05.人生を救ってくれたお礼


 エルヴィスの実家はディンラント王国南部の商家だ。


 王国南部は穀倉地帯であり、その恵みによってさまざまな商いを行っていた。


 家業は順調だったが、数年前エルヴィスの妹であるディアーナ・メイが人攫いに攫われてしまった。


 行商先の街での白昼の犯行で、当時現場にはエルヴィスの叔母である冒険者のマルゴー・メイが居た。


 行商の護衛で同行していたが、目を離した隙に攫われたのだ。


 マルゴーは何とか賊を追い拠点までたどり着くが、返り討ちに遭ったうえに賊を取り逃がしてしまった。


 そしてディアーナもそのまま連れ去られ、いまでも行方が分からない状態だそうだ。


「…………ご存じの通りボクも地元は王国南部ですし、人攫いの話は身近に聞いたことがあります。故郷の幼なじみでも一人行方が分からなくなった子が居るので、地元では人攫いだろうという話は出ていたんです」


 絞り出すようにそう告げて、コウが渋面を作る。


「ディンラント王国と南のフサルーナ王国の関係は良好だから、国境の警備が甘いらしくてね。妹が攫われたのも、それが背景にあったようなんだ」


「……」


「そして、そのことをきっかけに叔母は『賞金首狙い』の冒険者に変わった。王国南部でずい分賊を斬ったらしくて、『臓姫はらわたひめ』なんて二つ名も付いたらしい」


「臓姫……」


 その二つ名の響きの凄絶さに、コウは言葉を失う。


「でも『賞金首狙い』でもディアーナの情報が得られなかった。悩んだ叔母は裏社会に情報網を作ることを決心した。その結果が王都の花街での娼館経営だったんだ。……人身売買の情報なんかも、同業者から集められないかと思っての決断だったようでね」


 話は分かった。


 ゆえにコウは、エルヴィスに掛けるべき言葉を探そうとするが、上手く思いつかなかった。


 エルヴィスとその親類は、エルヴィスの妹であるディアーナが攫われてから時間が止まったままなのだとコウは思う。


 それでもコウは口を開く。


「簡単に軽い気持ちで言うわけでは無いので、覚えておいて欲しいんですが……」


「うん」


「ボク程度の腕で良ければいつでも加勢しますから、そういう時は声を掛けてください」


「ありがとう……」


 エルヴィスは感謝を述べた後、何かを言いかけて黙り込んだ。


 コウの幼なじみも行方不明になった話を聞いてしまったからだ。


 そして長い沈黙の後、エルヴィスは一つ溜息をして口を開く。


「そういう訳で、明日コウを叔母さんに紹介することになった。名前はマルゴー・メイという。ちなみにボクが本人の前で叔母さんって呼ぶと、『姉さんだろ!』って言って蹴られるけど、気にしないでね」


