09.世界の書き換えを始めた
夜明けも近くなり東の空が白んできている。
空は晴れており、一日の始まりとしては穏やかに感じられただろう。
もっとも、昨日に発生したスタンピードの原因になった地竜の来襲により、このままでは悲惨な未来がこの街に訪れるらしいのだが。
あたしは、自分の足元に広がる故郷の街を眺めていた。
現実の肉体はいまごろ教会の地下で眠っており、こうして空に浮かんでいるのは霊体なのだが。
やや薄れつつある日本で暮らした時の記憶に、幽体離脱をネタにした芸があった気がするが、この世界でもウケるだろうかなどと脈絡もなく考えたりする。
「あまりボンヤリしてても良くないよね」
そう呟いて、視線を街の南の方に向ける。
ソフィエンタからの情報では、そろそろやってくるはずだった。
防壁の向こう、森を割って伸びる街道に地竜たちの姿が認められた。
意志の働きにより、それを取り除く確信を自らに込める。
空に浮かびつつ、地竜たちを見やりながら胸の前で両手を合わせて指を組むと、語るべき言霊が頭に浮かんでくる。
それを紡ぐ。
「いと高き座にある薬神よ
その名はソフィエンタなり
巫女たるウィン・ヒースアイルがここに宣する
御身は我、我は御身なり
我の敵は御身の敵なり
その威力を以て瞬きのあいだ
ゆめ幻が如くうつつを変じ
我らの敵を排し給え」
そこまで告げてから、両手の中に凝縮された神気があることを認識する。
同時に、地竜のことを思う。
魔獣であり人に敵対しているとはいえ、この地上にある命という意味では対等であることを思う。
「ごめんね」
それでもあたしの求める未来のためには――
「許すことができないのよ……かくあれかし」
そう囁くと神気は大空に融け、世界の書き換えを始めた。
町長の指示により、自身の所属する領兵の部隊は街の東側と南側に展開していた。
東は深い森とその奥には山岳地帯が広がっており、森の中の街道を進めば隣国につながっている。
南側も森を抜けて別の国に繋がっているが、北と西は平原を経て自国の別の都市につながっている。
状況からみて所属部隊は東と南に兵を厚くしていた。
「東からのスタンピードが無事に逸らせたみたいで一安心だな」
防壁の上で警戒しながら待機していると、自分に随伴する同僚から声を掛けられた。
「確かにな。斥候からは街の南に居た獣は西に向かったと報告があったな。……だがフレイムドラゴン系の地竜が迫っている。気は抜けん」
「ああ。おまえの戦術魔法が頼りだしな」
自分は領兵の中でも魔法に適性があるため、戦場で広域に展開できる魔法を修めている。
だが、その基本は敵の機動力を削ぐものだ。
今回のように竜種を相手にする場合は、突破力のある兵とセットで運用される必要がある。
「足止めは何とかしてみよう」
「頼むぞ」
言われるまでもない、と思う。
この街に自分が赴任してからずい分経つ。
来た当初はこんな田舎でどうしたものかと思っていたが、気が付けば家庭を持ちこの地に根付いていた。
自分たちが、自分がこの街を護るのだ。
これは使命感などではない。もっと大切な想いだろう。
「来たぞ! 地竜を複数確認! 三十分以内に到達!」
夜明けの陽の光の中、南の街道に沿って地竜が迫ってきていた。
「地竜は六体の模様! 戦闘準備!」
同僚の叫ぶ声を聴きながら、自身の裡に魔力を練り上げる。
同僚たちは長弓や投石器を準備し始めていた。
そうしている間にも地竜たちは防壁に迫り、あと少しで遠距離攻撃の射程に入るというところで足を止めた。
「――あのへんに罠でも仕掛けたか?」
同僚の一人が独り言のように問うが、地竜に有効な罠は準備できていなかったはずだった。
「おい、見ろ!」
言われなくてもこの場の全員が地竜に注意を向けていたが、視線の先では異変が起きていた。
地竜たちは周囲へ威嚇するように咆哮を上げていたが、各個体に緑色の光の粒子が降り注ぎ始めた。
