03.重さも軽さも熱もなく
「おーし、出来たでー」
サラの他にも手が空いていた料理研の先輩たちは、あたしが指定した食材でパニーニを焼いてくれた。
焼き上がったものを手慣れた感じで適当な大きさに切り分けると、厨房に美味しそうな香りが充満した。
火が通り始めてから良い香りが微妙に漂い出し、手が空いていた食堂で料理をしてくれるオバちゃんたちも途中から加わった。
「もうこの時点で美味しそうなんだにゃー」
そう言いつつエリーは手を動かし、切り分けたパニーニを大皿に盛り付けて厨房のテーブルの上に並べた。
あたしが指定した食材は三つあった。
イチゴとバナナとブラックベリーだ
それぞれを料理研の先輩の判断で、生クリームとかチョコを使ってアレンジした結果、見事なスイーツが出来上がった。
「さっそく試食してみよう」
『賛成ー!』
カリオがみんなに声を掛けると、その場にいた生徒もオバちゃんたちも思い思いにパニーニに手を伸ばした。
「この中だったら、あたしはイチゴと生クリームかな」
「そやけどブラックベリーの奴も捨てがたいで?」
「アタシもイチゴが食べやすいにゃー」
「俺はチョコバナナのボリューム感が圧倒的だと思うぞ」
みんなで食べ比べた結果、『最強のパニーニ』はさらに選定の難易度が上がったようだ。
好きなのを食べればいいのに。
あたし的には甘いものが食べられたから満足なんだけど。
「こうなるとコーヒー牛乳が飲みたくなるかなー」
「ん? コーヒー牛乳? カフェラテと違うん?」
何となく呟いたあたしの独り言にサラが反応した。
「あ、うん。カフェラテって、プロシリア共和国の飲み物よね?」
「そうやでウィンちゃん。コーヒー自体が共和国南部で作られとるし、牛乳を使う飲み方もあるで」
「カフェラテはコーヒーを牛乳で割って飲む飲み方よね? コーヒーの味がする牛乳の話をどこかで聞いたことがあるんだけど」
日本の記憶の話をするわけには行かないので、あたしは出典をごまかした。
あたしの言葉にカリオが何かを考え込んでいる。
「コーヒーの味がする牛乳か……」
「カリオは心当たりがあるにゃ?」
「心当たりというか、うーん。地元で婆ちゃんがガキの頃に作ってくれた記憶が何となくあるんだけど」
「さすが料理研と食品研の子たちだね、王国ではマイナーな飲み物のことをよく知ってるね」
食堂のオバちゃんの一人がそう言って声を掛けてきた。
「何か知ってるんですか?」
「たぶんそりゃミルクブリューだよ。コーヒーを抽出するのにお湯や水じゃなくて牛乳を使うのさ」
カリオが問うとオバちゃんは得意げに応える。
簡単にできるというので、あたしが【
あたしがせっせとコーヒー豆をミルすると、オバちゃんはどこから取り出したのかガーゼで出来た茶こしの袋を用意して放り込む。
「弱火で沸騰させないように抽出するんだよ」
そう言って牛乳を鍋に入れ、そこに茶こし袋入りのコーヒー豆を放り込んだ。
鍋を揺らしながら少々待つと牛乳はコーヒー牛乳の色になり、香ばしい匂いが辺りに漂い始める。
そうしている間に別のオバちゃんが、全員分のカップとシロップをその場に持ってきた。
ミルクブリューをしていたおばちゃんは作業を繰り返し、あっという間に全員が飲む分を用意してしまった。
「ほれ、ミルクブリューコーヒーだ。シロップを入れて飲んでご覧」
『ありがとうございます(にゃ)!』
さっそくシロップを入れて一口飲むが、見事に牛乳が前面に出たコーヒーだった。
日本の記憶にあるコーヒー牛乳とは厳密には別の味だけれど、これはこれで“コーヒー牛乳”と呼んで構わないだろう。
あたしはそう認識した次の瞬間、厨房でテーブルの傍らに立った状態で左手を腰に添え、コーヒー牛乳を半分ほどゴクゴク飲んでから「ぷはぁ」と息をついた。
「なんだかウィン、おっさん臭いなその飲み方。酒場で見るような感じというか」
「うるさいわねカリオ。美味しいから味わってるだけよ!」
本体の前世も含めておっさんだった記憶は無いが、以前思い描いていた通りコーヒー牛乳(に近いもの)を味わえたのだから今は気にしないことにしよう
あとはこれを温泉から上がったときに、コールドで飲む方法を考えなきゃならないな。
魂の記憶に従ってあたしがそんなことを考えている間、エリーや料理研の生徒たちはレシピや感想などのメモを取っていた。
いつも通り、姉さんたちとの夕食も終えて寮の自室に戻る。
宿題や日課のトレーニングにでも取り掛かろうかと思っていると、デイブから【
「お嬢すまねえ、今いいか?」
「大丈夫よ、どうしたの?」
「いやな、今日になってルークスケイル記念学院から、『笑い杖』って魔道具の捜索依頼が冒険者ギルドに来たんだわ。お嬢は何か知らねえか?」
