七、天下布武
稲葉山を紅葉が染めた
戦で武器として使うには、やはり一発しか打てないという難点を克服しなければならないようだ。どうしても、次に撃つまでに間が空く。
そんな中、沢彦宗恩はやって来た。
「――宗恩、頼んでおいた旗印に刻むものは決まったのか?」
上段の間に座った信長に、宗恩は低頭すると一言発した。
「天下布武――」
「天下布武……?」
「一見すると、武力を以て天下を取るといった言葉と捉えられますが」
宗恩はそう前置きし、説明した。
「“武”とは本来、戦いを止めるという意味を持ちまする。“武”という字を分解してみると、“
宗恩いわく、その七つの目的とは暴を禁じ(※暴力を禁じる)、戦を止め、大を保ち(※大国を保つ)、功を定め(※功績を成し遂げる)、民を安んじ(※民を安心させる)、衆を和し(※大衆を仲良くさせる)、財を豊かにする(※経済を豊かにする)ことだという。
すなわち天下布武とは、天下に七徳の武を布くという意味だという。
「宗恩、お前の話は相変わらず難しいな……」
「信長さまは、他国に領を求めぬと申されました」
「ああ。こうして美濃まで手に入れているが、義龍が敵対して来なければ、俺は今も尾張にいただろうよ。だが
おそらくそれは不可能だろうと、信長は思う。
天下静謐という信長の目標は、のこれまで以上に過酷なものとなるだろう。
畿内の周辺にはまだ、甲斐の武田や越前の朝倉、越後の上杉など
信長は、決して
天下というのは京を中心とした畿内、その天下を治めているのは足利将軍家と幕府なのである。
応仁の乱で弱体化し、細川氏と三好氏に実権を握られ、足利氏・細川氏・三好氏の連立の下で政が行われてきたらしいが、永禄の変で連立の核となる将軍・義輝が討たれてしまった。
その幕府を再興し、諸大名をその下におく。
天下布武――、まさに天下静謐の旗印に相応しい。
◆◆◆
永禄十一年――、この年、越前の
信長の力を借りて、幕府再興を果たすためらしい。
美濃を平定した信長は、天下布武を掲げ、足利義昭を奉じての上洛を決断した。
しかし上洛するためには、岐阜から京に向かう道中の全ての敵勢力を制圧するか、上洛するこちらに手出しをさせないようにするかのいずれかの方法が必要である。
「やはり六角氏をなんとかしないといけないか……」
上段の間で腕を組んだ信長の眉間に、
この段階で敵対してくるだろうと思われた三好一族・
三好義継は、永禄の変で将軍・足利義輝を襲撃した一人である。
なんと政変(※永禄の変)の二年後、その義継と三好家重臣・
松永久秀いわく
久秀は畿内の主導権をめぐり三人衆と対立するようになり、義継を担いだ三人衆と断交。両者は三好家中を二分して争い、内乱となったらしい。
そんな中、三好三人衆のもとから三好義継が久秀を頼って出奔してきたという。
そもそも三好三人衆は三好長慶の時代、それぞれが軍を率い一族の重鎮として活動していたという。
しかし長慶の死後、彼の甥・三好義継は年若く、彼らの力が台頭したらしい。
「殿、
恒興の問いかけに、信長はいつものように不敵に笑った。
「さぁな……、噂では今は
――また、楽しまれておられる……。
どうも信長という男は、強敵や困難が立ちはだかると燃えるらしい。
少年時代から変わらぬ性格に、恒興はやれやれと思いつつも、天下静謐という偉大な目標に向かう彼を誰が止めようか。
恒興は、もしそんな人間がいれば盾となり防ぐと思っている。
少年の頃から無茶なことをしては振り回されてきたが、恒興の想いも信長と同じだった。
誰かがこの世を鎮めねばならない。
幕府の元、諸大名が一致団結する。――信長が目指す天下の道。
かくして永禄十一年八月五日――、信長は馬廻り衆二百五十騎を引き連れて岐阜を出発したのである。
そして信長たちは、佐和山に着陣する。
佐和山城に入った信長は南近江国の通行の許可を得るべく、観音寺城にいる六角義賢・
上洛するためには琵琶湖沿いを行き、近江を通過する必要がある。
南近江の浅井長政は同盟相手ゆえ問題はないが、北近江には六角義賢がいる。
しかし――。
「やはりな……」
六角義賢・六角義治親子は信長の申し出を拒絶してきたという。
どうも三好三人衆が先回りして、織田軍の侵攻に対する対応の評議を行っていたらしい。
断られることを予期していたのか信長は嘲笑ったが、再度使者を送って再度入洛を助けるよう要請してみれば、今度は病気を理由に使者に会いもせずに追い返してきたという。
「勝三郎」
呼ばれて、恒興は視線を上げた。
「合戦となりましょう」
「そのようだな……」
この結果、信長は、外交策では南近江国通過は困難とし、六角義賢と戦う決意をした。 そして九月七日――、信長は六角氏討伐及び南近江国平定のため、 一万五千の兵を引き連れて岐阜城を出陣した。
そこにはあの『天下布武』の旗印も翻る。
そして、この織田軍に三河・松平元康の援軍千人、浅井長政の援軍三千人、尾張、美濃、北伊勢、北近江の浅井軍、三河などから義勇兵の参陣が相次ぎ、軍勢が膨れ上がった。
「目指すは観音寺城だ!」
観音寺城は、六角氏の居城である。
◆
「信長め……」
観音寺城内で、六角義賢こと承禎は歯軋りをした。
彼が面白くないのは、織田側に浅井長政がいることだ。
永禄三年のこと――、愛知郡肥田城主・高野備前守が浅井家に寝返った。
承禎は高野備前守の寝返りに激怒し、すぐに肥田城に攻め寄せて水攻めを行う。しかしこの水攻めは失敗した。
承禎が攻め寄せたことを知った長政が肥田城の救援に来たのだ。
この時の六角軍の総勢は二万五人で、総大将は承禎自身である。
兵力で圧倒的な六角軍が浅井軍を押したが、合戦は浅井軍の勝利となった。
敗北した六角家では動揺が激しかった。
近江は浅井氏の勢力下に入り、この合戦から三年後には観音寺騒動が起きて承禎・義治父子は居城の観音寺城を追われた。
その後に復帰を果たすが、六角家の衰退は明白である。
「義治、そなたはそれでもこの六角家の嫡男か!」
義賢は不安げな顔を寄越す息子・義治を、一喝した。
六角家は、甲賀郡を含む近江国の守護だった。
その意地をかけて、ここはなんとしても織田軍を阻止する。
「兵を集めよ!! 合戦じゃ!!」
かくして――、織田上洛連合軍と六角軍は激突した。
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