02.事実を事実として


 ジャニスと食堂で別れて、あたしは風紀委員会の部屋に向かった。


 魔神の印章の提出のことと、アイリスという女子生徒の情報が気になったのだ。


 委員会室には週末の放課後ということで、先輩たちの姿があった。


 カールとニッキーとジェイクだ。


「こんにちはー」


「ああウィンか、こんにちは」


 カールが書き物の手を止めて挨拶を返した。


「やあ、こんにちは」


 ジェイクは何やら専門書を広げている。


「あらウィンちゃんじゃない、こんにちは」


 ニッキーもノートに何か書き込んでいた。


 夕暮れ時の委員会室には落ち着いた空気が漂っていた。


「昨日はお疲れさま。『微生物を魔改造する会』らしき集団の件なら、リー先生に連絡しておいたわよ」


「ありがとうございます。住宅街の中の倉庫でしたけど、凄い臭いでしたよアレ」


「まったく、恐るべき執念よね。まあ、あとは先生たちが対処してくれると思うわ」


「はい。……ところで風紀委員会って、生徒の名簿とか情報って調べられたりします?」


「何かあったのか?」


 カールが顔を上げて問う。


「いえ、気になるものを拾ったんで、知り合いに鑑定の魔法を頼んだら持ち主が女子生徒だったんです」


「ちょっと待ってね……。その子の学科と学年は分かるかい?」


 そう言ってジェイクは専門書にしおりを挟んだ。


「生徒の名前は『アイリス・ロウセル』で、魔法科初等部の三年生の筈です」


 ジェイクは「ああ彼女か」と言って席を立ち、書架から紙束を持ってきた。


 その中からアイリスの名が含まれる一枚を取り出し、机の上に置いた。


「生徒名簿を魔法で複写して、所属している部活を加筆した資料だよ。美術部の子だね」


「この子がどうしたの?」


 あたしは先輩たちに驚かないように言ってから、収納の魔法から包みを取り出した。


 先ほどジャニスから受け取ったものだ。


 『アイリス・ロウセル』のことを自分なりに調べてから受け渡すことも脳裏に過ぎったが、すぐ提出する方が学校側が本人を確保できるだろうとあたしは判断した。


 万一あたしが調べている間に本人が行方知れずにでもなった場合には、話がさらにややこしくなりそうだと思ったのだ。


 その包みを開くと、先輩たちの表情が固まった。


「『魔神の印章』か……!」


 カールが呻く。


「はい。先日の『美少年を愛でる会』を取り締まったときに床に落ちていたんです」


「あの時か……」


「はい。落とし物かと思って拾ったんです」


「直ぐにぼくたちに見せてくれたら良かったのに」


 そう言ってジェイクが苦笑する。


「すみません。……後日思い出して【鑑定アプレイザル】を使ったら魔神の印章と分かったんですが、冒険者ギルドの相談役が母の知り合いで面識があったので、高位鑑定を頼んだんです」


