第二話 海道一の弓取り

 この年――、尾張・大高城おおだかじよう沓掛城くつかけじようが今川方に奪われ、知多半島西側の寺本城主花井氏てらもとじようしゆはないしも今川方に転じた。

 今川は、着々と織田の防衛圏を狭めてきている。

 

 なにせ尾張の隣・西三河は、駿河の守護大名・今川の属領ぞくりよう(※その国に付属している領地)である。 攻めてくるなら、三河方面からだろう。

 信長にとっては今川と、尾張下四郡守護代を相手に戦わねばならない。

 さすがに信長といえど、両方同時には戦えない。

 だがこの時、信長が見ているのは、西三河の方角でも清州城の方角でもなかった。

 馬を飛ばしてやってきた平原は青草が茂り、風が撫でるように吹き抜ける。


 ――お前はもう、俺のことが信じられないか? 勘十郎。


 この尾張のために共に力を合わせていきたいと願う弟・信行は、文を送っても返事が来ることはない。末森城主となって忙しいのだろう。

 信長の想いは、はたして信行に届いているだろうか。それとも、兄のこれまでの行状ぎようじように愛想をつかしているだろうか。

 いくつもの感情が殺到して、彼の胸にあふれる。

 

 信長は、手にしていた弓に矢をつがえる。

 かつて父・信秀とともにやってきたこの鷹狩りの地、野兎のうさぎが潜んでいそうな場所に狙いを定め矢を射る。

 矢は目標目がけて飛んだが、兎のほうが上手うわてだった。

 いち早く危険を察知したのか兎は逃げ、獲物を失った矢だけが地へ向かっていく。

 

「――俺は、まだまだだな……」

 

 いつの日か、信行を誘ってここに来よう――。

 

 そう思って数年、周りの環境が兄弟を裂いていく。


 ――俺とお前とは、争わねばならないのか?


 未だ二つに割れる、織田家家臣団。

 末森城の織田家家臣が信長に対して敵意を示してきたことはないが、疎まれていることは確かだろう。それはいい。

 信長の中には、無邪気に駆け寄ってくる幼い弟の記憶しかない。

 

 まだ吉法師と名乗っいた頃――、末森城で弟や妹に会うのが信長は楽しみであった。

 その頃は尾張をなんとかしようなど思ってもおらず、ただひたすらに父・信秀の背を追っていた。

 しかし信秀が信長を振り向くことはなく、母・土田御前には疎まれ、彼を慕ってくるのは幼い弟・信行と、妹の市だけだった。


 ――人は、変わるもの。


 沢彦宗恩たくげんそうおんの、言った言葉が蘇る。

 信長の趣味の部屋には南蛮人からもらった遠眼鏡とおめがね(※望遠鏡)があり、遠くまでよく見渡せた。だが人の心と先の運命は、覗き見ることはできない。

 成長した信行が、今何を考えているかなど。

 この先――、何人の血を、この尾張に染めねばいけないのか。

 空を飛ぶ鷲も、信長の心の問いに答えてくれることはなかった。


                ◆


「――なかなか、進まぬようだの? 雪斎せつさい

 立烏帽子たてえぼし狩衣姿かりぎぬすがたの男は、すぅっと目を細めた。

 背後には足利一門を意味する、丸の内に二つ引両紋びきりようもん

男の名を、今川義元という。

 

今川氏は、足利義兼あしかがよしかねの孫・吉良長氏きらおさうじの次男・今川国氏いまがわくにうじが、三河国・今川庄を領して今川と称したことに始まる。

 

 今川家は足利一門において名門とされ、足利将軍家の親族としての家格かかくを有し、室町将軍家から御一家としてぐうされた吉良家の分家にあたる。

 足利宗家(室町将軍家系統)の血脈が断絶した場合には吉良家は、足利宗家と征夷大将軍職の継承権が発生する特別な家柄であった。

 

 その吉良家の分家である今川家は、守護や侍所所司さむらいどころしよしを務めるようになった。

 軍功ぐんこうにより副将軍の称号をゆるされた今川範政いまがわのりまさの子・範忠のりただは、永享えいきようの乱の戦功によって室町将軍家から本人とその子孫以外の今川姓の使用を禁じるとする「天下一苗字てんかいちみようじ」の待遇を受け、今川姓は義元の駿河守護家のみとなった。

 

 代々、駿河守護家を継承する今川家十一代当主・義元は、今や所領しよりようも駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで領土を拡大させた。

