第3話 遭難

「ゆうくん! 起きて! しっかりして」


 何度か身体をゆすられて、俺は気が付いた。そうだ、俺はあのゲートとかいうのに落ちたんだっけ。まだ気持ちが悪い。

 そうしてゆっくり眼を開けるとすぐ目の前に、星さんの顔があった。

「うわ! おばさん。近い、近い」

「あーん。よかったよー。気が付いたー。もうこのまま目を開けなかったらどうしようかと」

「おばさんは、気分大丈夫ですか?」

「うん、まだちょっと気分悪いけど、昔から乗物酔いとかには強いほうで……でね、でね。早く戻って灯を助けないと!」


 確かにそうなのだが、なんとも思考がまとまらない。そもそもここはどこなんだ? ゆっくり身体を起こして周りを見渡してみる。どうやら、どこかの森の中らしい。まだ日は落ちていないようだが、かなり寒い。って、ちょっと雪積もってるじゃん! 

 こっちは、二人とも真夏の格好だ。

 落ち着け、落ち着くんだ。

 深呼吸して、徐々に思考を巡らせ始める。そんな俺をおばさんは、すがる様な眼つきをして見守っている。


 そう……やつはこう言っていた。タグ無しでゲートに……と。ということは、あのゲートは異世界と俺達の世界を行き来するもので、奴らが灯の首にかけていたのがタグと言うものだろう。それが無いまま俺とおばさんは、ゲートに突っ込んで、宛先不明の郵便物よろしく、奴らにも予測不能な場所についてしまったに違いない。ということは、ここが俺達の元の世界であるとか以前に、奴らの世界でもない可能性もあるということか? 

 

 考えがここに至って、事の重大さにようやく気が付いた。

「おばさん。落ち着いてよく聞いて下さい。僕らはまず、ここがどこで、どうやって帰るのかを調べなくてはなりません。でもその前に、まず自分たちの生存を確保しないと、のたれ死ぬ可能性も低くないと思います」

「でも、でも、早く灯を助けないと、あの子が豚に食べられちゃう……」

「落ち着いて! それはそうなんですが、まず僕らが生き残らないと助けにも行けません。僕らが誤ってゲートに落ちたことで、ゲートは再調整が必要な感じでしたので

運がよければ、俺の父とか警察が間に合って駆けつけてくれているかも知れません。そう信じて、今は僕らが生きて帰ることを優先に考えましょう!」

「うん、でも……わかった。ゆうくんの言う通りにする」


 とりあえず、縛られていた縄と猿ぐつわをなんとかはずし、これらは貴重な道具として再利用することにした。あとは、俺のスマホと小銭入れだけ。木刀は拘束されたとき取り上げられた。おばさんは、着衣以外何も持っていない。多分もうすぐ夜が来る。そうしたらここはどれだけ寒くなるのか。俺が不良でタバコ吸ってたりしてたならライター持っていたのにな、などと考えてしまうが……いきなりかなり難易度の高いサバイバルが始まった感じだ。


 ともかく、知らない土地で夜に動きまわるのはリスクが大きすぎる。夜明かしする場所を確保するのが第一だろう。あんな豚人間がいたりする異世界だとすると、他にどんな猛獣がいないとも限らないし、戦闘能力が限りなくゼロに近いであろうおばさんといっしょでは、用心しすぎるに越したことはなさそうだが、如何せん本当に原生林のようで、人が通ったような痕跡もまったく見当たらない。頼りないが、ちょっとは木刀代わりになりそうな枝は見つけたが……小学生のころは、ボーイスカウトにも参加していて、灯と一緒にサマーキャンプに行ったりしていたので、多少野外の知識はあるものの、この原生林では役立ちそうにないな。


「へくちん!」

「おばさん、寒いですか? そんなTシャツと短パンだけですものね。よければ僕のTシャツを上からかぶります?」

「でも、それだとゆうくんが裸になっちゃう……」

「大丈夫です。鍛え方が違いますから」

 そう言って俺は自分が来ていたTシャツをおばさんにかぶせてあげた。

「わーい、ゆうくんの匂いがする。あとで灯に自慢しちゃおう」

 ふー。おばさんは当面これでいいとして、さすがの俺でも、これは寒いな。


 すっかり陽も落ちてしまい焦ったが、なんとか風は防げそうな岩と樹のすき間が見つかり、とりあえず朝までそこでしのぐことにした。幸い、雨や雪は降ってきていないし、風さえ身体にあたらなければ、体温を奪われるリスクも少ないだろう。とはいえ、ぐっすり安眠はできない。まずは俺がそのすき間をふさぐようにしゃがみ込んで寄りかかり、コアラのように向き合いながらおばさんを自分の腹の上に乗せて密着した。とても恥ずかしい恰好だが、お互いの体温で補わないとならない緊急事態で、おばさんも何も言わずに俺に従ってくれた。


「寒くはないですか?」

「大丈夫。我慢できるよ。それよりゆうくんの方が上半身裸のままだし、Tシャツ返そうか?」

「いや、背中が岩に密着していてそれなりに温まってきましたのでなんとかなります。おばさんも嫌かもしれないけど、今日のところは我慢して俺に出来るだけ密着して下さい」

「ううん。全然嫌じゃないよ。でも、こんなに思いっきりゆうくんをギューってしたの、いつ以来だろ? 昔はよく抱っこしてあげたんだけどなー……えーい。今日は特別だ! 思いっきり、ギュ――――」

「お、おばさん、力入りすぎ。苦しいです……って――? 