「冒険者ギルドか……何か分かったの?」


 ニッキーが何か考えながら問う。


「プロシリア共和国の南の辺境で、魔族の職人がアクセサリー用途で作ったものだそうです。あと、持ち主がアイリス・ロウセルということですね」


「分かった。直ちにリー先生に連絡して指示を仰ごう」


 カールの言葉にあたしたちは頷いた。




 いつものようにアイリスが美術部の部室で他の生徒たちと過ごしていると、二人の教師が部屋に入ってきた。


 一人は顧問でもう一人は副学長だった。


「アイリスさん、済まないがちょっと話がある。一緒に来てくれないか」


 副学長もいることから、先日の『美少年を愛でる会』のガサ入れの件だろうかとアイリスは思った。


 あの時は彼女も捕まって処罰を受けたのだ。


 部活棟を離れ、アイリスが教師たちを追って学院の構内を移動すると、附属病院の敷地にたどり着いた。


 そこから病院の車寄せに移動すると、一台の箱馬車が止まっていた。


「この馬車に乗ってください」


 副学長の指示に従うが、馬車に乗るとき顧問の教師がアイリスの肩を優しく叩いた。


 彼女が疑問に思っていると、馬車には彼女のほかに二人が乗り込んだ。


 一人は副学長で、もう一人は面識のない青年だった。


 青年が扉を閉めると馬車は走り始めた。


「これを着けなさい」


 青年が有無を言わさない口調でアイマスクを出したので、アイリスは装着する。


「両手を揃えて前に出しなさい」


「どういうことですか!?」


「両手を揃えて前に出しなさい」


 一切感情の揺れを感じられない口調で青年が告げた。


「あなたが所有していた『魔神の印章』の件で、取り調べを受けてもらいます」


 副学長の声だった。


 その言葉の意味を脳が理解したとき、アイリスは自身の足元が崩れていくような感覚を覚えた。


 そして目隠しした状態で身体を震わせながら両手を前に出すと、直ぐ手に拘束具が付けられた。


 アイリスは半ば茫然としながら、これから起こることへの不安で自身が震えていることが分かった。




 ずいぶん長い間走っていた気がするが、馬車がどこにたどり着いたのかアイリスには分からなかった。


 複数の人間の手で補助されつつ、指示に従って彼女は馬車を降りた。


 降りてから歩くのを促され、音の響き具合から建物に入ったことを認識した。


 そのまま手を引かれて歩くが、アイリスの耳に響くのは石材の上を歩く足音だった。


 やがて室内に入ったような音に変わるが、そのまま手を引かれて誘導され、彼女はアイマスクと拘束具を着けたまま肘掛けのある椅子に座らされた。


 程なく同じ室内に何人分かの足音が響き、椅子に座ったような音がした。


「ディンラント王国法に従い、ここで発生する全ての情報は記録されます。私の声が聞こえていたらアイリス・ロウセルは「はい」と返事をしなさい」


 初めて聞く女性の声だった。


 厳格さを感じさせる硬い声だ。


「……はい」


 アイリスは改めて自身が震えていることを自覚した。


「宜しい。これより私は闇属性魔法の【安息リポーズ】を使用します。この魔法は医療行為にも用いられることもある魔法であり、身体的苦痛はありません」


 そう告げてから発言する女は【安息リポーズ】をアイリスに使用した。


「魔法を使用しました。これにより、アイリス・ロウセルの精神活動は平時よりも停滞します。なお、アイリス・ロウセルの思考能力や判断能力に影響はありません。」


 発言する女の声が聞こえるが、次第にアイリスの意識からいま起きていることへの恐れが和らいでいく。


 思考をすることはできるし状況の判断は出来ており、事実を事実としてのみ自らが認識していることを彼女は自覚する。


「それでは質問を始めます。質問に際しては同席する別の者が、【真贋オーセンティシティ】の魔法の機能を有する魔道具を用います。私の話が聞こえていたら、アイリス・ロウセルは「はい」と返事をしなさい」


 真贋の魔法は、他者やモノの状態の真贋を鑑定する魔法だ。


 その魔法と同じ効果がある魔道具がその場に用意されているようだった。


「はい」


「宜しい。これから質問をしますが、アイリス・ロウセルは常に「いいえ」と回答しなさい。指示に従わない場合は、ディンラント王国からの追放もあり得ることを記憶しなさい。それでは始めます」


 発言する女は一拍おいてから質問を開始した。


「アイリス・ロウセルは女ですか」


「……いいえ」


「アイリス・ロウセルは精霊魔法を使えますか」


「いいえ」


「アイリス・ロウセルは魔神を信仰しますか」


「いいえ」


 女は淡々と、質問を重ねていく。


 ディンラント王国に害をなすか。ディンラント王家や貴族に害をなすか。生き物を傷つけるつもりはあるか。他者を傷つけるつもりはあるか。善意からディンラント王国の国民や住民に攻撃を行うか。ディンラント王国の隠された情報を得るつもりはあるか。他国の隠された情報を得るつもりはあるか。他人が隠した情報や財産を得るつもりはあるか。欲のために行動するつもりはあるか。自分の欲とは金銭欲か。自分の欲とは名誉欲か。自分の欲とは男女の欲か。自分の欲とは所有欲か。自分の欲とは知識欲か。自分は生きたいか。自分は他者が不要か。自分は他人から学ぶ意志はあるか。自分はディンラント王国や王家や貴族や国民のために働きたいか。自分は自分のためだけに生きたいか。自分は誰かに命令されるのは受け入れるか。自分は目的を同じにする仲間がいるか。自分の仲間は王国に害をなすか。自分の仲間は――


 質問は果てしなく続いていくが、今のアイリスは状況に動揺することなく回答できていた。


 だが、ある質問でアイリスの回答は止まる。


「アイリス・ロウセルはディンラント王国が好きですか」


「い…………はい」


「アイリス・ロウセルは常に「いいえ」と回答しなさい。指示に従わない場合は、ディンラント王国からの追放もあり得ます」


 淡々と女性がそう告げて、再び問う。


「アイリス・ロウセルはディンラント王国が好きですか」


 安息の魔法によって停滞する精神活動の中にあって、アイリスは自らの裡にある記憶を再生させる。


 ゆえにその情報が、曲がることのない真実としての自身の回答を形成する。


「故郷で暮らす家族や友達、王都で知り合った仲間や友達や先生たちが、笑って暮らすこの国がワタシは好きです」


 部屋の中で誰かが鼻をすする音が聞こえるが、それで止まることも変わることもなく女性が問う。


「アイリス・ロウセルは常に「いいえ」と回答しなさい。指示に従わない場合は、ディンラント王国からの追放もあり得ます」


 淡々と女性がそう告げて、もういちど問う。


「アイリス・ロウセルはディンラント王国が好きですか」


「ワタシはディンラント王国が大好きです」


 淀みなく、迷うこともなく、淡々とアイリスは応えた。


「…………」


 室内では凄い勢いで筆記具を走らせる音がしていたが、やがて女性が口を開いた。


「現在までの質問にて、今般必要な情報は収集できたと判断します。従い、ただいまを以てアイリス・ロウセルの取り調べを終了します」


 その直後、その場にいた者の一人がアイリスに【睡眠スリープ】をかけて彼女を眠らせた。


 次にアイリスが目覚めた時、寮のベッドよりも高級なベッドで横になっていることに気が付いた。


 服装も着替えさせられたのか小奇麗な寝間着になっていて、自身の制服は折りたたまれて近くのテーブルの上に置かれていた。


 改めて室内を見渡すが、アイリスの人生ではお目にかかったことのない豪華な装飾が各所に施されていた。


 すでに手に付けられていた拘束具は外されているので、彼女はベッドから起き出し部屋の窓に近づいた。


 窓の外の風景を確認すると目の前にはよく手入れされた庭があり、その向こうには高い塀と塀の向こうの王都の街並みが見えた。


「ここって、……王宮?」


 アイリスは自身の身に起きていることが理解できなかった。

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