんたは見るからにお人好しそうだもんな。じゃあ、タルーン村の人たちだったらどうだ?俺のときみたいにこうして食べ物をあげていたか?」

「もちろんよ。だってそれが協定じゃない?わたしたちの。ディユがわたしたちを襲わない代わりに、わたしたちはディユに食べ物を分け与えるって」


オリビアたち国民は月に一度、米や野菜をはじめとする食料を国に納めなければならなかった。それは昔からこの国の決まりだった。

それをどの国民も守っている。オリビアもわずかながら家庭菜園をしており、その何割かを毎月おさめているのだ。


「その協定本当に守られてると思ってるのか?」


考えたこともなかった。当然守られているものだと思っていた。オリビアは未知の質問に頭が回らなかった。


「守られてる……でしょ。そういう決まりだもの。え?守られてないの?」

「守られていたら、俺がこんな風に国境を超えることはなかった」


オリビアには男の言った言葉の半分も理解できなかった。口を閉ざしたオリビアに、男は呆れ顔を向ける。

こんなオリビアにも理解できたことは、守られているはずの協定が守られていないかもしれないということ、この男がその協定のせいで国境を超えてきたということだけだった。


もしこれが本当のことだとしたら、一体何のために野菜をおさめてきたのだろうという思いに駆られる。何かが一瞬で崩れ去るような気がした。


「まあ、とにかく。ごちそうさま」


男はそう言うと、見たことのない紙幣をテーブルに置いた。ここ、ロモルン王国では使用していない紙幣だった。


「これは?」

「料理代。ただでもらうわけにはいかないだろ」

「……でもこのお金、この国では使えないよ?」


ロモルン王国には他国の紙幣を自国の紙幣に変えることができる場所はいくつかある。でも、周知されていないハルメア王国の紙幣を変えることは出来ないのだ。

他国とはほとんど関わりがなかった男は、紙幣が違うことさえ知らなかった。


「この国ではこのお金使えないのか。だからか……さあ、どうするかな」


男は頭を抱えた。これでは動けない。この国にわざわざ来た意味がなかった。

身につけているものを売ろうにも、ほとんど何も持っていない。というより、奪われたというほうが正しかった。


男はこの国に入るときはマントも被らず、素顔のまま歩いていた。男がディユであることはすぐに気づかれ、ほとんどの者が怖がり近づこうとはしなかった。

でも、男が高級な時計や装飾品を身に着けていることがわかると、一部の者が男を襲い奪っていった。見知らぬ紙幣だけは取っていくものはおらず、紙幣だけが手元に残ったのだ。


男はマントを被り残った紙幣を手に食料を買おうとしたが、誰も取り合ってはくれない。見たことがない紙幣、マントからちらりと見える黒い髪が誰も寄せ付けなかった。

これでようやく店で誰も食料を売ってくれないわけがわかった。


「ねえ、あなたこれからどこに向かう予定だったの?」

「俺はタルーン村に行く。そこにいる人たちを引き取りに来た」

「引き取りに?そこの人たちは故郷に帰りたがってるってこと?」

「故郷か……とにかく俺はその人たちを助けに来たんだ」


オリビアはやっぱり男の言うことがわからなかった。もしかしたら、男は自分の仲間がロモルン王国にとらわれていると考えているのかもしれないと思った。


「でも……どうやって向かうの?タルーン村はここからかなり離れているから、馬車を使っていかないと。でも、このお金だと馬車使えない……」


わかりきっていることを全て言葉にされて、男の表情が変わった。誰が見ても不機嫌そうに、眉間を寄せたのだ。


「わたしも立て替えてあげたいけど、そんな余裕ないし。そうだ!いいこと考えた!」


オリビアは「ふふふ」と声に出して笑った。オリビアの笑い方は目をクシャっとして笑うのが特徴だった。


「その前に……ねえ、あなた、名前はなんていうの?」


オリビアのその問いに、男ははじめて「……ルークだ」と自分の名を口にした。

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