第七話 後顧の憂いなく

 駿河・今川館――。

 この年、三河から人質とした松平犬千代が元服を向かえた。

 今川義元は、竹千代の元服に当たり「元」の字を与えた。

 その名を、松平元信まつだいらもとのぶ

 

「お屋形さま」

 家臣が、上段の間に座る義元を見上げてくる。

「また、揉めているそうだの?」

 いつのように立鳥帽子に狩衣姿の義元は脇息に半身を傾け、扇子を開いた。

 義元に問いかけられた家臣は、苦渋の色を浮かべた。

「は、はぁ……」

「忌ま忌ましい国衆め……」

 歯軋りをした、義元である。


 この頃――西三河では、反今川の動きが見られ始めていた。

 今川側だった酒井忠尚さかいただなお西条吉良氏さいじようきらしらが、尾張・織田側へついたのである。どうやら、今川の西三河統治が気に入らないとみえる。 

  国衆は、その地に於いて独立した地域権力を築いた存在である。

 その勢力は小さいが、彼らは敵対する領国の境目付近にいることが多い。味方にすれば軍力を得られるため、彼らを調略したが、どうやら織田側の調略により向こうについたようだ。


 ――さすが、虎の子は虎よ……。


 西三河での戦にて、義元を手こずらせた尾張の虎・織田信秀。

 今度はその息子が、義元を阻んでくる。

 これまで、今川の対抗勢力は尾張の織田だけではなかった。

 相模国の北条、甲斐国の武田がいた。

 だが国の勢力はいずれは衰える。安定した力を保ちつつ、他国へ攻め入りたいと思うのはどこの大名も同じだろう。

 ゆえに大名たちは、和睦や婚姻にて同盟を結ぶ。

 

 義元の正室・定恵院じようけいいんの父は、甲斐・武田信虎たけだのぶとら(※武田信玄の父)であり、これによって駿河と甲斐は同盟関係になった。

 まさかその信虎が、甲斐から追われて義元の所に来るとは意外だったが。

 聞けば河内路から甲斐へ向かう国境にて、息子・晴信(※のちの信玄)たちに帰路を塞がれたらしい。

 

 問題はこの婚姻が、北条は気に入らなったらしい。

 もともと相模小田原の北条氏は、室町幕府の有力な官僚である伊勢氏の出身であり、足利一門である今川氏と近しい関係にあった。

 だが東と西に敵を持つことは、戦略上好ましくない。よって義元は、武田・北条両氏との関係修復の上、新たな盟約を結ぶことを決めた。

 

 それがこの年、善徳寺ぜんとくじにて義元以下、甲斐の武田信玄、相模の北条氏康との間で結ばれた同盟(※甲相駿三国同盟)である。

 これで、心置きなく尾張に侵攻できると思っていたのたが――。

 

「お屋形さま……」

「雪斎に伝えよ。何としても西三河を鎮め、尾張への進軍を開始せよとな!」


                    ◆


 この年、天文から弘治こうじに改元――。

 織田勢は今川勢に奪取された地を奪還し、さらに西三河では一部の国衆の反今川として舵を切ったことにより、機運は織田側に傾きつつあった。

 なのに――。

 

 清州城の廊を進んでいた帰蝶は、この時期には珍しい北風が吹いてきたことに足を止めた。

 かつて、尾張下四郡守護代・織田大和守が主であった清州城――。

 織田大和守家が消え、信長たちは那古野城から清州城に移った。

 立派な石垣に屋根瓦、高くそびえる天守閣――、帰蝶が生まれ育った稲葉山城に劣らぬ構えだ。

 

「如何されました? お方さま」

「いえ、なんでも……」

 その風が吹いてきたのは一時、気に留めるまでもない風ではあったが、帰蝶の脳裏に父・道三が過った。

 

 尾張に嫁いできてから逢うことはなくなったが、今になり父のことが気になった。

 

 ――私は、殿のお役も立ててはいない……。

 

