異国の嫌われ王子と隠れ王女

葉山心愛

第1話 ルークという名の男①

玄関を出ると、軽快な日光が全身を照らす。オリビアの瞳には、昨夜降った雨でできた水たまりにキラキラと朝日が映っていた。

下から吹き込むような風がオリビアのドレスのすそを持ち上げる。からっと晴れた快晴の匂いだった。


青い絹の生地に薄青の細やかなレースが散りばめられたドレスは、オリビアの母の形見だった。

ドレスにひらりと舞い降りてきた1枚の葉をさっと落とす。ちょうどそのとき、オリビアの隣の家の扉が勢いよく開いた。


「オリビア、ちょっと待って」


オリビアの家の隣に住む小麦色の肌をした背の高い男は、オリビアと幼き頃から兄弟のように育った1つ年上のノアだった。

再び家の中に戻ったノアは数分もしないうちに出てきて、小麦色の肌によく映えるきれいな白い歯を見せながら笑顔でオリビアのところへと駆けてくる。


「オリビア、これ今朝獲れたてのりんご。よかったら持ってって」

「わあ、こんなにいいの?いつもありがとう、ノア」


ノアの家の裏には農園が広がっている。ノアの家は代々農園を営んでおり、りんごやぶどうをはじめ、さまざまな果樹を栽培している。


「今日のデザートはアップルパイで決まりね」

「昼に食べに行くよ」


オリビアの頭をなでるのはノアの昔からの癖だった。

ノアには兄弟が2人いるが、どちらも年の離れた兄だったため、オリビアのことを実の妹のようにかわいがっていた。


どこかに遊びに行くときは兄弟のいないオリビアも連れていき、もらったお菓子はいつも分け合って食べた。

まるで本当の兄のような存在のノアを、オリビアも慕っている。


「何時頃くる?」

「お昼に行くよ。アップルパイといつもの……」

「ポムのスープでしょう?もちろん作っておくよ」

「さすがオリビア。俺が食べたいもの言わなくてもわかってるね」

「わかるに決まってるよ。ノア、いつも頼むのポムのスープばっかりだから」


丘を数百メートル下った先に、オリビアが営んでいる小料理店がある。

“クイジーン・ファミリアル”という少し控えめな看板が特徴の、小さな木造づくりの小料理店だ。


この小料理店はオリビアの祖母から始まった店だった。

代々、料理人だった家庭だということもあり、祖母も同様家を継ぐために料理人になったのだった。


元々お店は持ち合わせていなかったため、オリビアの祖母の代で初めて小料理店として小さな店を持つことに成功する。

そんな店をオリビアは2年前に成人したとき、ひっそりと受け継いだのだ。


『必ずお客さんを第一に考えるのよ、オリビア』

これが祖母の教えだった。料理の仕方、技術、たくさんのことを祖母から教えてもらったけれど、最後に祖母が残した言葉だった。


この日も数件の予約が“クイジーン・ファミリアル”に入っている。

午前中に予約が入っているアルマは、足が不自由で店に来ることができないお年寄りだ。毎日アルマ宅までお届けにあがっている。


「アルマさん、昨日のポワレ飲み込むのつらかったって言ってたから、少し軟らかめなものがいいかな」


オリビアが祖母から受け継いだものは、もうひとつある。それは、レシピノートだ。

このレシピノートにはお客さんの好みや傾向もびっしりとメモがしてある、いわゆるカルテのようなものだった。

そこにはもちろんアルマの情報も書かれていて、オリビアは「軟らかめの料理を」という言葉を付け足した。


オリビアの小料理店は大勢のお客が駆け寄るような店ではない。1日に10名程度のお客が入る程度で、そこに数件のお届け案件が入る。

でも自給自足でやっていたり、ノアからのおすそ分けがあったりと、何とかオリビアひとりが生活するには十分な稼ぎはあった。


「アルマさん、お加減はどうですか?」


アルマの自宅は“クイジーン・ファミリアル”から街の方に向かって10分程度のところに位置する。

温かい料理が覚めないように、でも崩さないように、細心の注意を払いながらの10分間はオリビアにとってかなり神経を使う場面だった。


「オリビアちゃん、今日もありがとう。お代はそこに置いてあるから持っていってね」

「ありがとう、アルマさん。足の具合はどう?まだ痛い?」

「そうねえ、今日は天気がいいから昨日よりはまだマシね。天気が悪い時なんて最悪よ。用を足しに行くのも難しいんだから」


足が悪いことを除いては食欲もあるし、アルマは非常に元気なお年寄りだ。