 そんな義元についた名は、海道一かいどういち弓取ゆみとりであった。

 だが、そんな義元の前に立ちはだかったのは尾張・織田信秀であった。

 義元が扇子せんすを広げ眉を寄せる前で、雪斎は低頭した。

 

「尾張は、なかなかしぶとうございます」

 太原雪斎たいげんせつさい――、かつて義元の教育係で、義元を政治・軍事の両面で全面的に補佐した。

 尾張攻めに於いても、雪斉の力は大きい。

「もう織田信秀はおらぬ。尾張を攻めるは今ぞ?」

 そう、義元を手こずらせた織田信秀は、もうこの世にはいない。

 ゆえに義元は、尾張攻略がすぐに終わると思っていた。

 

「既に尾張守護代・織田大和守らは、我らに恭順きようじゆんする由」

「ふん。そやつ、わしの首を狙わぬであろうの? 聞けば、尾張守護・斯波義統を襲ったというではないか?」

「ご安心を。御屋形さまに指一本触れさせませぬ」

 頼もしい雪斉の発言に笑んだ義元だが、すぐに眉を寄せた。

「残るは信秀の小倅こせがれ……ということか」

 

 信秀の小倅――、その名を織田信長。

 既に彼が率いる軍とぶつかっている今川軍だが、一月の戦いでは大敗を強いられた。

 だが、尾張攻めを諦める義元ではなかった。

 義元は薄く笑った。

 

 ――信秀、お前の倅の首を前に酒を呑もうぞ。 


               ◆◆◆


「信長さま、如何されましたか?」

 那古野城広間にて書状一通一通に目を通していた信長が渋面になり、一緒にいた恒興が視線を運ぶ。

 

 八月――、今年も蝉時雨せみしぐれが盛んだ。

 ここ何日かだるような日照りが続き、田畑の影響が気になるところである。

 

「……悪寒がする……」

 そう言って眉間にしわを刻む信長は、なんとも嫌そうな表情である。

「夏風邪でも召されましたか」

「いや、違うな……。何処ぞの誰かが俺の噂をしてるんだろうよ」

「と申されますと?」

「守護代か、それとも……、今川義元か」

 確かに二人に噂されているとすれば、いい気はしないだろう。

「そういえば義元公は、海道一の弓取りと呼ばれているとのこと」

「たいそうな名だな」

 信長が嘲笑った。

 

 なんでも『海道一の弓取り』の海道とは東海(※現在の静岡、愛知の一部)を意味し、弓取りは国持大名のことをいうという。つまり今川義元は東海の覇者ということである。

「信長さまは、なんと言われているのでしょうね?」

「ろくな呼ばれ方をしていないだろうさ」

 自嘲気味じちようぎみにいう信長に、恒興は言った。

 

「この那古野城には、信長さまをもう『うつけ』と呼ぶ者はおりませぬ。人を驚かすのは、相変わらずですが……」

「どちらにしろ、また戦になる」

 

 恒興も、それは否定はしない。

 いまは平穏を保っている尾張だが、嵐の前の静けさと考えると、恒興も眉を顰めたくなる。

今川義元が海道一の弓取りと言われているというのを思い出した恒興は、同時にある人物の言葉を思い出していた。

 それは信長の教育係であった臨済宗僧侶・沢彦宗恩たくげんそうおんで、ちょうど那古野城をする彼と恒興が遭遇したのである。



「信長さまは何れ、この尾張の覇者となられましょう」

 

 幼い時から信長の側にいる恒興とも知らぬ仲とあって話したのか、宗恩は静かに語った。

「信長さまが……?」

拙僧せつそうには戦のことはわかりませぬ。ですが信秀公亡き現在いま、この尾張を纏められる方は信長さまをおいて他にいないと存じます。池田さまも、そう確信されておられるのではございませんか?」

 そう問われて、恒興は「是」とも「否」とも言えなかった。

 確かにそうなったら、どんなにいいか。

 


「勝三郎――」

 呼ばれて恒興は、はっとして肩を震わせた。

 視線を上げると怪訝そうな、信長の目と合う。

「珍しな。お前がぼうとするなど」

「申し訳ございません。ただ先の戦では、多くの兵を失いました」

 恒興はそういうと、視線を外へ運ぶ。

「そうだったな……」


 それは今年の一月に起きた、今川勢との戦である。

 きっかけは、尾張国知多郡東部および、三河国碧海郡西部を領している刈谷城主・水野信元(※徳川家康の伯父)を討たんと、今川勢が攻めてきたことに始まる。


 ――世にいう、村木砦むらきとりでの戦いである。

 

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