10.そとづらを良くするために


 ミスティモントの町長であるビリー・ロイスは領都リフブルームにあるティルグレース伯爵の城を訪ねていた。


 領兵をしていたビリーとしてはかつての職場であるが、町長になってからは意外と会合などで呼び出されている。


 それでも今日呼び出されたのは、数日前のスタンピード騒ぎに関してであろうことは理解できていた。


 勝手知ったるかつての職場を急ぐでもなく歩いて進めば、目的の執務室まで顔パスで移動できた。


 たるんでいるとは言わないが、いくらかつての副兵長でも警戒するフリくらいはすべきだろうにと思いつつ、自ら執務室をノックする。


 室内からは入室を促す声が返ってきたので、扉を開けた。


「やあビリー。立て込んでいるところ済まないね」


「いえ若様。このような老骨で宜しければいつでも馳せ参じます」


 執務室にはティルグレース伯爵の嫡子であるウォーレンが居り、ビリーの顔を見るに席を立って出迎えた。


 知らぬ者が見れば線の細ささえ感じる痩せた体躯をしている。


 柔和な顔は整っており、その所作と相まって育ちの良さを振りまいている。


 だがこの青年が戦場に臨めば、魔力を併用して身の丈を超える大剣を振り回す狂戦士であることは、顔を知らない領民にまで知れ渡っていた。


「まあ、入ってくれ。互いに忙しい身だ。さっそく話をしようじゃないか」


 そう告げてウォーレンは執務机に着くと、その向かいにローテーブルをはさんで置かれた一人掛けの椅子にビリーを促した。


「最初に、いまの状況を話しておこう。君の街であるミスティモントだが、スタンピードと地竜に襲われたわけだ」


「そうですな」


「その危機については街の常駐戦力と冒険者で志願した者によって大半を処理できた」


「若様のご友人であるヒースアイル夫妻も主力としてずい分頑張ってくれました」


「だろうね。あいつらはホント頼りになるよね、ふふ。ああ、また模擬戦やりたいなあっ。ぐふふふ」


「若様?」


「げふん……問題は取りこぼした地竜が出たわけだ。これが街の南側から迫り、何らかの魔法に関する現象が起きて、地竜だったものが塩の塊に変じてしまった」


「商業ギルドの者に協力してもらい、【鑑定アプレイザル】の魔法で塩だと確認できておりますな」


「報告書で読んだよ。――まあその辺りの細かい話、特に魔法兵が現場にいたならその見立てを知りたいが、先に現状を話してしまおう」


「はい」


 ウォーレンがビリーに説明した内容は、以下のようなものだ。


・ディンラント王立国教会の王都にある観測部が、ミスティモントの街で神による奇跡が成されたことを観測した。


・同教会の幹部である枢機卿がディンラント王室に調査協力を申込み了承された。


・ティルグレース伯爵が調査内容の確認と承認などで会談するために王都に向かった。


「そういうわけで、父上は今朝王都に向かったよ。一日でも被ればビリーと飲めたのにとか言ってしょんぼりしていたがね」


「お館様が……そうですか」


 ビリーの記憶ではティルグレース伯爵であるラルフは、ドワーフも逃げ出すほどのうわばみだ。


 表情に出すことなく、ビリーは安堵する。


「教会の調査だが、主目的は二つあるそうだ。一つは奇跡そのものの調査で、調査結果を分析してディンラント王立国教会が奇跡と認定する材料になるそうだ」


「なるほど。まあ、聖人聖女が出てきたのでも無いでしょうから、聖地認定は無いでしょうな」


「それなんだけど、もう一つの主目的が聖人聖女の類いの有無を調べたいみたいなんだよね」


「まさか! ……どうにかして聖地認定して周辺国へのけん制材料にする意図でもお有りなのですか?」


 ウォーレンは苦笑しながらうなずく。


「首尾よく聖地認定されたら、いままで周辺国を刺激しないように数を抑えていた常駐の兵を、警備の名目で増やそうって思惑らしい」


「宰相殿……ではございませんな。将軍閣下辺りが言いそうです」


「領兵にそこまでは余裕は無いから、増やすなら人員や予算の援助をってことで、その辺も含めて父上が話をしに行ったわけさ」


「そういうことだったのですね。王立国教会からの聖地認定を受けての増強ということであれば、確かに他国には説明できますな」


「王国史に残る神さまの痕跡ってことになったら、逆に手を抜いたら周辺国からバカにされるよね」


 ビリーがそこまで告げると執務室には名状しがたい沈黙が訪れた。


 国としての思惑を察するに、今後ミスティモントでは様々な仕事が発生することが想像できたからだ。


