第六話 儚き野望、燃え尽きて

 天文二十三年、春――。

 尾張守山城主・織田信光は、清須城にいた。

 尾張下四郡守護代・織田信友に呼ばれたのである。

 もともと信光としては、彼と直接の繋がりはない。

 

 尾張三奉行・織田弾正忠家に生まれたが、その任を務めていたのは祖父・良信よしのぶであり、父・信定のぶさだ、そして兄の信秀という代々の当主だからだ。

 当然顔を合わせる機会はなかったが、その機会は向こうからやって来た。

 

「よく参られた。信光どの」

 上段の間にて、守護代・織田大和守信友が口の端を緩めた。

此度こたびの守護代さまのお呼び出し、如何なる要件でございましょう?」

 信光の問いに答えたのは、上段の間のすぐ下にいた大和守家臣・坂井大膳である。

「信光どの、我が殿は貴殿を疑っておられる。我が方に味方すると言ったのは偽りではないか、と」

 一瞬、ギクリとした信光である。

「これは心外。確かに那古野城の信長は我が甥。なれど、アレはとんでもないことをしでかすうつけにござる」

 

 昨年の夏――、信光の守山城を守護代配下という男が訪ねてきた。

 それが信光のやや斜め前にいる、坂井大膳である。

 彼は守護代側につくことを、信光に進言してきた。そして、さらにこう言った。

 

 ――大和守さまが尾張国主となった暁には、信光さまにはそれなりの地を任せたいと申しております。


 どうやら信友が、信長の敵に回ったというのは本当らしい。

 しかも、尾張守護まで自刃じじんに追い込んだという。

 尾張を手に入れたいという欲が、主殺しにまで至ったということなのだろう。

 信光にとって信長は甥だが、末森城主となっている信行も甥である。その信行を、信友は弾正忠家跡取りと仕切りに推しているとも聞く。

 はたしてそれは、三奉行としての弾正忠家に期待してのことか、それともうまく操つろうという考えか、今となっては守護代といえど、悪い事しか想像できない信光である。


 信光は、自分を取り込もうとする彼らに乗った。

 しかし、今年の年明け後に起きた村木砦の戦いに於いて、信長に従ったことが信友たちの疑惑を招いたようだ。

  

「あれは誠に、うつけか?」

 信友が、下衆げすびた笑みを浮かべる。

「は。このままでは御身に災いを呼びましょう。ゆえにここは信長の手の内をしる我が軍勢がこの清須城をお守りしましょうぞ」

 平伏する信光に、信友が坂井大膳に意見を求める。

「そなたはどう思うか? 大膳」

「ここまでいうからには、信じてよろしいかと――」

 どうやら他意はないと、二人に信じてもらえたようだ。


 ――まったく、一時はどうなることかと思ったぞ……。


 清須城を辞して、信光は大仰おおぎように嘆息した。

 だがこのあとの展開を、信友たちは知る由もないだろう。

 もし彼が守護・斯波義統しばよしむねあだなすことなく、守護代としての務めを果たしていれば、結果は変わっていたかも知れないが。

 信光は清須城を一瞥いちべつし、きびすを返した。


  ◆


 四月に入り尾張の地は、薄紅に染められていく。

 尾張・那古野城――。

 村木砦の激戦から僅か数ヶ月しか経っていないが、今川義元本隊との戦いとなると、さらなる激戦となるだろう。

 風に舞う花弁を横目に盃を傾けていた信長は、二口目を口に運びかけてその手を止める。


「信長さまっ」

 断りもなく敷居を跨いできた人物に、恒興が眉を寄せる。

「利家、無礼だぞ!」

「構わん。何事だ?」

 利家は、入ってくるなり機嫌が悪い。

「義銀さまのことです。朝餉あさげをお持ちしたところ、文句を言われたのです」

「いつのことだろう?」

 亡き前尾張守護・斯波義統の嫡子ちやくし斯波義銀しばよしかね――、那古野城にてその身を置くようになってから、苛立ちを周りにぶつけるようになった。

 しかし利家も、鬱憤うつぷんが溜まっていたらしく――。

 

