八 ともに行かん、天下覇道

 永禄十一年九月十一日――、北近江・観音寺城。

 陣中に焚かれた篝火かがりびが、ぜる音がする。

 六角義賢ろつかくよしかたは軍備を整え、その時を待った。

 

「お屋形さま、織田軍は愛知川北岸に進軍した模様」

 

 ついに来た――。

 

 使番の報せに、六角義賢は地形図を睨む。

 美濃まで制したという尾張の織田信長は、足利義昭を奉じて上洛するという。

 それにはこの近江を遠らねばならぬようだが、義賢はそう簡単に通らせる気はない。


 ――わしは浅井長政とは違う……!


 長政のように同盟を結べは六角家に再び力は戻るかも知れないが、誰かの下につくなど彼の矜持きようじが許さないのだ。

 

「おそらく狙いは和田山城か……」

 眉を寄せる義賢に、義治が視線を向けてくる。

「父上」

「義治、まずはこの観音寺城と和田山城・箕作城みつくりじようを三角形で結んで相互に補う形で守る防衛形態をとる」

 

 義賢の策では、和田山城で織田軍を足止めしたところを、観音寺城と箕作城から出陣した兵で挟撃きようげき(※挟み撃ち)するというものだ。

 義賢はすぐに、二人の武将に指示をした。

田中治部大輔たなかじぶたいふ、そなたは六千の兵で和田山城へ迎え撃て」

「はっ」

「箕作城には、吉田出雲守よしだいずものかみ

「畏まりましてございます」

「観音寺城はわしと義治、義定と馬廻り衆千騎で当たる!」

 重臣たちに指示を与え終わると、義賢は息子・義治と共に観音寺城で敵を待った。


 だが、予想外のことが起きた。


 翌、九月十二日――。

 織田軍は、数に物を言わせた強硬手段で攻めてきたのである。

 しかもである。

 織田軍本隊が向かったのは和田山城ではなかった。

 

「な……箕作城だと……?」

 報せに寄れば織田軍は愛知川を渡河すると、六角方の拠点三城の同時侵攻作戦を仕掛けてきたという。

 まずいのは、主力を和田山城に配備してしまったことだ。

「父上……!」

 

 刻が経つにつれ、報せはどれも良くはない。

 箕作城は陥落し、和田山城では箕作城落城の報せに、和田山城城兵の逃亡が相次ぎ、主力がいる和田山城は、戦うことなく織田軍に明け渡されたという。

 義賢は長期戦を予想していたが、僅か一日で防御拠点の箕作城・和田山城が相次いで失い、観音寺城勢力だけでは兵力が少ない。

惨敗である。

 

「ち、父上……」

「撤退じゃ……っ」

 守りきれないと判断した六角義賢・六角義治は観音寺城を捨てて甲賀に逃走した。


                   ◆


 北近江・六角氏を制した信長が率いる上洛軍は、九月二十六日ついに京に入った。

 これに慌てたのが、三好三人衆と呼ばれる三人だったらしい。

 

「残るは――、三好三人衆か……」

「ええ」

 信長の言葉に、恒興は頷いた。

 

 信長は陣を東山の東福寺に置くと九月二十八日、山城国南部から摂津国に至る諸城にいる三好三人衆の軍勢を討とうと出陣した。

 なんでも三好三人衆の一人、岩成友通は洛南(※京の南部)・勝竜寺城にいるらしい。

 この戦いは柴田勝家、森可成、坂井政尚ら先陣により勝利し、岩成友通いわなりともみちは降伏したようだ。残るはあと二人――。

 

 三好長逸みよしながやす三好宗渭みよしそういは、芥川城あくたがわじように立て籠もっているらしい。

 しかしこれも、織田軍の先陣である柴田勝家、森可成、坂井政尚達が果敢に攻撃を始めると、夕方までに籠城していた三好長逸は逃亡したという。

 これで畿内に、敵対するものはいない。


 足利義昭が朝廷から将軍宣下を受けて、室町幕府・第十五代将軍に就いたのは、秋も深まった十月十八日のことだった。


                  ◆◆◆


 永禄十二年、春――。

 空はよく晴れ、地に咲く菜種なたねの黄がまばゆいばかりに眼に染みた。

 沿道の農家の垣には花杏はなあんずが咲き、木瓜の花が目にいたいほどの朱色の花をつけていた。桃畑も満開である。

 

