第37話 落胆
プルーンが第四王女のアスカ姫と南方のコーラル伯爵領に向かってから半年が経過し、俺と星さんがこちらの世界に来て四回目の春となった。
王女一行は、そろそろコーラル領に到着した頃だろう。
俺は、ミハイル様の上屋敷で働きながら、時間をつくっては王立博物館に行き、学術員のパナレールさんと、人間がこちらの世界に転移した際、持ち込んだアイテムの整理と研究を手伝っている。
これらを収集したテシルカンさんは、もう一年以上、博物館には立ち寄っていないので、そろそろフラっと顔を出されるかもしれないとパナレールさんは言っていた。
花梨も、かなり歩くようになり、歯が生えて離乳食へ徐々に移行しているが、星さんの母乳が、以前ほどではないにせよ相変わらず出続けていて、苦しそうな時は俺が吸ってやっている。
メロンは、魔法学校が第一志望だが、魔法適性を見極める必要があり、その予備校見たいな私塾に通っている。エルルゥは、服飾系の専門学校に入り、そこに通っている。まあ、プルーンが出発前に、相当な額を置いて行ってくれたおかげで、物価の高い王都で、みんな何とか暮らせている感じだ。
そして……その日の事が一通り終わって、寝ようかというところで、ドンドンと家の戸が叩かれた。なんだ、こんな夜中にと思いながら外を見たら、メロンが立っていた。
「ゆうた。真夜中にごめん。ちょっと私じゃ手に負えなくて、手を貸してもらっていい?」
メロンは、俺の部屋の二階上に、エルルゥと部屋を借りてシェアしている。
そこへ行ってみると、うわっ酒臭い! なんだ? エルルゥが酔っぱらっているのか? なにか気に入らない事があったのか、すさまじい勢いで壁や床を蹴ったり叩いたりしている。これじゃ、怪我しちゃうぞ。
「さっき、帰って来てからずっとこんな感じなの。私が話掛けても、あんたには関係ない! みたいな感じで……このままじゃ、近所から苦情が来ちゃうし、私、明日模試なんだよね。早く、休みたいんだけど……」メロンが困り果てて俺にそう言った。
「わかった。おれがなだめてみるよ。メロンは、俺んちで花梨と寝てていいから」
「ありがと。そうさせてもらうね」そう言って、メロンは自分の枕と寝間着を持って下に降りていった。
「おーい。エルルゥー。いったいどうしたんだー。お前らしくないぞー」
俺はゆっくり、エルルゥに話かけたところ、エルルゥは「……ゆうた……ゆうたぁ」といって俺にしがみついてきた。とりあえずこれで、騒音は発生しないかな。
「何があったかは知らんが、俺とお前の仲だ。泣きたい時には胸ぐらい貸すぞ」
エルルゥは大声でわんわん泣き続けてる。あっ、まずい。下から、うるせーぞーって声が聞こえた。仕方ない。俺はエルルゥをギュッと抱きしめて、頭を撫でてやった。そうしたら、ようやく落ち着いてきた様だ。それから、エルルゥに水を飲ませた。
「話してみろよ。何でも聞くぜ。彼氏にでもフラれたか?」
「ひっく。ぶしゅ……違うわよ……もっとヤバイやつ……」
「えー、まさか強姦でもされたか?」
「もー、なんであんたの頭はそっちしかいかないのよ……違うのよ。
私はファッションデザイナーにはなれないのよ……」
「え?」
その後、エルルゥがしゃくりあげながら説明してくれたところによると、エルルゥが通っている専門学校は、服飾の基本技術をまず学び、その後試験選考で合格したものが、デザイナーコースに進めるらしいのだが、その試験は、最初からエルフしか合格させないらしい。
「人間ならいざ知らず、獣人でそんな事があるのか? それなら学校案内とかに書いてあったのかな」
「ううん。どこにもそんなのは書いてないわよ。一応差別は王律憲章で禁止されているから。でも私が試験の申請しようとしたら、クラスメートが、なんでそんな無駄なことするのって……試験の結果は、学校が自由に出来るし……獣人がデザイナーになれる訳ないじゃないって……皆がそう言うの。知らなかったの私だけなの……馬鹿みたい! この国では、獣人は最初からお針子が相当って決まっていたのよ!」
そうか、それは堪えただろうな。エルルゥはまっすぐにデザイナーを目指していたものな。
「そうか。お前は何も悪くないさ。でもな、デザイナーコースを卒業しないと、デザイナーにはなれないのか? 別に資格とか看板が無くてもデザインって出来るんじゃないのか? 少なくとも俺の世界ではそうだったけど……長いことお針子修行して、結構年配になってからデザイナーになった人とかもいたと思うし」
「……ゆうた。ありがと。やっぱりあんた優しいわ。そうだね、私、もう少しここでお針子の修行して、あんたの世界でデザイナーやるわ」
そう言いながらエルルゥが、うるんだ瞳で俺を見つめながらモジモジしている。
その時、俺は、またあの辺境守備隊の兵士の言葉を思い出した。
(いいか。獣人の発情期は春先だ! そのころ、お前の前でもじもじするメスがいたら脈ありだから、さっさとヤッちまえ。がはははははは)
「ゆうた……あんた、すごくエッチな匂いがしてる。あかりさんとしてたんでしょ?」そう言いながらエルルゥは、いつの間にか俺の脇にすりよって来て両手で抱き付いてくる。
「ああ、ってエルルゥ、よせ。俺は気落ちしているお前に付け込むような形では、こんな事したくないぞ!」
「違うよー。あんたの世界に行くんだから、私もあんたのつがいになりたいだけ……第三夫人でいいからさ……私、もう我慢出来ないよー」