 もともと、和睦のために嫁いできた身である。

 今のところ友好関係は保っているようだが、破綻となればこの身は美濃に戻される。そしてまた、新たな男へと嫁がされるのだ。

 だが、帰蝶にはやらねばならぬことがある。

 織田信長の妻として――。


                   ◆◆◆


 叔父・信光の策により労せず清州城を手に入れた信長だったが、未だ末森城にいる弟・信行と会えずにいる。  

 利家ら若い家臣たちは、無理難題をいう守護・斯波義銀しばよしかねとぶつかっているようだが。

 

「情勢はどうなっている? 勝三郎」

 この日も書状一つ一つに目を通していた信長は、側にいた恒興に問いかけた。

「いい報せと悪い報せがありますが?」

恒興の意味深な言葉に、信長は眉を寄せる。

「――いい報せから聞こうか?」

「西三河の国衆が続々と、反今川に傾いているとの報」

「義元め、相当焦っているだろうな」

 西三河は、父・信秀の頃から攻めていた地だ。

 

「もう一つ――、今川軍を率いていた太原雪斎たいげんせつさいが亡くなったとのこと」

「――となれば……」

「義元公が出てくるでしょうね」

 ついに、今川義元が出てくる。

 確かにいい報せだ。

「いよいよだな。で、悪い報せのほうは?」

「末森城の信行さまですが――」

 

 この年――、信行は達成とさらに改名したらしい。

「達」の字は守護代・織田大和守家当主の一人、達勝たつかつの一字で、信行が滅亡した守護代家の役割の代行を表明したのではないかと恒興はいう。

 尾張ではいまだ同族が衝突し、叔父・織田信次おだのぶつぐの家臣により、同腹の弟・秀孝ひでたかが射殺されるという事件が起きた。

 ちなみにこの叔父・信次は、尾張下四郡守護代・大和守家が松葉城と、その並びにあった深田城を占拠し、萱津戦かやづせんに至った時に人質となっていたあの人物である。

 

 秀孝が射殺されたのは理由があり、信次が家臣を連れて龍泉寺の下の松川渡し(現在の庄内川)で川狩りをしていたところ、一人の若者が馬に乗って通りかかったらしい。

 若者が馬から下りず挨拶もしないという無礼な態度だったため、信次の家臣は怒って弓で射殺したという。

 近づいて見てみると、それが織田秀孝だったというのだ。

 

 信長は「単騎での行動は軽率であり、秀孝にも咎がある」と叔父・信次を許した。

 何しろ報を聞いて駆けつけた信長自身も、単騎だったのだから人のことは言えない。

 しかし、信行の対応は違ったらしい。守山城下を焼き払ったという。

 

 信長の想いをよそに、信行の心が離れていく。

 信長は守護・斯波義銀とともに清州城にいるが、守護代になろうという気はさらさらなく、ただ尾張の平定を願っているだけである。

 信行にすれば信長は守護を抱え込み、守護代として尾張を手に入れようとしていると思っているのだろうか。

 せっかく今川義元が出てくるかも知れないと言うに、後顧こうこの憂いなくとはいかないようだ。



 一方、美濃では道三が思わぬ相手に苦しめられていた。

 嫡子・斎藤義龍である。

 義龍に家督は継がせたが、彼は義龍を評価はしていなかった。

 逆に義龍は道三の政策と立ち居振る舞いに、不満と危機感を募らせていったようだ。

 

――もはや、アレに美濃は任せられぬ

 

 ついに道三は義龍を廃嫡して、義龍の弟・孫四郎を嫡子にしようとし、その弟の喜平次には名門一色氏の名を名乗らせた。

 しかしこれが、父子の仲をさらに最悪にしたようだ。

 この年、義龍は叔父・長井道利と共謀して孫四郎・喜平次らを誘き出し殺害したのである。

 たとえ身内であれ、いざとなれば戦うことになるのがこの戦国の世。

 だが戦うとしても、此方側の戦力があまりにも少ない。

 因果応報とは、まさにこのことだろう。

 美濃一国の主と成り上がるため、彼が何をしてきたか。


 ――義龍、この道三の首が欲しいか? だがこの斎藤道三、そう簡単にやられはせぬ。


 下剋上の世を駆け上がってきた道三が、皮肉にも息子と戦う。

 もはや修復不可な父子関係は、ついに戦へと向かうことになる。

 

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