「それは……ご本人の希望を汲むべきなんじゃないんですか?」


 エルヴィスの物言いに、コウは苦笑いを浮かべた。


「そうなんだけど、長年の習慣は抜けなくてね。さっきの通信でも思わず叔母さん呼びして怒られちゃったよ」


「そうだったんですね」


「そうそう。さっきの叔母さんとの通信だけど、王都で人攫いの集団を捕まえて道具を使って拷問して情報を手に入れたって話だったんだ」


「うわぁ……拷問ですか……道具って……」


「色々と振り切れちゃってるんだ。まぁ、吸いだした情報と物品とセットで王国に引き渡す前に、回復の魔法で肉体的には元に戻したって言ってたけど」


「肉体的に、なんですね」


 精神的なダメージがどうなったかは、さすがのコウも確認する気にならなかった。


「賊の話は明日聞けると思う。昼前に花街に着くように出かけるから、予定を開けておいて欲しい」


「分かりました」


 そうしてコウとエルヴィスはベンチを立って、寮に歩いて行った。




 次の日の朝、あたしは父さんの実家を訪ねていた。


 色々あったものの、料理研と食品研合作のシナモンアップルケーキを手に入れたので、お裾分けをしようとして持って行ったのだ。


「わざわざありがとうねウィン。いい香りね」


「気にしないで伯母さん。たまたま手に入って、一人で食べきれないから持ってきたのよ」


 今日は珍しくリンダ伯母さんが家に居た。


 どうやら文官の仕事は休みを取れたらしい。


 あたしはリビングに案内され、ハーブティーをよばれている。


「なにか無かったかしら……。そうだウィン、朝ご飯は食べてきたかしら?」


「まだ食べて無いわ。朝はあんまりお腹が空いて無くて」


「そんなのだと大きくなれないわよ? うちのバートなんて毎朝凄い量の肉を食べるのに」


 バートの食事量に関しては受験の時期に目の当たりにしているが、朝から焼きソーセージやら肉料理をぽいぽい口に放り込んでいた記憶がある。


「バート兄さんは比較対象として間違ってるよ伯母さん」


「だとしても、朝なにも食べないのは良くありません。ちゃちゃっと作るからちょっと待ってなさいね。お義母さん――」


 そこまで一方的に決まり、リンダ伯母さんは台所に向かった。


 すぐに何かを焼く匂いが漂ってくる。


 せっかくなのでよばれて行くことを決めてのんびりしていると、【風のやまびこウィンドエコー】で連絡が入った。


「おはようお嬢、いま大丈夫か?」


「大丈夫よ。いま父方のお爺ちゃんちで朝ご飯をよばれることになったところ」


「そうか……。平和な時間を過ごしているところちょーっと申し訳ないんだが、メシ食ったらで大丈夫だからうちの店に顔を出してくれねぇか?」


「いいわよ。シナモンアップルケーキが手に入ったから、元々お裾分けで持ってくつもりだったし」


「おおっと、そりゃすまねえな」


「ジャニスにも少し分けてあげてね」


「ああ。それじゃあ頼んだぜ」


 少ししてリンダ伯母さんがベーコンエッグと、ビネガードレッシングが掛かった生野菜のサラダとパンを持ってきてくれた。


 コニーお婆ちゃんも、さっそくあたしが持ってきたシナモンアップルケーキを切り分けたものとハーブティーをリビングに持ってきた。


「簡単なもので悪いけどどうぞ」


「ありがとう伯母さん」


「こちらこそありがとうよウィン。さっそくリンダと頂くわ」


 コニーお婆ちゃんが嬉しそうにそう告げる。


「うん、食べてみて。そのケーキはね――」


 あたしは朝食を頂きながら、『伝説のシナモン』を手に入れた話を伯母さんとお婆ちゃんに話した。


「小さい子供の飛び出しは怖いわよね。年に何回か、馬車に轢かれる子が居るのよ」


 そう言ってリンダ伯母さんが顔をしかめる。


「それでも何事も無かったのは良かったわ。バートも本戦出場が決まったのよ」


 コニーお婆ちゃんが顔を綻ばせる。


「へぇ、結構凄いことなの?」


「私も義母さんも詳しくないけれど、騎士団に入りたてで本戦出場は快挙だってうちの人が喜んでたわ」


「なるほどねぇ」


 あたしも正直興味は無いのだが、バリー伯父さんが快挙と言うならそうなんだろう。


 というか、先日の宙を舞う筋肉の光景が脳裏に過ぎり、軽くめまいがした。


「そういえばウィン、リンジーとジャロッド君のことでは色々と手を尽くしてくれたでしょう? ジャロッド君のお母さんは私と友達なの。リンジーも前から悩んでたみたいだし、親としても感謝するわ。ちょっと待ってね――」


 そう言ってリンダ伯母さんはリビングから出て、何かを手にして戻ってきた。


「これ、ジャロッド君のお母さんと私からのお礼よ。受け取って頂戴」


 そう言ってテーブルに置かれたのは、分厚い本だった。


「これは……」


「最新の薬草図鑑よ。リンジーが王都ブライアーズ学園の医学科に通ってるのは知ってるわよね? その医学科で、医学の現場でも使える資料として読まれている図鑑らしいの」


「医学の専門書って事よね? 結構高いんじゃないの?」


「感謝の気持ちだから、値段は気にしないでね。リンジーと相談したけど、あなたが薬草に興味を持っているってアルラ経由で知ったのよ」


「そうだったんだ……」


「ジャロッド君はあのあと、薬物のダメージで幼いころの記憶の一部に欠損が生じたみたいだけど、ここ数年の記憶については奇跡的に問題が無いことが確認できたようよ」


「そっか、……それなら医者を目指せるのね」


 それでも記憶の欠損が出たのか。


 違法薬物は恐ろしいな。


「ええ。――だからこの本は、彼の人生を救ってくれたお礼よ。遠慮なんかしないで受け取って」


 あの時あたしは怒りで武器を取った。


 でもこうやって改めてリンダ伯母さんに礼を言われると、ジャロッドを救うことに関わったのが少しだけ誇らしかった。


「……分かったわ。この本、大切にするから」


「ええ。文官をしている私としては、情報こそ力よ。上手く使ってくれたら嬉しいわ」


「うん」


 あたしと伯母さんがそんな話をしている脇で、コニーお婆ちゃんは黙々とシナモンアップルケーキを味わっていたようだ。


「このケーキ、本当においしいわねぇ。どこかで売ってくれないかしら」


「学院の研究会の企画で作った奴だからなぁ……。レシピだけでも聞いてこようか?」


「お願いするわウィン」


 コニーお婆ちゃんの真剣な顔を見て、あたしと伯母さんは笑顔を浮かべた。




 父さんの実家を後にして、あたしはデイブの店に向かった。


 店の表から入ると、デイブとブリタニーの姿がある。


「こんにちは。シナモンアップルケーキを持ってきたわよ」


 そう告げてあたしは【収納ストレージ】の魔法からケーキを取り出す。


「ようお嬢、わざわざ済まねえ。……シナモンアップルケーキもありがとよ。こりゃまたいい香りだな」


 ケーキを受け取ったデイブは包みをそのままブリタニーに渡した。


「学院の料理研と食品研の企画で作った奴だから店売りしてないわよ。ジャニスにも世話になってるから、必ず少し分けてあげて」


「分かったよ。ジャニスは甘いものに目が無いから喜ぶだろうさ」


 ブリタニーがそう言って収納の魔法でケーキを仕舞った。


「……それで連絡を貰った件だけど、何かあったの?」


「うーん……。あったというか現在進行形というか。お嬢は『モフだま』って単語を聞いたことはねえか?」


「…………いや、初めて聞いたけど。うん……、思い出そうとしたけど、あたしの人生でいま聞いた言葉だと思うわ」


「そうか。ゴッドフリー爺さんの孫だし、ジナの姐御から聞いてねえかと期待したんだが、知らねえか」


「用件はそれだけ?」


「いや、……ちょいとな、花街のある店に爺様を説得しに行くからついてきて欲しいんだわ」


「花街? 真っ昼間に?!」


「店までは気配消して行くから、説得に手を貸してくれ。頼む、お嬢の話なら爺様も話を聞くだろうからよ」


 そう言ってデイブはあたしの肩に手を置いた。

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