いかん、これは……エルルゥがいい匂いすぎる……そこで俺も理性が飛んだ。
俺はそのまま、エルルゥと一つになった。
「はあっ、はあっ。ゆうたはこんなに気持ちいい事を、あかりさんやプルーンといっつもしてたんだ……でも、私も初めてがゆうたでよかったよ」
「えっ? エルルゥ……初体験?」
「そうだよー。私って誤解されやすいけどさー、結構身持ちは堅いんだよー」
はは、そうか……なんかやらかした感がハンパないな。
こうして俺は、エルルゥにも責任を取らなければならない立場になったのだが、翌朝、部屋に戻った際、匂いから何があったかを察したメロンから、色々妄想してしまい試験がさんざんだったと文句を言われた。
また、エルルゥは直接、星さんに第三夫人宣言をしたそうで、なんか許してはもらえたらしいが、その後一週間くらい、星さんは俺と口を利いてくれなかった。
◇◇◇
「『えるるぅ』って書き方、これで合ってる?」
「あはー。合ってるよー。それじゃカタカナも書いてみよう」
今夜も、エルルゥが俺の部屋に来て、星さんから俺の世界の言葉を習っている。
俺の世界への留学希望なので、言葉も覚えなければという事らしい。
まあ、俺と星さんも、この世界の言葉を覚えなければ、今まで生き延びられたかすら怪しいし、重要な事だと思う。
「ぱっぱ、ほい!」
花梨もエルルゥの真似をして、何か書いて俺にくれるのだが、まあ当然、字には見えないな。
そんなさなか、戸口に誰か尋ねてきた様だ。
俺が出てみると、パナレールさんが玄関口に立っていた。
「パナレールさん。よくここが分かりましたね。こんな時間に一体どうしました?」
「ゆ、ゆうたさん。突然すいません。住所は教えていただいてましたが、ダウンタウンなんて来るのも初めてで、ちょっと迷ってしまって……いやいや、そうではなくて
すぐお伝えしなくてはと思ってやってきた次第です」
「そんなに、緊急案件なのですか?」
「はい! あなたにとって、緊急も緊急。
テシルカン様が、夕方、博物館にお立ち寄りになったのです!」
「えっ、それで?」
「あなたの事はお伝えしましたが、今回はすぐに帰国せねばならないらしく、ゆっくり時間は取れないとおっしゃってました。でも、何とか食い下がってお願いして、明日の夕方、領地にお帰りになられる前、少しだけならという事で、博物館に立ち寄っていただける事になりました。あなたが喜ぶと思い、あわててお知らせに上がった次第です」
「ゆうくん。せっかく訪ねていらっしゃたのに、そんな玄関で立ち話なんて……狭い所ですが、おあがりになりませんか?」星さんがパナレールさんを案内した。
「はは、そうですね。お水だけでもいただければ……」
居間に上がったパナレールさんに水を渡し、とにかく休んでいただいた。
「おお、こちらがゆうたさんの人間のつがいさんとお子さん。それでこちらの獣人の方は……あれ、以前来られた方とは違いますよね?」
「あは、私は第三夫人でーす!」
「なんと! ゆうたさんは、そんなに奥さんをお持ちなのですね。なんともうらやましい……で、これは、何をなさっているところで?」
「あーこれ? これは、ゆうたの世界の言葉を習っているんだよ! 私は、将来、ゆうたの世界にファッション留学するのが夢なんだ」
「言葉……ですか。そうか! なんで今まで気が付かなかったんだろう。ゆうたさんの世界の言葉を学べれば、今まで以上に人間とのコミュニケーションが取りやすくなりますよね。そう。辞書のようなものでも作れれば……」
パナレールさんは、すっかり自分の世界に入ってしまたようだ。本当に学問が好きな人なのだろう。
そうか、明日の夕方か……いよいよ、テシルカンさんに会える。
こちらの世界の人間の情報がいろいろもらえるだろう。
日が暮れてしまい、パナレールさんを一人で帰して何かあるとまずいので、中央公園のところまで、俺が送る事にした。
「パナレールさん。今日はわざわざお知らせいただいて本当に有難うございました」
「いえ、テシルカン様との面会は、ゆうたさんの念願だったのでしょう? いつもお世話になってますし、このくらい……そう、お世話になりついででご相談なのですが
……さっきの辞書の話。ゆうたさんもお手伝いいただく訳には行きませんか?」
「ああ、もちろん。出来る限りのお手伝いは致します。ですが、上屋敷の仕事もありますし、我々の言葉も一種類ではないのですよ。こっちに飛ばされた人間をすべて網羅するのは……でも、まあ英語と日本語なら……そうだ! おれのつがいの星さんは
俺の母さんと同じ、海外相手の商社勤めだったし、英語もなんとかならないかな
……それって、何か辞書のフォーマット見たいなものをいただければ、自宅でも作業が出来るのではないでしょうか?」
「おお、よい考えです。そんなには出せませんが、もちろん報酬はお支払いしますので、是非ご検討下さい」
「わかりました。伝えておきます」
家に帰って、パナレールさんのアイディアを星さんに告げた、
「えー。まさか、この世界で英語のお仕事が出来るとは。
花梨も大きくなってきていろいろ入用だし、是非、お願いしたいわー」
星さんも二つ返事でOKしてくれ、こうして人間の辞書創りがスタートする事になった。
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