03.軽くトラウマだった


 悪いことは重なるときは重なるものだ。


 ここで渡り切った子供のうちの一人が、道の真ん中にいる子供たちへと走り出し、その手前で転んでしまう。


 ほかの子供たちは周囲の大人たちが止めて道に出るのを防いでくれた。


「ジューン! 最初に転んだ子たちの護衛を魔道鎧で」


「はい!」


「キャリル!」


「次に転んだ子ですわね……!!」


「ウィンちゃん、ジューンちゃんの側に行ってんか! 大至急や!」


「分かった!!」


 ジューンが追走集団を背に魔道鎧越しに子供たち二人を抱え込む。


 ほぼ同時に、キャリルが身体強化を強めて後から転んだ子を回収して道端に避ける。


 それとほぼ同時にあたしとサラは、ジューンの傍らに移動して追走する筋肉集団を見る。


「制限解除!! 出力最大!! 対騎馬戦闘用防御機構全力発動開始ッ!!」


 ジューンがそう叫ぶと魔道鎧がブンッと駆動音をあげて地属性魔力を発生させ、周囲に円錐形で不可視の魔力のカベを形成する。


 ジューンの声が聞こえた直後にサラが叫ぶ。


「ウィンちゃんしゃがんで!! 【水壁アクアウォール】!!」


 【氷結弾アイスバレット】などの比ではない高密度の水属性魔力がサラに集まる。


 サラの声を認識した次の瞬間あたしはしゃがむ。


 同時にあたしたちと筋肉集団の間に、向こうから見て上り坂のような構造物――水属性魔力の壁が一瞬で形成された。


「オトコは度胸やっっっ! アンタら、そのまま壁に向かってダイブせいやっっっ!!」


 サラは大声で筋肉集団に向かって叫んだ。


『応ッ!!!』


 彼らは勢いをそのままに大声で応える。


 そして筋肉のヨロイを纏った男たちは、次々に水壁に向けてダイブした。


 その日王都にて、筋肉が宙を舞った。


 水壁は射出機カタパルトとなり、筋肉競争の男たちは走ってきた勢いのままに王都の空を飛んだ。


 そのまま筋肉競争の予選会参加者たちは空中で一回転したり、謎のポーズを取ったりしながら着地して通過していった。


 頭の上をガタイのいい筋肉集団がシューっと滑り、シュポーンと宙を舞っていくのが見える。


 その様子をあたしは特等席で見てしまったが、軽くトラウマだった。


「あ、バートが先頭集団に居る……。あ、パトリックとジェストン兄さんも参加してるのか……」


 若干思考が麻痺していたが、色々とあたしの状況認識の許容量がギリギリになっていた。


 最後の一人が宙を舞ったのを確認してからサラは魔法を切り、ジューンは防御姿勢を解いた。


「…………あんたたち、怪我はない?」


 あたしはジューンに抱えられた二人の子供に声を掛けた。


 一人が足が痛いというので、あたしは【治癒キュア】を掛けておいた。


「もう、飛び出したらいけませんよ。次は死ぬかもしれませんよ?」


 ジューンが魔道鎧越しにそう諭すと、子供たちは青い顔をして何回も頷いていた。


 それを見ていた周囲の大人たちは、あたしたちに拍手をしてくれた。




 子どもたちと別れ、あたしたちは道端で休憩していた。


「『伝説のシナモン』の整理券、また探さなあかんな……」


 サラはあたしの背中から降りたが、少しばかりくたびれた顔をしている。


 先ほどの水壁の魔法は、水属性魔法の上級魔法だと言っていた。


 魔法で用意した水の粘度や圧縮率は調整可能なのだそうだ。


 だが上級魔法ということで、魔力を多めに使ってしまったのかも知れない。


「そうですわね。でももう少し休憩いたしましょう」


 キャリルがそう言って微笑む。


「子どもの飛び出しとか危険ですね」


 ジューンは魔道鎧を外し、【収納ストレージ】から取り出した水筒でお茶を飲んでいる。


「シャレになんないよ、全く。子供怖いよ……あたしらも子供だけど」


 そう言ってあたしが笑っていると、気が付いたら近くにウサギ耳をした獣人の青年が立っていた。


「よう、おめえら。中々おもしれえモノを見せてくれたな」