「ああ、今日捜索依頼が出たのね。もしかしたら衛兵にも出たかも知れないわ」
「そうか。他には?」
そう問うデイブの声は若干固い。
なにか問題でもあったのだろうか。
「伝わってる内容もあるかも知れないけど、最初から教えるわ。事の発端は学院のオルトラント公国からの留学生が『笑い杖』を作って、盗まれたことから始まるの――」
その後あたしは『笑い杖』が学院内の生徒によって、換金目的で盗まれたことから説明を始めた。
そして、その内の一つを盗んだ生徒が王都内で使った現場に偶然出くわしたことや、生徒の名前やその後の措置を説明する。
あとは『笑い杖』の性能や、開発者が開発に至った経緯などを順番に説明した。
「――なるほど、良く分かった。そうだな、もっと早く情報を欲しかったと言いたい気分はあるが……」
「何かあったの?」
「ああ、ちょっとな。開発の経緯とかを聞いちまったら、前提がそれじゃあそこまで悪用されるとは思わねえよなー……。実はな、王都でここ数日妙な窃盗が連続で発生してる」
「窃盗?」
「ああ、深夜に花街周辺を一人で歩いている男が、笑い転げて前後不覚になってる状態で持ち物を盗まれるって事件だ」
笑い転げてという説明で、あたしは先日偶然見つけたときの光景が脳裏に過ぎった。
「まさか、『笑い杖』で笑い転げさせた相手から盗んでるってこと?」
「ここまでの話をまとめると、それが一番考えられるな」
そう言ってデイブはため息をつく。
「でも――デイブがそこまで深刻そうなのって、かなり大きな被害が出てるの?」
「それなんだよな……」
「数日の間にあった路上の窃盗なら、一日数件だったとしてもそこまで大ごとになるのってどういうこと?」
「済まねえが、ここから先は面倒事だ。
おいおい、ここまで話してそれなのか。
「あたしの身を案じてのこと?」
「お嬢は少なくとも戦闘の面では心配してねえな。単純に面倒事だからだよ」
「あたしの経験にはなるかしら?」
「今回戦闘はあると思ってた方がいい。うちはともかく、他所さまには死人も出るかも知れん。普通に暮らしてたら知ることのない話も多少は知れるだろう。そういう諸々を含めて、それでも首を突っ込むかだな」
「そう。……ジャニスはどうするの?」
「あいつのことは関係無い。お嬢が自分の判断で決めることだ」
「でもジャニスは彼氏が出来たばかりよね?」
「何度でも言うが、お嬢が自分の判断で決めることだ」
重さも軽さも熱もなく、デイブの言葉はただ述べられた。
デイブの言っていることは何となく分かる。
彼の目から見て面倒事と断ったうえで、それでも戦う覚悟を持てるかどうか。
「……判断するにも情報が足りないの。二つ教えて、一つは“身内”は関係あるの?」
身内というのは
「そうだな、長い目で見たら関係するだろう。――もう一つは?」
「お伽話でも何でもいいわ、話せる範囲で何かに例えて話して。現時点までに何が起きたのかを教えて」
これから何が起きるのか、までは今は望まない。
あたしの言葉にデイブは一つ溜息をして告げる。
「野犬の群れの一匹が、たまたま妙な呪いを受けて狩りをしやすくなった。気が大きくなったそいつは、たまたま金貨を飲み込んだ得物を狩った」
デイブの声を聞きつつ、あたしは考える。
たぶんここは『笑い杖』を使った窃盗犯の話だろう。
「ところがその金貨は誰かの隠し倉庫のカギだった。それを知った賊や、倉庫の持ち主はカギを手に入れたい」
賊とか言われると穏やかでは無い。
そういう連中が目を付けそうな何かを、たまたま盗んでしまったのだろうか。
「でも野犬の群れは、ピンチになると周辺の群れを集めて巨大な群れになる。さて、何が起きるでしょうか。――そんなとこだ。あくまで例えだから、細かいとこは気にすんな」
これはあたしには良く分からない。
窃盗を行った連中が、ピンチな時に助けを求めるアテがあるということだろうか。
それでもわざわざデイブが『巨大な群れ』と言ったのが、あたしには引っ掛かった。
「『巨大な群れ』なのね?」
「そうだ。そこは今は読めねえ」
あたしは面倒事なんか嫌いだし、ラクこそ正義だと信じている。
でもそれはそれとして、家族とか親類とか友達とか仲間とか、そういうみんなが暮らす街がダメな方向に一変するなら少しでも防ぎたい。
「分かったわ。あたし、参加する」
「いいんだな?」
「
「分かった。今からおよそ二時間後……九時半には、戦える準備をしていつも通り来てくれ」
「了解よ」
そうして通信を終えてから、あたしは大急ぎで宿題を片付け始めた。
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