08.神様にでもなるつもりか


 収穫祭で賑わうディンラント王国の王都ディンルーク。


 その商業地区の商家の建物の最上階に、彼らは集まっていた。


「それじゃあ皆揃ったことだし、定例会の報告の前にいつもの勉強会をやっておくか」


 大きな会議室に据えられた円卓でそう口を開いたのは、三十代半ばくらいの女性だった。


 濃い色のローブを着て黒髪に緑色の目をして整った顔をしているが、その右目には黒い眼帯が着けられている。


「今日の当番はクレイグだったね。始めな」


「オードラの姐御、マジでおれがやんの? 参ったな……」


 オードラと呼ばれた女は、禿頭の筋骨隆々とした男に視線を向けた。


 クレイグはオードラに問うたが、彼女の視線が断ることを否としている。


「せっかく親父殿……ゲフン、ノエルが忙しいのに時間を作って同席してくれているんだ。先々のことを考えりゃ、ここにいる幹部全員が同じくらいカネのことを分かって無いと話にならねぇだろ」


 オードラの傍らに座る、親父殿と呼ばれたノエル・ストーネクスはそのやり取りに相貌を崩す。


「わーったよ。……今日のネタは基本に戻ってこれだ」


 そう告げてクレイグはポケットから金貨を一枚取り出した。


「いまこの国を始め、この大陸の経済を支えているのは金貨を使った貨幣制度だ。ところでこの金貨って奴は、製造の段階で金以外の金属を混ぜる。なぜ混ぜるか答えられる奴はいるか?」


 その場の数名が手を挙げるので、一人を指すと「純金だと硬貨に使うには柔らかすぎるからだ」と応える。


「正解だ。それでまぁ、国によっても違うが、だいたい九割に純金を使って、後は銅とかを使って金貨を造ってる。だがこれは大きな前提として、金貨を発行する国に純金があるからだ――」


 時おり質問を織り交ぜながら、クレイグは金本位制のメリットとデメリットを語っていく。


 メリットとしては、国を跨いでも硬貨の価値が保証されやすく、金貨自体の価値が固定されているから貨幣に由来する物価上昇を防ぎやすいことがある。


 だがデメリットとしては、発行できる貨幣の総量が純金の保有量に依存することがある。


「――つまりだ、景気が良くなって商売をする人間が増えてきたとき、商業ギルドに行っても『金貨が足りなくてカネを貸せねえ』なんてことが起こりうる。他には農作物の不作があって輸入しなきゃならん時、その代金として純金が国外に流出することがあり得るわけだ」


 そこまで話してクレイグが参加者たちを見渡す。


「純金がすぐ無くなるってことは無ぇ。だが、いちど起こるといきなりその国は瀕死になる。それぐらいヤベぇものだっていうのはここにいる皆はもう分かっているだろう。だから俺たち闇ギルドの面々は親父殿――ノエルの話に乗った」


 クレイグの言葉にその場の一同が首を縦に振る。


「裏から商業ギルドをつついて国を動かし、管理通貨制度を何としても導入させる。そうすりゃ、真っ当な商売のタネを商業ギルドや国の都合で潰されることも減る。――おれからはこんなとこだ」


 そう告げてクレイグはオードラに視線を向けた。


「お前にしちゃ上出来だクレイグ。――カネ周りの仕組みが変わっても、世界が終わるわけじゃねえし、闇ギルドはいきなり無くなるわけじゃ無い。私らは騎士様でも貴族様でも聖職者でもねえから、正義とかは心底どうでもいい。お前らの兄弟たちや仲のいいご近所さんが割を食わないように、少しばかり骨を折るだけだ。それ以外の奴らのことは今は忘れていいぜ」


『応』


 皆の反応を確かめてから、オードラは口を開く。


「さて、それじゃあ定例会の報告を順にしてもらうか――親父殿、気になるところがあったらいつも通り助言を頼む」


 ノエルがオードラに頷くと、円卓の参加者は順に報告をしていった。


 やがて皆が報告を終え定例会が終了すると、広い会議室にはオードラとノエルが残っていた。


「今回も無事終わったな、親父殿」


 そう言ってオードラは席を立ち、座ったままのノエルに後ろから抱き着いた。


 ノエルはそんなオードラの頭を撫でる。


 闇ギルドの幹部たちと繋がりができて数年、当初の目的の合間に自身の商売の知識を彼らに惜しみなく教え込んできた。


 その結果幹部たちは裏仕事以外で、それぞれが表の商売を経営できるようになった。


 彼らの多くは孤児であり親の顔も知らずに生きてきた。


 それもあってか、いつしかノエルを親父殿と慕うようになった。


 実際、彼らとノエルは親子ほどの歳の差があった。


「そうですね。クレイグも初めのころに比べたら、ずい分自信を持って喋れるようになったと思います。最悪わたしが居なくなっても、彼を含めてみんなが何とかしてくれるでしょう」