 やがて、どちらともなく二人そろってため息をついた。


「とりあえずお茶でも飲んで一息入れよう。その後に、現場の保全の方針とか想定される協力内容とかを話そうか」


「はい」


 ビリーの返事を聞いてから、ウォーレンは執務机に置かれていた呼び鈴を鳴らした。




 地竜の襲来から数日が過ぎた。


 昨日くらいまで大人たちはスタンピードの後片付けだとか、避難に使った教会地下の片づけなどで忙しそうにしていた。


 父さんにしても狩人の仕事を再開するにも、獣の分布が元に戻るまでまだかかるだろうということで、片付けの手伝いの他には畑仕事をしている。


 塩の像に変わった地竜たちは保存することになったそうだ。


 領兵が追加で来て、土魔法を使って保護するための建物を塩の像に被せるように造り始めた。


 屋根材は樹を使うそうで、デニスの家の大人たちなどが職人として雇われたらしい。


 塩の像の近くの森の樹から材木を造るようだ。


 塩の像は街道の上に残ってしまった。


 これを保存するということもあって、街道は保存倉庫を迂回するように新たに整備されるらしい。


 ともあれ、塩の像関係の話ばかりでお察しの通り、あたしの日常にはそれほど変化はない。


 それでも薬神の巫女になったことは、ソフィエンタの助言通り母さんと相談する必要があった。


「ねえ母さん。今いいかな、大切な話があるの」


「大切な話? どうしたの?」


 居間の机で趣味の読書をしていた母さんは顔を上げた。


 この世界では魔力さえケチらなければ家事はかなり省力化できるので、主婦にとっては暮らしやすい世界と言えるだろう。


「あのね、神様にまつわる大切な話があるのよ」


「神様ねえ……」


「できれば教会に行って話がしたいの。いま時間があるかな?」


 あたしの意図を読むようにこちらを伺っていた母は口を開く。


「いいわよ。この前あなたたちが避難したときのお礼を神官様に伝えようと思っていたし、教会に行ってみましょうか」


「うん」


 そして母さんが姉さんたちに一声かけてから、あたしたちは教会に向かった。




 教会の門をくぐり建物に入ると、礼拝堂が目に入る。


 抑えられた明るさの中にチャペルチェアが三列で並び、奥の祭壇には神々の石像がずらっと並んでいた。


 はっきりとした記憶は無いのだが、意識の中では神々の表情がずい分美化されているように感じられる。


 あたしが母さんに声を掛けようとすると、突然辺りは真っ白な空間になった。


 隣に視線を移せば母さんが目に入るが、すでに戦いに臨むような油断ない気配を纏っている。


「母さん……」


「落ち着きなさい。五感に異変は無いけれど、魔力の感じから言って精神だけ切り離された状態になっているわ」


 母さんは静かにそう告げながら、辺りの様子に気を配っている。


 その直後に、何の前触れもなくあたしたちの前にソフィエンタが現れた。


「ようこそいらっしゃいました。ジナとウィンよ」


 ソフィエンタは以前会ったときよりも二割り増しくらいで光りながら微笑んでいる。


 その装束は飾り気のない薄緑色のスレンダードレスだ。


 言葉を発するごとに神気が震え、こちらの気持ちが和らいでいくのが分かる。


 あたし的には内心、余所行きモードで気合を入れているんだろうなあなどとボンヤリ考えてしまうのだが。


「わたしは薬神たるソフィエンタです。直答を許しますので、普通にお話をしましょう」


「薬神様……」


 本能的な部分での感覚で、目の前の存在が神格であることが分かるのだろう。


 母さんは即座に警戒を解くが、呆けた表情は一瞬で塗り替えて柔らかい笑みを浮かべてみせた。


「お招きにあずかり光栄の極みです」


 そう応えてから母さんは普段あたしたちに見せたことのないカーテシーをした。


「お招きありがとうございます」


 あたしはそう告げて頭を下げた。


 ソフィエンタがひとつ頷きあたしたちから見て右側に視線を移すと、丸テーブルと椅子が現れた。


 促されたのであたしたちが席に着くと、テーブルの上にティーセットが現れた。


 うん、そとづらを良くするために頑張ってるよなこれ。


 落ち着いた所作でお茶を一口飲むと、ソフィエンタは口を開いた。


「本日はウィンのことでお話があって、二人を呼んだのです」


「ウィンのことですか」


「ええ、この子の人生にもかかわる話です」


 そう告げながら、ソフィエンタは頷いた。

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