 おばさん、もしかしてノーブラ?」しまった。声に出してしまった。

「あー、わかるー? 地震の前からもう寝る体制だったんで、ブラもはずしちゃってたんだよねー。こんなおばさんでごめんねー」

 まったく無防備というか天然というか……でも、こんな状況でも明るく振舞えるのは、おばさんのいいところだよな。それからもおばさんの胸がTシャツ越しではあるがコロコロと俺の胸にあたり、なんとも悩ましく、興奮していい感じにからだが温まったような気がする。よし、このままちょっとずつ興奮させてもらいながら朝まで頑張ろう。おばさんはそのうち寝入ってしまったようだが、俺が起きていれば問題ないだろう。


「……灯、ごめんね……」

 寝言だろうか。

 子供の危機にすぐに駆け付けられない親の気持ちとはどんなものなのか、正直自分にはよくわかっていないかも知れないが、辛そうなおばさんの寝顔を見ていると、一日も早く帰還しないとなと、新たな決意が沸きあがってくるようだった。


 ◇◇◇


(……ゆうちゃん、ゆうちゃん……)

(ん、灯? どうした)

(……お願い。私のお母さん。一人だと何も出来ない寂しがりだから、あなたがちゃんと守ってあげてね)

(ああ、それはもちろんだ。それでお前は大丈夫なのか?)

(…………)

(おい、灯! )


 そこで目が覚めた。しまった、寝落ちしたようだ。あぶない、あぶない。夜が明けかかるまでは確かに起きていたのだが、すっかり陽が昇ったようだ。気が付くと、おばさんが俺の上にいない。慌てて周りを見渡すと……よかった。すぐそばで、枯葉を集めているようだ。そしてその葉っぱを俺の上にかぶせてくれていたようで、かなりの量の枯葉が俺の上にのせられ、それなりに布団の役目をはたしていた。


「あー、起きたー?」

「ああ、すいません、これ。おかげで睡眠を取ることができました」

「ならよかった。一晩中私がのっかっていて重かったでしょう? ちょっとだけでも休めたらと思って、明るくなってから、周りの葉っぱを集めたんだ」

「ありがとうございます。これで、次の行動に速やかに移れそうです。まずは水と食料ですかね」

「そうだねー。お腹すいたねー。葉っぱ以外に何か食べられそうなものもないかちょっと見てみたんだけど、この辺、どんぐりすらないんだよねー」

「いやいや、仮にあっても生では食べられませんので……」

 そう、生水も危険なことがあるので火が欲しいのだが、今はそんな贅沢も言ってられないか。


 スマホの時計はAM08:45となっているが、この世界の一日の長さは、自分たちの世界とそれほど変わらないようだな。

 山で遭難して救助が望めない場合、高台から周囲を観察するのは有りだと思うが、おばさんもいるし、俺も今はそれほど体力に余裕がない。まずは、水を目指して低いところを、特に沢などがないかを探索することにした。今いる場所が山裾なのか、森全体が緩やかに傾斜しているような感じだったので、低い方を目指し、ゆっくりと進む。なにせおばさんは靴も履いていなかったため、俺の靴を貸してあげているが当然サイズは合わないので、普通の速度で歩くこと自体が難しい。そうしてお昼近くに、ようやく小さな沢を見つけた。


 虫や魚が確認できれば、少なくともその水は安全性が高いと思うのだが、この森、朝から歩いていて、鳥や動物はおろか、虫一匹確認できていない。ただ、ところどころで鳥の鳴き声みたいなのは聞こえるので、全く生物がいない訳ではないのだろう。

 喉の渇きもかなりひどく、恐る恐るではあるが、沢の水を少し舐めてみた。おばさんが心配そうに俺の様子を伺っている。

 うん、無味、無臭で水の味しかしない。思い切って両手で掬って飲んでみる。

 十分位たっただろうか。特に身体に何も異常は発生しなかったので、この水は安全と判断し、おばさんにも飲んでもらった。


「ふはー、生き返る―。もう少しで干物になっちゃうところだったよー」

「あ、でも、余りお腹いっぱい飲まないで下さいね。用心に越したことは無いので」

「わかったわ。でも、足とか身体少し洗ってもいいよね? もう靴擦れ寸前!」

「構いませんよ。でもタオルとか無いんで、体温奪われて冷えない様に注意して下さいね」

「そっか。それじゃ、顔と足だけにしておこうかな。全身行水したかったんだけどなー」

「いやいや、この寒空で服脱いで行水とかは勘弁して下さい。絶対風邪ひきますって」

「えー、ゆうくんなら見てもいいのにー」

「いえ、そういう意味じゃなくて……」


 でも、水が手に入った事で、二人ともかなり気持ちに余裕ができたようだ。

 やはり山で遭難して沢に行きあたった場合、セオリーだと沢に沿って上ることが良いとされているが、今回は、高台にいっても救助隊が発見してくれる訳でもなく、文明と呼べるものがあるのかさえ分からない状況なので、可能な限り大きな川や海を目指したほうが生存確率が上がりそうだと判断し、沢に沿って下ることにした。


