第三章 激戦の果てに

第一話 激震!尾張守護謀殺

 尾張・守護屋敷しゆごやしき――、尾張守護・斯波義統しばよしむねは中庭にて空を見上げていた。

 空は十日も降り続いた雨が上がり、雲間から青空が覗いていた。

 だが、義統の心は曇ったままだ。

 

義統はわずか三歳にして尾張の国主となった。

 永正十二年に起きた引馬城ひくまじようにおける今川勢との合戦で、前尾張守護にして父・斯波義達自身しばよしたつじしんが捕虜になるほどの大敗を喫し、剃髪ていはつをさせられた上で尾張に送り返される屈辱を受けたという。これにより父・義達は実質的な引退に追い込まれたのである。

 しかも尾張国内は応仁の乱以降、上四郡を支配する伊勢守家と下四郡を支配する大和守家の守護代二派に分裂し、幼い義統にはこの状況をどうすることもできず、大和守家の織田達勝・織田信友父子に擁される傀儡的存在になるのみであった。

そしてそれは、今も変わらない。


 ――なにゆえ、この私が……。


 もともと斯波家は、室町幕府将軍家・足利一門であり、管領かんれいに任ぜられる有力守護大名であった。

 管領は将軍を補佐して幕政を統轄とうかつするという、室町幕府において将軍に次ぐ最高の役職である。

 それが、家臣筋である守護代の顔色をうかがうようになるとは――。

 義統が、部屋に戻ろうとした時である。

 

「お屋形やかたさま! お逃げください!!」

「何事じゃ?」

「守護代・大和守の謀反むほんにございます!!」


                    ◆


「また、一雨来るな……」

 花頭窓の際にいた信長は、にわかに曇りだし雷鳴まで呼んだ空に眉を寄せた。

 こうなると、外出はできない。

 少しでも今川の動きが知りたがったが、目と耳となる国境くにざかいの衆は、雨となれば市を開くことはないだろう。


 ――なぁに、また騒がしくなるさ。


「殿!!」

さっそく聞こえてきた声に、信長はふっと笑う。

 ほらな――と。

 声の主は、恒興のようだ。

「勝三郎、なんの騒ぎだ?」

斯波義銀しばよしかねさまがお越しにございます」

「斯波義銀さま……?」

 一瞬、誰のことかわからなかった信長であった。

 

                  ◆◆◆


 天文二十二年、七月十二日。

 その日――守護・斯波義統の嫡子である義銀は、川狩りに興じていたという。その報せが届く前は。

 父である尾張守護・義統が、尾張下四郡守護代・織田信友とその家臣・坂井大膳によって自刃させられたというのである。

 義銀は必死で那古野城に駆け込んできたのか、その顔は強張っていた。

 

「原因は……、俺か」

 信長は、原因が己にあると察した。

「殿……」

 信友たちは義統が織田弾正忠家に近づくのが、以前から気に入らなかったらしい。

 それでもまだ守護をかついでいたようだが、信長への暗殺計画を信長本人に告げたことが、今回の謀殺ぼうさつに繋がったようだ。

 

 確かに秘密を知ったとしてもそのまま口をつぐんでいれば、義統は死ぬことはなかっただろう。だが守護という誇りが、大和守家の傀儡でいることに耐えられなくなったのだろう

 これを信友たちは、裏切りと思ったのだろうか。

 

「父は殺されたのだ。信長どの。かような暴挙ぼうきよ、許せぬ! そうであろう?」

 下剋上の世とはいえ、家臣が主君を死に追いやるのは非道。

「――義銀どのの言うことはもっとも」

「ならば、かたきを討ってくれるな? 信長どの」

 義銀はまだ守護職ではないが、口調は半ば命令である。

「守護代を討てと?」

 

 守護代・大和守家は織田弾正忠家にとっては主君にして本家、こちらから攻めるということは謀反。ゆえに信長は、これまで自分から攻め込まなかった。

 業を煮やした義銀が、信長に吠えた。

 

「大和守はもう守護代ではないっ。主君にあだなした謀反人ぞ!」

 確かに義銀の言う通り、主君殺しの謀反人を討つという大義名分ができたことになる。しかしそれでも、信長は冷静だった。

「落ち着かれよ、義銀どの。急いては事を仕損じると言う通り、ここは慎重に進めるのが得策と存ずる。まずはこの那古野城にて、ごゆるりとくつがれよ」

「さすがは父が頼りにしていた弾正忠家じゃ」

 仇を討ってくれると満足したのか、義銀は機嫌を直して広間を出ていく。

 