 戦以外で、馬を飛ばしたのは何年ぶりだろうか――。

 恒興は数十年ぶりに、その木曽川に信長と訪れていた。

 幕府の状態はまだ安定しているとはいえないが、義昭の将軍就任から九日後、信長は岐阜城へ帰城した。

 

 そしてなにを思ったか恒興に、遠乗りに行くと言い出したのだ。

 それが長良川である。

 人を振り回すのは、相変わらずのようだ。

 そんな信長だが――。

 

「惜しいことをしましたね」

 恒興の言葉に、信長が惚けた顔を寄越す。

「なにが?」

「公方さまからの、褒賞ほうしようですよ。まったく欲があるのかないのか……」

 

 苦笑する恒興に、信長はふんっと鼻を鳴らした。

 二人っきりになれば、二人は主従から乳兄弟の間柄に戻る。

 義昭は信長の武功に対し、副将軍か管領への任命、斯波氏の家督継承、その当主の官位である左兵衛督の地位、五畿内の知行など、褒賞として高い栄典を授けようとしたが、信長はそのほとんどを謝絶したという。

 結局、信長は弾正忠への正式な叙任、桐紋と足利家の家紋・丸に二引き両の使用許可のみを受け取ったらしい。

 

「俺は、これでいいのさ」

 信長は、そう笑う。

 そして「それに、だ」と前置きして、信長は空を見上げる。

 くまなく晴れ上がった紺青の空には、寒雲かんうん(※冬空の凍てついた雲) が浮いている。

「それに……?」

「そのうちまた、忙しくなるさ」

 確かに、これはつかの間の安息なのかも知れない。


 将軍・義昭は五畿内各守護の再編を実施し、京の防衛体制の強化を図ったらしい。

 西方の備えとして摂津には和田惟政・伊丹親興いたみちかおき・池田勝正の三守護を、河内には三好義継・畠山高政を守護として配置。さらに大和に松永久秀、西岡へは三淵藤英・細川藤孝を配置。東方の越前・近江の備えには信長が当たることになったという。

 

 だがこの年の永禄十二年一月五日――、三好三人衆が京に攻め入り、義昭のいた本圀寺ほんこくじを襲撃したしたという。

幸い難は逃れたそうだが、三好三人衆はまたも逃走したらしい。

 そして四月十四日、義昭の座所・二条御所が完成したという。

 こうして信長は二条御所の完成を受けて、岐阜城に帰ってきたのである。

 

「もういいお年なんですから、無茶はなさりませんように」

 恒興の揶揄に、信長の目が据わる。

「年寄り扱いするな。お前も年だろうが」

「私は信長さまより、二歳下でございます」

「ふんっ、たった二歳ではないか」

 

 こういうやり取りができるのも、ふたりっきりの時だけである。

 だが、時は進む。

 これからも、信長の覇道には困難が待ち受けているだろう。

 それでも――。


「殿――!」

 遠くから駆けてくる馬に、信長が嘆息した。

「やれやれ、なにか起きたらしいな」

「昔の信長様なら、振り切って走り出されておりました」

「そういう無茶をするのは、天下が落ち着いてからだ」

「爺になってまでも、私を振り回すのはやめていただけませんか?」

 恒興の文句に、信長は呵呵と笑う。


 これから先の未来――。

 信長は走り続けるだろう。

 たとえそれが、険しく手期待してくる者が多くても。


「勝三郎、帰るぞ!」

「はい」


 ――そしてまた私は、彼の背を追うのだ。


 二人の歩みは止まらない。

 天下布武――、その名の下に。

 はたして、このさきで彼らが見るのはどんな世界なのか。


 夢を追う信長と、その背を追う恒興。

 子供の時から駆けてきた二人は、この日も空の下を駆ける。

そしてこれからもずっと。


 

 同じ目標に、向かって――。

 


        【完】

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