最終章 天下布武

一、新たな夢へ!

 永禄十一年十月――。

 高くそびえ立つ山城やまじろを眼前に、臨済宗僧侶りんざいしゆうそうりよ沢彦宗恩たくげんそうおん目深まぶかに被った網代笠あじろがさを指で軽く跳ね上げた。

 

山城の名は岐阜城――、かつて稲葉山城といわれていた城である。

山上の城郭部分と山麓の居館部分を中心としつつも、それらの間を結ぶ登城路、さらに山中の要所には砦も配されてあり、山そのものが天然の砦として役に立っているらしい。

 かつて、美濃・大宝寺の住職を務めていた宗恩にとって、何度か視界に捉えられてきた城ではあった。だがそのときは、僧侶である己が武家と深く関わるとは思ってはいなかったのである。

 

 なれど宗恩は、この戦乱の世も憂いていた。

 仏教の戒律において、殺生せつしようは最大の罪として最も強く禁じてきた。

しかし古来よりこのもと(※日本)では、狩猟により動物の命を奪っている。人間が生きる為には、他のものの命をもらわなければ生きていけないという自覚と感謝を日頃から持つことが大事である。

 

だが戦乱の世では、多くの人が戦で命を落とす。

 御仏みほとけの教えを問いても、戦は収まる気配はない。

 そんな中、宗恩は一人の少年と出会うのである。

 吉法師と名乗るかの少年の教育係となったのをに、宗恩は彼に賭けた。

 戦の世を終わらせ、この日の本を平定する戦国の覇王となると――。

 といっても、宗恩は細かい助言をしただけだが。


  ――宗恩、俺にはまだ夢がある。


 今川義元を討ち果たしたあの桶狭間合戦からまもなく、清州城を訪れた宗恩に信長がそう言った。

 やがて岐阜城・城館の広間で城主を待つ宗恩の耳に、聞き慣れた足音が捉えられる。

 その足音は堂々としていて、すぐに『彼』だとわかる。

 そして上段の間に座る気配に、低頭していた宗恩は顔を上げた。

 

                  ◆


 永禄四年五月――、清州城。

 美濃侵攻の意を明らかにした信長の元に、意外な報せが飛び込んできた。

「――一色義龍いつしきよしたつが、死んだ……?」

「殿……」

 唖然とする信長を、恒興は見上げた。


 この日信長は火縄銃たねがしまを持ち出して、曲輪くるわで射撃をしていた。

 さすがに衝撃だったのが、放った弾は的の中心を外れた。

 一色義龍――、以前の名は斎藤義龍。

 父・斎藤道三を倒し、美濃の主となった男。

 そして信長を、刺客まで放って殺そうとしてきた男。

 その義龍が、急死したという。

 

「今度こそ奴と決着をつけてやろうと思っていたが、天はそうこちらにいつまでも味方はしてはくれないらしい」

 信長はそう言って、自虐的じぎやくてきわらう。

 

 信長はこの年の六月と八月に、美濃・大垣を攻めたが斎藤家家臣という丸毛光兼まるもみつかねらの反撃に遭い惨敗していた。

 信長が美濃に信仰するのは、亡き斎藤道三との約束だという。

 約束と言っても道三の方から書状にて、美濃を任せると書いてあっただけだそうだが、国の今後を憂う道三の想いはわかると信長はいう。

 信長もまた織田一族が対立する尾張を憂い、尾張平定が夢となった。

 

「義龍殿には、嫡男がおられると聞いております」

「ああ。帰蝶の話では、斎藤龍興さいとうたつおきはまだ十三だそうだ」

「殿、戦に年は関係ございません。殿とて十三の歳には、初陣をされたではございませんか」

「負け戦だったけどな」

 

 そう、武将の家に生まれたからには年が若かろうと関係ないのだ。

 だがこの年、信長が戦うのが楽しみだと言っていた人物との戦が起きた。

 かつて尾張にて一時的にも人質となっていた松平竹千代こと、松平元康との戦いである。

 四月、松平元康は尾張の所領しよりよう横根よこね石瀬いしぜに兵を出してきたのである。

 これに対し信長は、梅ヶ坪城うめがつぼじようを攻めたが元康はこの戦に出てこなかったようだ。

 さらに伊保城・八草城攻めと、信長の西三河侵攻は続き、拳母城まで攻めたというのに元康は沈黙を貫いたという。

 