「殿――」

 思わず腰を浮かした恒興に、信長が嘆息した。

「どうやら信友どのとは、決着をつけなきゃならんな」

「向こうも同じことを思っておりましょう。今川と手を組んでいるという噂が真実ならば、この尾張をどうするかは明らか」

 信長が渋面で両腕を組んだとき、思わぬ来訪者があった。



「柴田勝家、此度こたびの戦に加わりたく、推参仕すいさんつかまつりましてございます」

 甲冑姿の勝家が、信長の前で膝を折った。

「それはいいが、お前の意思か?」

「弾正忠・信勝さまの意思にございます」

 

 このとき、家臣たちの何人かが表情をひきつらせた。

 まだいつ攻めるか信長が決断していないというのに、末森側はその気らしい。

 これに喜んだのが、上段の間にすぐ下にいた斯波義銀である。

 那古野城家臣団といえば、一部のものは勝家を睨んでいた。

 確かに信長を前にして『弾正忠・信勝』と口にするということは、末森城の信行さまが弾正忠家の当主と言っているようなものだ。 



 天文二十二年七月十八日――、この戦いにおいて勝家は活躍したらしい。

 信長の命を受けた柴田勝家らは、清洲城へと向かったという。対する清洲方は山王宮辺り(※現在の日吉神社)で応戦するも打ち破られ、乞食村、そして誓願寺じようがんじ(※現在の名古屋市北区成願寺)まで後退したという。

 生憎あいにく、大和守・信友と坂井大膳の首は取れなかったらしいが、勝利はしたようだ。

 この戦いの翌日、那古野城内ではやはり勝家が口にした『弾正忠・信勝』について、重臣たちが怪訝な顔を突き合わせていた。

 

「柴田どのは信行さまの意思などと言っていたが――、この際は守護代にと信行さまを推す肚ではないだろうな?」

「まさか……」

「わからんぞ? 大和守さまが討たれれば、下四郡守護代はいなくなる。そもそも義銀さまは、我々那古野城方に参ったのだ。それをあのように戦支度でやってこられれば、我が殿の立つ瀬がござらん」

「……というと?」

 前田利家が首を傾げた。

「わからんのか? 利家」

「まったく……」

 これに答えたのが、佐久間信盛である。

 

「―― あの時、柴田どのは殿の前で、なんと言った?」

 あの時とは、最初にこの那古野城に来たときだろう。

「弾正忠・信勝さまの意思と……、あっ……」

 さすがの利家も、気づいたようだ。

「自称とはいえ、先々代から受け継がれた官位名を、次期守護・義銀さまの前で口にした。弾正忠家当主の意思、だとな」

 つまり、次期・守護に対しても弾正忠家の後継者は信行だといったことになるのだ。

 佐々成政が口を開く。

「殿は気にされてない様子だったが、ああもあからさまだと、この先なにが起きるかわからんぞ」

「やめてくださいよ! 変な冗談は……」

 利家は、表情を引きつられつつ笑った。


 ――俺は、信行と争うつもりはない。


 信長は以前、そう恒興に言った。

 しかしもしその信行が対立姿勢を露わにしてきた場合、信長はどうするのだろうか。

 国も人の心も一つにするという信長の夢は、なんと厳しく険しい道だろう。


                ◆


 尾張・守山城――、城主・織田信光おだのぶみつの元を意外な男が訪ねてきた。

 信光は信長の叔父で、信長を弾正忠家後継に推している。

 訪ねてきた男は、守護代の配下だという。

 弾正忠家と繋がりのない、上四郡守護代・伊勢守ではないだろう。ならば、大和守の方ということになるが。

 対応に迷う信光の前で、その男は切り出した。

 

是非ぜひ、我が殿のお力になって頂きたく」

「殿というと……?」

「織田大和守――、信友さまにございます」

 信光はやはりと思ったが、大和守が信長を敵視しているという報は信光も知っていた。

 おそらく大和守・信友は、信長の身内を切り崩しにかかったのだろう。

 既に、信行にも接近しているという噂もある。

「――この織田孫三郎信光、ただでは動かぬ」

「……大和守さまが尾張国主となった暁には、信光さまにはそれなりの地を任せたいと申しております」

「ほぅ……」

 信光は扇子を口に当て、目を細めた。


 

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