「ん? アンタはもしかして『伝説のシナモン』の行商人さんなんか?」


「伝説って程でもねえが、俺らの故郷の自慢の逸品なんだ。一人でも多くの口に入ればって王国まで持ってきてるのさ」


 そう言って青年は紙片を一枚ずつ、あたしたちに手渡してきた。


「これやんよ。ふざけ過ぎた侘びだ、ちょいと多めに買えるようサインを入れといた。値引きは出来ねえが、これで勘弁してくれ」


 紙片を見ると行商人の名前と品物の名前が書かれている。


 数量の欄を二重線で消し、その上から新しい数量へ変更する旨とサインが記されていた。


「おおきに!! ホンマ嬉しいわ!!」


「気にすんな。じゃあな」


 そう告げてウサギ獣人の青年はその場から去って行った。


 余談だが、今回の筋肉競争の予選会で、水壁の魔法で用意した壁で参加者が宙を舞ったことが王都のファンの間で話題になって、今年の本戦でも採用されたらしい。


 発案者に感謝したいとキラキラした目で後日リー先生が言っていたのだが、あたしは「そうですか」としか応えられなかった。




 整理券を手に入れたウィンたちは、その足で商業ギルド前に向かった。


 商業ギルド前では料理研究会か食品研究会の先輩が待機していて、持ち合わせがない生徒には商業ギルドの窓口で買うための資金を渡してくれる手はずになっていた。


 この資金は彼らが昨日出店していた、ピザの屋台のような手段で稼いだものらしい。


 持ち合わせがある生徒は立て替えて、あとで精算である。


 商業ギルドの建物がある中央広場は、近づくにつれて収穫祭の人出でひどい混み具合になっていた。


 その中を進むが、ある時ウィンは視界の中の情報に違和感を覚えた。


 正確には、通り過ぎる人々の中に妙な気配を纏った者が居た気がしたのだ。


 思わず振り返ると親子連れだろうか、背の高い男性と手を引かれる女児の姿があった。


 女児はウィンたちと同じような年代かも知れない。


「ウィンちゃんどしたん?」


「ん? ……何でもない。知り合いが歩いていたような気がしただけよ。多分気のせい」


 実際には知り合いなどでは無かったが、ウィンはそう説明した。


「そうなんや?」


 サラの声に微笑んでから、ウィンはまた仲間たちと共に中央広場に向けて歩き出した。


 ウィンの気配が充分遠ざかってから、女児を連れた背の高い男性が足を止めて振り返った。


「どうしたんですか、ボス?」


「もしかしたら気づかれたのかなって思っただけさ」


「さっきわたしたちに視線を向けていた女の子ですか?」


「そうだね。時々勘の鋭い人には、ぼくの魔法が効かないことがあるから」


「才能があるなら、確保します? それとも……何なら掃除でも」


 掃除とは排除という意味だろうと、ボスと呼ばれた男は察する。


「だめだよアンナ。……どうしてそんなに殺伐としたことを言う子になっちゃったんだろう」


 そう言ってボスと呼ばれた男は、自分のこめかみを押さえた。


「ボスのせいじゃないですよ。人間は殺伐としてるんです」


「あんまり殺伐としていると、精霊に嫌われても知らないよ?」


「大丈夫ですよ。ボスがまた助けてくれますよね?」


 それを聞いてボスと呼ばれた男は一つ溜息をついた。


「ぼくはきみ自身が接し方を学ぶべきだと思うんだが」


「分かってますよ、ボス」


「本当かい? ちゃんと話を聞いてくれてるかい? きみも含めてみんなボスって呼んでくれるけど、割とぞんざいに扱われてる気がするんだけどさ」


「大丈夫です、アレッサンドロ様。少なくともわたしは、あなたに救ってもらった恩を忘れることはありません」


 そう言ってアンナは、アレッサンドロに微笑んだ。


「それは別の話だし、そんなことを気にするべきじゃ無いよ。ぼくは今でも、きみが本当の家族のもとに帰るべきだと思っている」


「いいんです。父さんも母さんも、叔母さんも兄さんたちも、みんな分かってくれます」


