六、信長、天下を目指す

「――御所さま、一大事にございます……!!」

 

 永禄八年五月十九日、二条御所(※将軍の御所)――。

 室町幕府十三代将軍・足利義輝あしかがよしてるは、このとき側室・小侍従局こじじゆうのつぼねの肩を抱き寄せ、盃を傾けていた。

 

「なにことだ?」

三好義継みよしよしつぐの謀反にございます!」

 三好義継は、河内国かわちのくに(※現在の大阪府東部)の大名である。

「な……、ここに攻めてきたと申すか!?」

「御所さま……」

 しどけない姿で義輝に抱かれていた小侍従局が、不安そうに見上げてくる。

 

 応仁の乱後――幕府はその力を失い、将軍も細川氏などに実権を握られ、傀儡かいらいとなった。

 細川氏の力が幕府から消えたかと思えば、今度は三好氏が幕府を牛耳ってくる。

 そもそも三好氏とは、父・義晴の代から対立しては和解を繰り返してきた。

 だが義輝は三好長慶ら三好氏の傀儡になることなく独自に政治決裁を行い、その政治的地位を固めていった。

 三好にとって、それが気に食わないのだろう。

だからといって、である。

 

 ――予は将軍ぞ……!


 義輝は唇を噛み締め、小侍従局を二条御所から逃がすことにした。

 そしてついに、三好義継ひきいる軍勢が義輝に迫ってきた。

「御所さま、覚悟召されよ!!」

「足利将軍家に弓を引くとは、姦賊かんぞくめらが!」

 義輝も、臣下たちとともに太刀を抜いた。

 俗に言う――、永禄の変である。


                    ◆◆◆


 室町幕府十三代将軍・足利義輝が討たれる――、この報せを信長が受けたのは、まだ美濃を平定する前であった。

 思えば初上洛した日、信長の中で新たに芽生えた目標は、将軍の御所を襲撃したという、三好義継のおかげで計画が狂った。


 永禄十年――、稲葉山城。

 まだ八月も半ばを過ぎたばかりなのに、もう秋風らしいものが周囲の木の葉をさわさわ揺すぶっている。

「天下の平定……ですか」

 小牧山城から稲葉山城へさらに居城を変えた信長は、沢彦宗恩を前に三つの夢を明かした。それは、天下静謐てんかせいひつだった。

 

 ただでさえ弱体化している室町幕府、将軍と言えどその座は安全とは言えない。

 十一代将軍だった足利義晴も京を追われ、十二代将軍・足利義輝は御所を襲撃されて落命している。

 この二人の将軍に関わったのが、なんと三好一族だった。

 おそらく今度の敵は、三好一族だろう。

 沢彦宗恩は静かに微笑んだ。

 

「天下をお取りになりますか? 信長さま」

「恒興にも同じことを言われたよ」

 その恒興は信長の斜め前で、唖然としている。

 その恒興がごまかすためか「ごほんっ」と咳をする。

 だが信長の目指す天下平定は領地を広げ、天下人になるというものではない。

 弱体化しているとはいえ、京には幕府があり、足利将軍家も途絶えてはいない。

 実は信長は、初上洛ののちに一度、上洛をするはずだった。


 昨年の永禄九年――、信長は美濃の国境へ出兵したが、斎藤龍興によって撃退されて上洛は頓挫した。

 そして、再び上洛の要請がきた。

 信長に話を持ちかけてきたのは、和田惟政わだこれまさという男だった。

 

 聞くところによると将軍・義輝が襲撃された事件を知った惟政は、興福寺に軟禁されていた義輝の弟・足利義昭を細川藤孝ほそかわふじたか三淵藤英みつぶちふじひで一色藤長いつしきふじなが仁木義政につきよしまさ米田求政こめだもとまさらと共に一乗院(※興福寺にあった庵などの小院)より救い出して、甲賀の自邸に匿ったという。

 彼の計画では、義昭を奈良から伊賀を経由して甲賀に脱出させ、近江の六角氏を説得して上洛するものだったらしい。

 

 つまり足利義昭を奉じて上洛し、十五代将軍とする計画である。

 和田惟政いわく、義昭は幕府再興を熱望しているという。

 幕府に権威が戻れば、都は静かになるだろう。

 

「相変わらず、凄いことを仰せになる。領を広げようとは、思われないのでございますか?」

「僧侶のお前が、それを俺に勧めるか?」

「確かに殺生は忌むべきもの」

「俺は幕府を潰したい訳じゃない」

 