 そして、もうすぐ陽も落ちそうだというところで、結構広い川原に出た。そして……ビンゴだ! 作りは粗いが、明らかに人? が造ったと思われる粗末な山小屋があった。狩人や炭焼きの人が拠点にするような感じのもので、当面、雨露はしのげそうだ。

 木と荒縄だけでくくられ、金属やガラスといったもの使われていなさそうで、戸というよりむしろのような草の束を押し上げて中に入り、なにか食べられそうなものがないか確認するが、食料のストックはなさそうだった。


「ゆうくん、ゆうくん。ほら、こっち!」

 外でおばさんが騒いでいるので見に行くと、どうやらかまどの跡の様だ。どうやら火を使えるレベルの文明はあるようだ。しかも側には、土器の茶碗のような器がいくつかあり、火さえおこせれば煮炊きもできそうだった。それなら、もしかしたら……そう思い、改めて小屋の中を物色した。

 あった! 多分これだ、火打ち石。かまどの脇の大きめな石に叩きつけたら、確かに火花が散った。行けるぞこれ! おばさんにもお願いして、陽が落ちるまでに出来るだけ枯れ枝や枯葉を二人で集めた。幸い、ここ数日は雨や雪は降っていないようで、枯葉も程よく乾燥していて、すぐに火がついた。


「うわー、すごいすごい! ゆうくんってホントになんでも出来るんだねー。おばさん、惚れ直しちゃったよー」

「はは。これは、道具さえあれば、灯でも出来ますよ。昔、よくみんなでサマーキャンプ行きましたよね」

「あー、あの時もくっついては行ったけど、私、食器洗うくらいしかしなかったしねー」


 しかし、せっかく火が手に入ったものの、食べられそうなものは周りに無く、やがて日没で探索は打ち止めとなった。しかも、小屋の中で火を焚くと、排煙構造にはなっていないようで、ものすごい煙で小屋の中には居られなくなる。多分この小屋は、夏場仕様なのだろう。

 結局、お湯を沸かしてそれを飲み、身体を拭いたりして、寝る時は、小屋の中で、また二人で抱き合う形になった。ただ、大き目の石をかまどで焼いてカイロ替わりとして小屋の中に持ち込んでおり、昨晩よりはかなり快適だ。これなら寝入っても凍死はしないだろう。


「ゆうくん、ありがとうね。私だけだったら、ここまでこれずに凍死しちゃってたよね。私もやれることは頑張るから、すこしはあてにしてよね」

「ありがとうございます。明日は、とにかくなにか食料を探しましょう。あと、服もなんとかしないと。これから春になるのか冬なのかさえ分かりませんからね」

「……も少しくっついていい?」

「はは、結構冷えますよね。遠慮なくどうぞ。おばさんが寂しがりなのは、昔っからですよね」

「うーん。こうしてゆうくんにくっついてると、灯に悪いなーとも思うんだけど、今は生き残らないといけないし……決してやましい気持ちではなく、ゆうくんとくっつくんだって、なんか心に誓うっていうか……」

「ええ、俺も同じです。灯のためにも、おばさんを無事に連れ帰らないといけないし、やましい気持ちとかではなく、二人で力を合わせて頑張りましょうね」

「うん、そうだね。それにしてもお腹へったねー。ねえ、ゆうくん。試しに私のおっぱい吸ってみる?」

「へっ、やましい気持ちではなくとか言ってるそばから、いったい何を言いだしてるんですか!」

「いやいや、やましい気持ちではなくてね。昔よくゆうくんにおっぱい吸ってもらってたなーって、ふと思い出しちゃった。灯が生まれてすぐの頃、あの子あんまりおっぱい吸えなくて、私、いっつも痛くなるくらいおっぱい張っちゃってて……あなたのお母さんに相談して、ゆうくんに吸ってもらってたのよねー」

「それって、俺が赤ん坊の時の話ですよね! だいたい、今吸ったって出るわけないでしょ」

「いや、お腹の足しにはならないかもだけど、口寂しいのはまぎれるかなーって。もしかしたら、ちょろっと出るかもしれないし。試してみる?」

「もう、子供扱い、というか赤ん坊扱いはやめて下さい!」

 たぶんおばさんにとって、おっぱいを子供に吸ってもらいうことは、エッチなことではないんだろうとは思う。でも、俺もう十七歳だし……。


 ちょっと興奮しすぎた俺は、おばさんが寝付いたのを確認してから、外へ出て頭を冷やした。

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