でも、足が不自由ということでできないことも非常に多いのも事実だった。

棚の上のほこりを取ったり、庭の草むしりをしたりと、時間があるときはオリビアが1人で手伝いをしている。


「アルマさん、あの棚の上ほこりたまってきたね。少し掃除しておくね」

「ありがとう、オリビアちゃん。いつもそんなことまでやらせちゃって悪いわね」


アルマは非常にオリビアの祖母に似ていた。よくしゃべるところや、足が不自由だったところまでも。

オリビアの祖母は死ぬ数か月前から足を悪くし、ほとんど歩けなくなっていた。

そんな祖母を見ていたからだろう。オリビアがアルマをこれほどまでに気にかけるのは。


午前中にお届けの予約が入っているのはアルマのところだけではなかった。

アルマの近所に住むジョナサン宅にもいつもパンやデザートを届けるのが日課になっている。


お届けするものは決まってお任せを選ぶジョナサンに、今日はオリビアのアップルパイが届けられた。

あの、ノアが差し入れをしてくれたりんごを使ったアップルパイだ。


ジョナサンは非常に穏やかで物静かな人だけれど、その息子のジェームズがオリビアは苦手だった。

この日もオリビアの姿を見つけるなり、嫌そうな顔を向けてきたのだ。


「また来たのかよ。もう来るなって言っただろ。顔も見たくないんだよ」


ここまでオリビアが嫌われているのは、ジェームズが初めてだった。

ジェームズはノアと同い年の友人で、幼いころはオリビアも一緒に遊んでもらう仲だった。


始めはジョナサンのように優しくオリビアによくしてくれた。

でも、あるときを境にオリビアを邪険に扱うようになったのだ。


「今日は違うから。アップルパイを届けに来たの」


オリビアもジェームズとは顔も合わせない。でも、見なくてもむくれた表情のジェームズの顔が思い浮かぶほどだった。

オリビアが“クイジーン・ファミリアル”に戻ると、それを予想していたかのようにノアがやって来た。


すっかりオリビアの1日の配達スケジュールを把握しているノアにとって、店の再会の時間を予想するのは簡単なことだった。

ここはお昼時が一番人が入る時間帯で、一番の稼ぎ時だ。オリビアもノアがすぐにやってくることを見越して、すぐに仕込みに入っていた。


「はい、ノア。アップルパイとポムのスープ。大盛にしておいたから」

「ありがとう、オリビア。大盛助かる。すごくお腹空いてたから」


ノアは見かけによらず非常に大食いだった。農園での力仕事で相当体力を持っていかれるのか、毎日通常の量の倍近い量を出してもぺろりと平らげてしまう。

ぞろぞろと人が増え始めて、わずか10席しか座れない椅子がほぼ常連の客で埋め尽くされていた。


「あれあるかい?」

「サーモングリエですか?もちろんありますよ。今出しますね」

「そうそう、サーモングリエ。よくわかったね、さすが」


オリビアは常連客の好みは知り尽くしていた。半分は祖母の残したレシピノートのお陰だが、小さいころから店でその様子を眺めていたオリビアの観察力の成果でもある。


もちろん常連客のほとんどが一番のお気に入りばかり頼むわけではないが、なんとなくの気分で決まるルーティーンのようなものにオリビアは気づき始めていた。

『お客さんを第一に』という祖母の教えが、とても生かされていた。


「ノアとオリビアって小さいころから一緒よね。このまま結婚しちゃえばいいのに」


常連客のひとりが、ふとつぶやいた言葉が、まわりの注目を集める。


「確かに僕とオリビアはずっと一緒にいますけど。一緒にいすぎて結婚相手というよりは兄妹って感じなんですよね」


ノアの言葉にオリビアも注文の料理を運びながら大きくうなづいている。

2人にとって結婚の話題が振られるのはこれが初めてではなかった。ノアがこうしてオリビアの店で一緒にいるのを見て、何度も同じような言葉を投げかけられた。


さらには、ノアの母親がノアに「オリビアと結婚すれば」とかなり強引に話を進めようとしたこともある。

でも、オリビアとノアの間に全く恋愛感情は存在しない。きっと強引に結婚させられればするだろうが、周りが何もしなければ永遠にこの関係は続いていくだろう。


「オリビア、さっき家からここに来る途中でマントを被った怪しげな男を見たんだ。帰ってくるときは十分気をつけて」


ノアが店を出る間際に残していった、この言葉がオリビアの心に引っかかった。

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