 信長が目指す天下とは、五畿内ごきない(山城・大和・河内・和泉・摂津)のことである。そしてこれに、幕府再興も含んでいるのだ。

「よい、お考えでございます。その目標ならば、拙僧になんら文句はございませぬ」 

「その前に、だ」

 かつて義父・道三が座っていた稲葉山城・上段の間で、信長はなんとも言えない威圧感を感じていた。

「まだその場が慣れませぬか?」

 宗恩が、そう言って苦笑する。

「道三と義龍が、俺を睨んでいる気配がする……」

 道三はともかく、義龍は信長がこの場に座っていることを面白くはないだろう。

「まさか呪われぬよう、拙僧を召されたわけではありますまい?」

「頼んでおいたものは出来たのか?」

「はい、これに」

 

 現在は稲葉山城と呼ばれているが、信長はその名を変えることにした。その案を、宗恩に頼んでいたのである。

 稲葉山は金華山とも呼ばれているらしいが、問題はこの稲葉山城がある井ノ口という地名である。

 それは尾張と美濃が和睦に入る以前の頃――、今は亡き信長の傅役・平手政秀が、井ノ口は名前が悪いと言っていたのだ。

 どこがどう悪いのか信長は聞かなかったが、今さらだが彼の言うことを聞いてやろうと信長は思った。

沢彦は岐阜ぎふ岐陽ぎよう岐山きざんの三つを提示してきた。

 

「岐の字の由来は、周の文王ぶんおうが岐山の麓から天下統一を成し遂げたという故事から来ております。まさにいまの信長に相応しい名の城となりましょう」

 信長が手にしたのは「岐阜」と書かれた紙である。

「岐阜の阜には、どんな意味が?」

「孔子が生まれた、曲阜きよくふという地名から一字を取りましてございます」

「宗恩、もう一つ頼んでいいか?」

「何なりと」

「新しい旗印を作りたい」

 

 旗印としては織田木瓜紋の他に、永楽通宝の二つだが、信長は新たにもう一つ作りたかった。

「考えてみましょう」

 宗恩はそう言って、低頭した。

 この後、稲葉山城は岐阜城と名を変える。

             

               ◆


 沢彦宗恩が帰り、信長は大櫓(※のちの天守)から外を眺めていた。

「信長さまが何故、美濃平定に拘ったのかわかった気が致します」

 恒興は信長の三つの夢を知って、やはりこの男には敵わないと思った。

 

「上洛するには、美濃は通らねばならん。以前は迂回したが、そうもいっていられん」

「ですが、南近江には六角氏がいます」

 

 北近江の浅井氏とは同盟を結んだ信長だったが、南近江のろつかくよしたかよしはるおやがまだいる。

 信長が義弟となった浅井長政から聞いた話によれば、六角義賢は十三代将軍・足利義輝や細川晴元を助けて三好長慶みよしながよしと戦うが、優勢であった三好氏との勢力差が逆転し、敗戦し続け、永禄元年に起きた北白川の戦いの後に義輝と長慶の和睦を仲介することで義輝を京都に戻し、面目を保っていたらしい。

 

 これを契機に対立していた北近江の浅井久政、が六角領に対して侵攻を開始するが撃退され浅井氏は従属下に置かれたという。

 だが永禄三年、浅井長政が六角氏に対して反抗を開始し、義賢の嫡男・義治に勝ったという。

 さらに昨年の永禄九年、浅井長政が六角領に対して侵攻を開始、蒲生野合戦が行われたそうだが、これも勝利したらしい。

 

「長政と手を組んだ俺を、六角氏は面白くはないだろう」

 困難ほど、信長を強くする。

 恒興は、そう思う。

 家臣の誰もが後ろ向きになった桶狭間の合戦において、信長だけは前を向いていた。

 敵の数などものともせず、夢の実現のために馬を繰り出す。

 決して諦めることなく――。

 そうして、二つ目の夢も信長は叶えた。

 

 永禄十年十一月――、正親町帝おおぎまちていから信長に綸旨りんし(※蔵人所が天皇の意を受けて発給する命令文書)が届いた。

 内容は尾張・美濃の不知行になっている皇室領の回復を命じるものであった。

 こうなると、信長としては上洛しないわけにはいかないだろう。

 それからまもなく、沢彦宗恩は再び岐阜城にやって来た。

 

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