それは暴力的ともいえるほどの、圧倒的な魔力だった。
「……まさか、戦略級魔法? ……あんな局所的に?」
思わず呟いてしまうが、術者が見当たらない。ただ突然地竜へと舞い降りるように濃密な魔力が集積していく。
「偵察部隊の【
連絡役の同僚が叫ぶが、みな状況の推移を見守ることしかできない。
自分も慌てて【
そしてあることに気付き、思わず唾をのむ。
「そんな……」
「どうした? 懸念事項は速やかに言ってくれ」
随伴する同僚が問うが、どう説明したものかと一瞬悩む。
「ひ、光の粒子が降っているのがここからでも微かに見えるだろう。地竜の上だけに降っている」
「そうだな」
「あの粒子の一粒一粒が恐らく、高度に圧縮された魔法陣のようなものだ……」
「魔法陣? あれが?」
「そうだ。魔法陣はもともと、複数人で同一の魔法を使うために用意される回路というか、魔力を積み上げるマトのようなものなんだ」
「ああ」
「それが……ステーキにぶっかける調味料よろしく、あんなに局所的にじゃんじゃん舞い降りるなんてありえないんだよ……」
「……それだけ高度な魔法ってことか?」
当惑する同僚の表情を伺ってから地竜へと視線をもどす。
「あれは魔法なんてものじゃ無い」
――奇跡とかそれに類するナニカだ。
自分が立ち尽くしている間にも同僚たちは警戒を続けるが、全員の視線の前で地竜たちは身じろぎし、咆哮し、やがて白い像へと姿を変えた。
昇りゆく朝の光に照らされたその白い像は、ある種の神々しさを感じさせた。
あたしが目を覚ますと、姉さんたちは起きていた。
先ほど案内役の大人が来て、スタンピードの危険が取り除かれたと皆に説明していったそうだ。
いまは念のための確認作業を進めているそうなので、今しばらく待機して昼頃には帰宅できるだろうとのことだった。
「父さんと母さんは大丈夫かな……」
「大丈夫だと思うわ。さっきの説明のとき、奇跡的に今回死者も重傷者も出なかったらしいの」
あたしの呟きに微笑みながらイエナ姉さんが告げた。
「奇跡的にっていえば。“奇跡が起きたんだ”とか興奮してたわよね」
「何だったんだろうな、あれ」
何かを考えながらアルラ姉さんが告げ、ジェストン兄さんと二人で首を傾げている。
あたし的には心当たりがあるのだが、取りあえずスルーしておく。
「詳しい話は後で聞けるでしょう。ケガ人は出たみたいだけどね、避難途中で転んだとか、荷物を足に落としたとか、重い荷物で腰を痛めたとか、そういうのだけだったらしいわ」
「ああ、腰かあ」
あるいはそういう体調面のこともあって逃げられなかった人もいたのかも知れないと脳裏によぎった。
いずれにせよ、この街への脅威は去ったはずだ。
何だかんだと話をしていると、大人たちが保存食を持ってきてくれた。
それほど食欲は無かったが、食事をとりつつ時間をつぶし昼前に解散することになった。
教会の建物から出て陽の光を浴び、草の匂いの混じる外気に思わずほっとする。
そしてあたしたちは家路についた。
荷物の片づけなどをしていたら、昼過ぎになって父さんと母さんが家に帰ってきた。
【
「帰ったぞー」
「ただいま。あなたたち、大人しく避難していたかしら?」
「「「おかえりー」」」
夜通し戦っていたのだろう。蓄積した疲労は残っているかも知れなかった。
「みんなで大人しく避難してたよ」
「ジェストン兄さんの友だちがカード持ってきてそれで遊んだりしてたよね」
「まあ、うちの弟と妹たちは他に比べたら行儀良かったと思うよ」
「でもさ、あたし的には退屈だったよ」
父さんはそうやって応えるあたしたちを見ながら、一人ずつ頭を撫でて回った。
その後ろで母さんはニコニコと笑っていたが、その笑顔はどことなく得意げな感じがした。
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