「ええ、そうです。ですが、今回は魚が食いたいだの、飯が不味いだの、何なんですか!? あれはっ」

「利家、義銀さまは尾張守護だ」

「それはわかっていますけどねぇ……」

 恒興に義銀の立場を言われてしまえば、利家も苛立ちを引っ込めるしかないようだ。

 だがこの時、ある計画が実行されようとしていた。

 

◆◆◆


 尾張下四郡守護代・織田信友は、前守護代・達勝たつかつの実子でなく養子である。

 織田大和守家おだやまとのかみけは元々は織田伊勢守家おだいせのかみけの弟筋であり、初代は守護代の更に代理である又守護代を勤めた家系であった。

 

 聞くところによると応仁の乱のとき、数代前の織田敏定おだとしさだは先代の尾張守護・斯波義敏しばよしとしと共に東軍に属したという。そのため斯波義廉しばよしかどを擁立して西軍に属した岩倉城を拠点とする守護代・織田伊勢守敏広おだいせのかみとしひろと対立したという。

 

 応仁の乱が東軍の勝利に終わると、敏定は室町幕府から尾張守護代に任じられたらしい。

 敏定が伊勢守家と争って守護代の地位を獲得し清洲城を居城としたため、この家系は「清洲織田氏」とも呼ばれるようになる。

 

 それからも力を取り戻した伊勢守家と衝突し、斎藤妙椿さいとうみようちんという男の仲介で、両軍は尾張を分割統治することで和睦したという。

達勝の代となると伊勢守家と対立することはなくなったそうだが、信友の代となって思わぬ相手が障害となった。

 織田弾正忠家である。

 

 まさか分家である弾正忠家が、主家である大和守家を凌ぐ勢力となるとは思っても見なかった信友である。

 担いでいた守護・義統も、邪魔だと思っていた織田信秀も彼岸の主となった。

 尾張はもう自分のもの――、そんな欲が信友に芽生えた。

 それなのにである。

 また、邪魔な男が現れた。

 織田信長――、彼がいる限り尾張は手に入らない。

 

「大膳! 大膳はおらぬか?」

 信友の声に、家臣・坂井大膳がやってくることはなかった。

だが――。

 

「……信光……?」

 廊に甲冑の音を響かせて、織田信光が信友の前にやって来た。

 確かにこの清州城には彼が連れてきた軍勢がいるが、それは此方側へついたためだ。なのになにゆえ彼は、睨みつけ来るのか。

 

「坂井大膳ならもうこの清須城はおりません。貴方は見捨てられたのだ」

 信友には、何が起きたのか理解できなかった。

 坂井大膳は常に側にいた重臣であり、戦では彼が先導した。

「なにを言っている……? そなた……まさか――」

信光が此方側につくつもりなどなく、清州城を包囲するためと知ったとき、信友の周囲は守山城織田兵が退路を断っていた。

「この清須城は我が軍が掌握した! 最期は潔くされよ」

「おのれ……、我を謀ったのか!? 信長の指示か!」

「いいえ、この策は某によるもの」

 刃を向けてくる兵に、信友は声を張った。

「無礼者! 私は尾張守護代ぞ!!」

「貴方は欲をかきすぎた。義統さまを死に追いやり、弾正忠家に戦を仕掛けた。守護代だというのなら、弾正忠家とともに義統さまを支えていれば、かような結果には、ならなかったと思われぬか?」

「――っ」

 

 こんな形で、織田大和守家が終わるとは――。

 信友は、拳を揮わせ唇を噛み締めた。

 結局は自分も、義統同様に傀儡かいらいだったのだ。

 守護・斯波義統を傀儡としていたと思っていたが、自分も坂井大膳らの傀儡だった。

 その坂井大膳は、自分を見捨てて城から逃亡した。

 

「はは……」

 あまりにも滑稽で、惨めで、笑うにも笑えぬ。

 いったい何処で間違ったのか。


 何処で――。


はらりと、桜の花弁が舞う。

 儚き野望とともに、一人の男も散る。


「私を倒したとて、この尾張から争いは消えぬ――」

 それが――、その男の最期の言葉となった。


 尾張下四郡守護代・織田大和守彦五郎信友おだやまとのかみひこごろうのぶとも――、下四郡最後の守護代であった。

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