「……どこか身体が悪いとか無いよな? 私に隠していたら許さんぞ」


「大丈夫ですよ。侯爵閣下とも約束していますし、この国のあるべき形に目途が立つまでは頑張って生きますよ」


「アレッサンドロが見据えた、『機会が平等な社会』か。王家さえも責務から解放したいとか、あいつは神様にでもなるつもりかね……」


 ノエルに抱き着いたまま、オードラは呟く。


 オードラはノエルが話を持ち込んできた時、ノエルを徹底的に調べた。


 そして三十代で妻子を流行り病で亡くし、その哀切を隠すために商売にのめり込んで豪商となったことを知った。


 だから、ノエルには商売の知識があるが、ある意味で帰る家が無いことを知ってしまっていた。


 以前自らが養子になることをオードラから提案したこともあったが、そのままでいいと今に至っている。


「人間を救うのは、いつだって人間ですよ」


「そうかも知れないな」


 二人は静かにそんな言葉を交わした。




 あたしは姉さんたちと夕食を寮の食堂で済ませ、自室に戻って日課のトレーニングを行っていた。


 まず広域魔法のための環境魔力を感知するトレーニングだが、相変わらず変化が無い。


 ただ、魔力の制御が気持ちラクになっている気がする。


 次に【収納ストレージ】から小皿二つと箸一膳を取り出し、小皿の片方に大豆を何粒か取り出す。


 そして【減速スロウ】を自分に使ってから、箸で大豆を一粒ずつもう一つの皿に移す。


 移し終えたら【加速クイック】を自分に使い、箸で大豆を一粒ずつ元の皿に戻した。


 【減速スロウ】と【加速クイック】一回ずつを三セット行い、次のトレーニングに移る。


 机の上に木の枝を三本、【収納ストレージ】から取り出す。


 この枝は夕食前に寮の近くの林から拾って来て、棒状に加工したものだ。


 そのうち二本を手に取り、右手で持つ枝に『始原魔力』を発生させ、左手の枝を先端部分から一定の距離でスパスパ斬っていく。


 自分の身体を斬らないように気を付けて行ってから、今度は短くなった枝を新しいものに持ち替える。


 そして左手で持つ枝に『始原魔力』を発生させて右手の枝をスパスパ斬っていった。


 ここまでやってから斬った枝の破片を片付けて一息ついた。


「とりあえずお茶でも飲むか……」


 あたしは部屋の収納からティーポットとカップを出し、ティーポットにハーブティーを入れた。


 そして寮の同じ階に数か所ある共用の流し場で、給湯の魔道具からお湯を入れようと廊下に出ると、廊下の向こうからプリシラが歩いてきた。


 まっすぐにあたしのところに来ると、プリシラは口を開いた。


「ウィンさんこんばんは」


「こんばんはプリシラ。どうしたの?」


「ウィンさんは明日、予定は入っていますか?」


「あたし? 特にないわよ?」


「そうですか。いまクラスメイトの方何人かをお誘いしているのですが、明日縫いぐるみを使った魔道具というか魔法の動作試験を予定しているのです」


「うん。……あたしも誘ってくれるの?」


「はい、宜しかったらご覧いただけませんか?」


「面白そうだから行ってみるよ。魔道具研究会に行けばいいのかな?」


「そうです。午前十時ころから始める予定です」


「分かったわ。――ところでプリシラ、あたしには丁寧語とか尊敬語とか不要だからね。習慣としてそうしてるならいいけれど、普通に喋ってくれればいいから」


「はい。じゃあ、ウィン、さん。明日は部室で待っています」


「“さん”も要らないわプリシラ。クラスメイトでしょあたしたち」


「分かりましたウィン。それでは」


「うん、それじゃあ」


 そうして去って行くプリシラを見送ってから、自分が茶を淹れにいくのを思い出し、彼女をお茶に誘えばよかったと少し後悔した。




 翌日プリシラから聞いた時間に魔道具研究会の部室に向かうと、プリシラといつものメンバーがいた。


 ジューンとサラは魔道具研に所属しているからここに居るのは不思議ではない。


 他のクラスメイトではホリーとキャリルが立ち会っていた。


「おはようプリシラ。まだ来るの?」


「あとは顧問の先生が来てくれることになっています」


 あたしが訊くと彼女はそう応えた。


 そう言えば魔道具研の顧問の先生には会ったことは無かったなと思いつつ、部室の中を眺めながらあたしたちは待った。


「お、結構な人数になったじゃないか」


「あら、全員うちのクラスの生徒じゃない」


 遅れて部室に入ってきたのは白衣を着た女性と、あたしたちのクラス担任のディナ先生だった。


「初めての生徒もいるから自己紹介しよう。わたしは魔道具研究会顧問のマーゴット・グラディだ。専門は魔法工学で、普段は高等部で授業をしている。ハーフドワーフだからこう見えて三十代だ。宜しく」


 そう言ってニヤリと笑うマーゴットは、どう見ても二十歳前後の女性にしか見えなかった。


 ちなみに年齢のことをマーゴット先生が言った直後、となりのディナ先生が小さく舌打ちした気がするが、あたしを含めその場にいた皆はスルーした。


「――それでプリシラくん。縫いぐるみを使ったゴーレム技術の稼働試験だと聞いているけれど、試験の目的はどの辺りだい?」


 マーゴットが表情を引き締めてプリシラに尋ねた。


「今回ハンドサインなどの所作による指示で、動き方を変える技術を開発しました。端的に申し上げれば、その問題点の洗い出しです」


「なるほど、手信号や動作による指示で縫いぐるみを動かすのか。……あまり聞かないアプローチだから楽しみだよ」


「はい」


 静かに返事をするプリシラは、その声の大きさ以上に自信ありげな表情を見せていた。

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