優秀な遺伝子

月桂樹

優秀な遺伝子

「僕は子供の頃から動物がとても好きで、よく母にせがんで大自然とそこに住む動物達の営みを撮ったドキュメンタリー番組を録画してもらっていた。特に好きな動物はライオンで、幼稚園の頃からライオンの絵ばかり描いていたらしい。

男の子だからかっこいい動物が好きなのね、とよく母に言われたが別に僕はライオンの事をかっこいいと思ったことはない。


彼らの生活が僕の理想であった。

雄と雌で役割を分担し、効率的な生き方。父と母もある程度は役割分担をしている生活を送ってはいたが、時々教育方針とかお金の使い道とかで揉めているのを見て、もっと効率的に生きればいいのにと思っていた。


別に女は社会に出るなとか、男は家庭を支えろとか、そういった時代遅れな考えを持っているわけではない。ただ、生き物としてより良い遺伝子を残すことが一番大切なはずなのに、それがおざなりになっているようで気分が悪かった。

君もそう思うだろ?


話を戻すが、人間にとって優れた遺伝子とは何なのか。

人間は進化の過程で多くを捨ててきた。体温や自分の体を守る体毛。便利な尻尾。速く駆ける前脚。

それらを捨ててまで人間が求めたものは、より優れた頭脳だ。体温調節や体を守るために服を作り、尻尾より器用で便利な手を、どんな生き物より速く移動の出来る乗り物。他にも、自然界では淘汰されるような障碍を持った者をサポートする道具やシステム。病気や傷を癒すための医学。上げればキリのないほど多くの人間にとって利益になる物をその優れた頭脳で作ってきた。

人間にとって優れた遺伝子というのは、より明晰でIQの高い頭脳になる物。


僕は自分で言うのもおかしな話かもしれないが、昔から頭が良くおまけに顔も良かった。学生の頃から女子からモテる方だった。君と同じでね。もちろんそれは社会に出てからも同じで、女性との縁が切れたことは一度も無かった。

彼女らも本能で良い遺伝子を求めていたのでしょう。ただ少し残念なのは僕を求める女性は多くいても、僕のこの考えを理解出来るものがいなかったことだ。


まぁ、多く子供が出来れば僕と同等程度の頭脳を持った子も生まれるだろうと子作りは出来る範囲でなるべく多くしていた。もちろん強姦なんて野蛮な真似はしていない。相手に許可を取り、尚且つなるべく少ない回数で子供が出来るように務めたよ。何度も無駄にするなんて、種と時間の無駄だからね。


僕の子供達と母親はどうしてるかって?ちゃんと養育費を払って、いい学校に通わせているよ。母親の方も高給取りになれるように教育して、子供にとって無駄のない生活を送れるようにさせてるさ。いい父親だろ?


そんなに顔をしかめるんじゃないよ。家族サービスとか言ってどこかに遊びに連れていくことが、言葉を交わすことが父親の役割だなんて思うんじゃない。少なくとも僕は母親達には感謝されているんだ。その時点で僕を完全な悪だと決め付けるのは厳しいんじゃないかな。


それで、えぇっと、どこまで話したかな。すまないね、なにぶん頭が回らなくなってきて。こんな経験は初めてだ。まだ時間はあるだろ?なら急かすんじゃないよ。ゆっくりでもちゃんと全部話すからさ。


そう、最初にライオンが好きだと話しただろ?雄ライオンが群れを守り、自分の優れた遺伝子を雌ライオン達に与えるんだが……群れのリーダーである雄ライオンより強い雄ライオンが現れたらどうなると思う?


簡単な事だ。群れのリーダーが変わる。元々いた雄ライオンは追い出されて、新しく強い雄ライオンがリーダーになる。その新しい雄ライオンが群でほぼ必ずやる行為を知っているかな?子殺しだ。


雌ライオンは子育てをしている間、新しく子供を作らない。その上、群れにいるのは追い出した自分より劣る雄ライオンの遺伝子を継いだ子供だ。残して得になることは?自然界という広い目で見たとしても、僕にはその子供を残すことに得を感じない。


そう、わかってきたかな。僕のやった事の理由。君を殺そうとしたのは、君の母親が僕の遺伝子を継いだ優秀な子供に係っきりにさせる為だ。別に君が憎いわけじゃない。今までもそういう風にしてきた。もちろん母性本能で子殺しを否定する母親もいたが、説得する時間は無駄だし、僕の遺伝子がいかに良くても母親の遺伝子があんなんじゃあね。


もちろん僕も人でなしじゃないから、母親も同じ場所に埋めてあげたよ。よく言うじゃないか、同じ墓に入りたいって。


ただ……過去に1度だけ精子提供だけすればいいと思ったことがあった。パートナーのいない女性に精子提供をすれば子殺しなんて手間は省ける。実際1人に提供した。誤算だったのは提供した後、僕が相手に干渉出来ない事だ。


養育費のサポートも仕事の斡旋も出来ないんじゃ、せっかくいい遺伝子を持った子が産まれてもいい学校に行けるかどうかも分からない。だから1度きりでやめた。前も言ったかもしれないが嫌いなんだ、無駄が。


でも、正直こんなことになるとは思っていなかったよ。運命ってやつなのかな。自分の子供と話す機会は今まで無かったから、父親らしいことは君に何も言えない。けれど、一つだけ言えるのはたった一度の無駄だと思っていた精子提供で産まれた君が僕の遺伝子を継ぐ子供達の中で優秀だったということかな。他の子供達は世間的には優秀だけれど、僕と同じ思想は持っていないし、高みを目指す心も僕に楯突く勇気も無い。


だから嬉しいんだ。君が僕をこうして殺してくれることが。きっと君なら上手く僕を処理することだって出来るだろう。安心して眠れるよ、ありがとう」


蚊の鳴くような声で最期に僕に礼を告げ、僕の家を支配しようとした悪魔のような男は嫌なくらい穏やかな顔で死んだ。靴下に染み込んだ血が気持ち悪い。長々語られた話は全て意味がわからないものだった。ベッタリと張り付く汗と血を流すために、シャワーで水を大量に流す。


人を殺したのは初めてだ。だが、こいつは果たして本当に人と呼んでいいのだろうか。足元を流れる血混じりの冷水が、この男のことを生き物だと訴えかけるが同じ人間だとはどうしても納得出来なかった。


ましてや、自分にこの男と同じ血が自分に流れているなんてことも。掻き出したかった。自分の体からこの男の遺伝子を全て。おぞましくて仕方がなかった。体は冷えて震えているのに、頭に血が上った感覚が消えてくれない。


優秀な遺伝子を残すことが正しい事ならば、こんなイカれた思想を持っている男の遺伝子は残すべきではない。


男の前髪を掴んで顔を上げさせる。指の間に濡れた髪と血が染み込んでくるみたいで不愉快だ。自分とよく似ているこの顔。この顔に似た人間で自分と同じ年頃の奴が何人いるのだろうか。


その中の何人がこの男のような怪物に変わるのだろうか。


僕はポケットに入れていたスマートフォンを取り出すと、男の顔を何枚か写真に収めた。確か金を送っているとか、そんな話もしていた。送金を調べれば家がわかるだろうか。


やることは決まった。惰性で送っていた生活に、怪物が入り込んで来たことで今まで自分の中に燻っていた感情の正しいぶつけ先が見つかった。それには感謝するべきなのかもしれない。男の顔を見ていると、満足した顔が将来の自分の顔のようにも見えてちょっと笑えた。

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