「あいつもなかなか、はらが見えんな」

 戦いのあと、信長は憤るどころかそう笑った。

「恒興、皆を集めろ! 西美濃を攻める」

「三河ではなく、美濃でございますか?」

「元康と戦ってみたいが、美濃をなんとかしないと夢にまむし(※道三)が出てきそうなのでな」

かしこまりましてございます」

 信長の命に、恒興は深く頭を垂れた。


                 ◆◆◆


 永禄四年五月十三日――、清州城を出陣した織田軍は本郷村(※現在の岐阜県東部)から長良川を渡り、勝村(※海津市平田町)に布陣した。

しかし斎藤軍六千に対し、織田軍は千五百――、またも多勢に無勢である。

だが桶狭間では今川軍二万に対し、二千の織田軍が勝てたのである。

 

「今度も、こちらの勝ちじゃ」

 今回もちゃっかりと織田軍に紛れ込んでいていた前田利家は、鼻の下を擦った。

「お前なぁ……」

 呆れる佐久間信盛だが、利家はなんのそのである。

 

 利家は同朋衆どうほうしゆう拾阿弥じゆうあみを殺めたことにより出仕停止となり、桶狭間の戦いで活躍するもその処分は覆ることはなかった。

「俺の主君は信長さまだけだで(※俺の主君は信長さまだけだ)」

 そう、那古野城に家臣にしてくれと乗り込んだときから、利家は決めていた。

 仕える殿様は、織田信長だと。

 ゆえに、必ず家臣として帰って見せる。

 利家は清州城を離れた日から、そう誓った。

 彼の自慢の槍で敵将を討つ――、それが名だたる武将であるほど功績は高い。

 

 翌五月十四日は、雨となった。

「これぞ天の与えた好機!」

 信長の声に、少数精鋭の織田軍が斉藤軍へと突っ込んでいく。

 俗に言う、森部合戦もりべがつせんである。

 

「ここから先は、足立六兵衛あだちろくべえがこの通さん!!」

 利家の前に大柄な武将が立ち塞がる。

 聞いた話に寄れば、斬馬刀ざんばとうという太刀を使う男だという。

「ふんっ、斬馬刀がなんぼのもんが知らんが、俺の槍はそんじょそこらの槍とは違うでよ!」

「ほざけ!!」

 足立六兵衛が振るう刀が利家の兜にあたる。

 だが――。

「ぐっ……」

 その刀は二つに折れ、利家の槍が足立六兵衛の腹を突いていた。


 ――利家! とどめを刺せ。


 ふと、信長の声が聞こえた気がした。

 近くに信長はいないのに、である。

 このとき利家が抜いた太刀は、信長から譲られたものだった。

 利家は見事、足立六兵衛を討った。

 首実検の場にて信長と再会した利家は、膝を折った。

「お前の執念深さには呆れるな……」

 信長は、無断で参戦してきた利家を責めることはなかった。

 どうやら足立六兵衛という武将は、かなりの大物だったようだ。

「殿――」

「いいだろう。戻ってこい、利家」

「はいっ」

 利家は、ようやく正式に織田軍の一人に戻った。

  

                  ◆


 稲葉山城では、斎藤龍興が蒼白な顔で上段の間に座っていた。

 家督を継いでまだ二日、初めての戦は惨敗であった。

 しかも、まだ十代半ば。

 

 龍興は母方の血筋である、北近江の浅井長政と同盟を結ぼうとしたが、長政は信長と同盟を結び、義龍の時代から同盟を結んでいた六角義賢ろつかくよしかたは浅井氏との関係悪化により余裕がないらしい。他国に助けを求める術をなくした龍興は、自国だけで尾張と戦わねばならない。

 

「殿、尾張の信長は美濃侵攻を諦めていないでしょう」

 そう龍興に進言してきたのは、斎藤飛騨守さいとうひだのかみという家臣である。

「亡き父上もそう言われていた。信長は美濃を狙っていると。飛騨守、勝てると思うか――?」

「弱気になってはなりませぬ。龍興さまは今やこの美濃の主にございます」

 龍興は、この斎藤飛騨守を重用していた。

 これに対し、竹中重治たけなかしげはる(※竹中半兵衛)と美濃三人衆と呼ばれる稲葉良通いなばよしみち安藤守就あんどうもりなり氏家直元うじいえなおもとは異を唱えた。

 なんでも斎藤飛騨守は、性格に難があるらしい。

 しかし龍興は、この意見を退けた。

 

「殿、これからはこの某に」

「重治なしで織田と戦うのか?」

「殿、あの男は確かにこれまで斎藤軍を勝利に導いて参りました。ですが――、先の戦では大敗。もはや、あの男の才覚では勝てませぬ」

「だが、重治の力は必要だ」

「はぁ……」

 飛騨守は納得していない顔ではあったが、他国に助けを得られぬ以上、味方は多いほうがいいと龍興は思ったのだった。 

  

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