 アンナの言葉にアレッサンドロはため息をつき、再び彼女の手を引いて歩き始めた。


「そろそろ本格的に、きみを帰すことを考えないといけないんだろうね」


 アレッサンドロの呟きに応える者は居らず、彼らは収穫祭の雑踏の中に消えた。




 あたしたちが商業ギルド前にたどり着くと、すでに何人かの先輩たちは整理券を手に入れて『伝説のシナモン』を購入したようだ。


「サラちゃんたちも整理券ゲットできたにゃ?」


「手に入れたんやけど大変でしたわエリー先輩。行商人のアンちゃんが筋肉競争の予選会を先導するように走っとったんです」


「しかもその道すがら、幼い子供が道に飛び出すアクシデントがあったりとかで滅茶苦茶でした――」


 サラとジューンがここまでの激闘をエリーに説明してくれた。


「そ、それは大変だったにゃ……。でもケガ人が出なかったのは良かったにゃー」


「本当ですわ。ですが行商人の方のはからいで通常の倍量の購入権を頂けたのは僥倖でした」


「噂では過去にそういうケースがあったことは聞いてるにゃ」


 あたしはもう、過去がどんなケースだったのかは訊く勇気が残っていなかった。


「……それで、あたしたちはもう手に入れてきていいですか?


「手持ちの代金はあるにゃ? 商業ギルド発行の領収証は必ず貰ってくるにゃー」


『はーい(ですの)』


 そうしてあたしたちは無事に『伝説のシナモン』を手に入れた。


 受付カウンターでビンに小分けされたものを受け取ったのだけど、封をした状態でも残り香が微かに香る。


 その甘さを秘めたまろやかな香ばしさに加えて、あたしは不思議な柔らかさを感じた。


 あたしでも何かが違うと感じられるのだ、獣人の人たちを始め、料理研や食品研の生徒たちがこだわるのも何となく分かるような気がした。


 その後あたしたちは学院に戻り、収穫祭期間で休みになっている学院の食堂の厨房に入り込んだ。


 あたしたちは入手した品物と領収証を渡し、立て替えた代金を清算した。


 その時、手書きの『ひきかえ券』なるものを貰った。


 今回の企画で作るシナモンアップルケーキの引換券らしい。


 ここからの作業は料理研や食品研の人たちが担当するということで、手伝いを申し出ても先輩たちからやんわりと断られた。


「心配せんでもウィンちゃん、手は足りとるんや。それより時間があるんやったらケーキの方よりもお茶に使う葉ぁを用意してくれると助かるんやけど」


「ああそっか、それもそうね」


 食堂を出たあたしはキャリルと別れ、その足でカレンから教わった薬草の露店の区画にダッシュしてハーブティーを何種類か買ってきた。


 しばらくしてから【風のやまびこウィンドエコー】でサラから出来上がったと連絡があった。


 キャリルと向かうと、食堂の厨房にはシナモンの香ばしい香りと焼けたリンゴやケーキ生地の匂いが充満し、その甘い香りだけで幸せを感じることができた。


 『ひきかえ券』でブロック状のシナモンアップルケーキ三本の包みが手渡された。


 それとは別に、朝から『伝説のシナモン』の整理券を取るのに参加した人のために、その場でケーキパーティが開かれた。


 あたしも入手してきたハーブティーの茶葉を提供した。


 そうしてシナモンアップルケーキを頂いたのだけど、口に入れた瞬間幸せが降臨した。


 リンゴの酸味と甘さや歯ごたえを殺さず、丁寧に焼き上げられた生地のしっとりした食感と共に、甘味に乗って柔らかく丸いシナモンのフレーバーが優しく口の中で広がっていく。


「ふっふっふー、どや、ウィンちゃん?」


「至福だね! 最高! リンゴの甘みも、その食感もケーキ生地の食感も、シナモンのフレーバーと凄くバランスが取れてる! 幸せな味だよ!」


 あたしは思わず叫ぶように食レポした。


「おおきに。そう言ってくれると、誘ったかいがあったわ!」


 そう言ってサラは得意げに笑った。

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