07.そこにはあたしの本体が居た
ブラッドは街道沿いのスタンピード防衛ラインの遺構で待機していた。
地魔法を駆使して構築された防衛ラインは空堀と岩塊による防壁からなり、ブラッドの見立てでは領兵の工兵部隊が構築に関わったように見受けられた。
他の人員はまだ到着していない。
周辺の森の中の気配を探るが、近隣には通常の獣の気配しか感じられなかった。
やがてブラッドは一つ溜息をついて口を開く。
「それで、どう動く?」
「基本的には町長の指示通り、人員が揃うまで待機でいいと思うわ」
声のしたところ――ブラッドのすぐ傍らにジナが姿を現した。
ジナの接近は自身の勘だけで捉えられた。
ジナが身に付けている隠形の技術は、あるいは冒険者時代よりも磨かれているかも知れないとブラッドは思う。
ブラッドにしても家族ができてから家業の狩猟の合間に鍛錬は続けてきているが。
「子供たちは?」
「荷物をまとめて教会に避難するよう伝えたわ」
「ならイエナが面倒見てくれるか」
「そうね」
長女の名が出たことで、ブラッドとジナの表情が少しだけ緩む。
ところで、とブラッドは呟く。
「スタンピードの原因は地竜としても、地竜がこちらに来るのはなぜだろうな」
「そうねえ、……何かに追い立てられたか、人為的に用意されたか」
「おれたちがこの街で暮らし始めて今まで無かったことだからな」
「情報が足らないわ」
「その辺は後で調べるしかないだろ」
「そうよねえ」
そんなことを話しながら、ブラッドとジナはその場で待機しつつ周辺の警戒を続けた。
あたしが姉さんたちと教会に移動したときには地下のシェルターが解放されていて、多くの住民たちが避難してきていた。
シェルターは所々に円柱が入った広い空間になっていて地下三階まであり、古い遺跡を補強したものであるそうだ。
壁には照明の魔道具が設置されている。
だから地下ゆえの暗さはそれほど気にならなかったが、普段立ち入ることもない広大な空間に居ることそのものが心の隙間に不安感を染みこませていた。
子供たちは一旦は最深部に集められているということで、大人たちの誘導で足を運ぶ。
その途中で八百屋のシーマおばさんに会った。
おばさんは苛ついたような表情を浮かべていたが、あたしたちに気づくと笑顔を浮かべて話しかけてきた。
「ウィンちゃんたちも避難してきたんだね。……お母さんはどうしたんだい?」
「母さんは、父さんもそうだけど冒険者の経験があるから、外で備えているわ」
「ああ、そうなんだね。心配だろう、無事に済むといいねえ」
「うん。……おばさんは一人?」
「そうなんだよ……。うちは避難しようとしたら義母さんが“家を守るんだ”って騒ぎ始めてねえ。説得したんだけど動こうとしなくて」
「そうなんだ……」
「ああ、ふだんはのんびりした人なんだけど、いちど責任感に火が付くと強情になる性質でね。……仕方がないから旦那が説得のために残ってるんだよ」
おばさんの話によると、同じように家に残ろうとする年寄りがそれなりの人数で居るのだという。
「もしものときは危ないよね」
「そうだねえ。困ったもんだよほんとに」
やがて他の大人たちに促されて、あたしたちはおばさんと別れてシェルターの地下三階に向かった。
あたしたちが地下三階に着くと、街中の子供が避難してきていた。子供たちのほかには、乳幼児の母親たちもいるようだ。
着いたときリタとも一瞬目が合ったので手を振りあう。
シェルターの一番奥ということで、戦闘になったとき対抗手段を持たない子供を守る意図があるのだろう。
あたしたちは案内役の大人からひとり一枚毛布を渡され、その他に保存食を受取った。
大人たちの説明によれば、他の階の家族に会いに行くのは構わないが、寝るときは地下三階で寝るようにとのことだった。
姉さんたちと適当なスペースの床に腰を下ろし、あたしたちは一息ついた。
「それじゃあ交代で荷物の番をしましょうか。ここを離れてもいいけど、最低でも二人は荷物番で残るようにしましょう」
イエナ姉さんがそう告げたのであたしたちは頷いた。
その後、最初のうちはそれぞれの友人たちとおしゃべりして情報交換のようなことをしていたが、ジェストン兄さんの友だちがプレイングカードを持ってきた。――要はトランプだ。
あたしたちはカードで一緒に遊んだり、アルラ姉さんと二人で読書したりして過ごした。
夜半も近くなってブラッドたちが待機している場所でも、東の方角から騒音が迫るのが確認できた。
街の東に広がる深い森の中にはところどころ人為的に魔法で用意された岩壁があり、スタンピード発生時にその流れを待機場所付近まで誘導する仕組みになっていた。
防衛のために領兵によって街道は封鎖されている。
いまは街道の上に巨大な岩塊があり、防壁と合わせてスタンピードを空堀に誘導する。
最終的に空堀は街の南東の森の向こうにある平原に向かっていて、そこまで誘導できれば獣たちはバラけて無害化できるよう設計されていた。
ブラッドは防壁の上で待機する領兵たちの傍らに立ち、【
「いよいよですね、ブラッド殿」
「ああ、だいたい予定通りの到達になりそうだな」
「万一の時は“
冒険者時代の二つ名を出されてブラッドは苦笑する。
ちなみに、ジナにも“
「いまはしがない田舎の狩人だよ」
「ご謙遜を。ブラッド殿は弓よりは斧術や大剣が得意でしょうに。機会が許せばご指導いただきたいところです」
領兵の言葉に曖昧に笑いながら周囲の気配を探り続ける。
ふと一陣の風が舞ったのを感じたのと同時に、ブラッドの傍らに偵察に出ていたジナが現れた。
「状況は?」
「想定通りよ。この防衛ラインでスタンピード本体は対処可能と考えられます」
ブラッドと領兵たちを見やりながらジナが応えた。
「地竜の方はフレイムドラゴン系で間違いないでしょうか?」
まだ距離はあるがスタンピードのはるか後方からは、暗くなってから森林火災が各所で見られた。幸い、そこまで延焼はしていないようだが。
「全ての個体がブレスを使っているわけでも無いでしょう。だから確定はできないけれど、大部分は火竜と思うわ」
「了解しました。他の防衛ラインと街への連絡は我々の部隊で行います」
「はい。では私はブラッドとここで待機に入ります」
「お願いします」
程なくして夜の闇の中、大気を震わす騒音と共に山津波のようにスタンピードが防壁になだれ込んできた。
スタンピードは防壁にぶつかった後、設計通りに空堀の方に流れを変えてすさまじい勢いでブラッドたちの視界の中を通過していった。
時間にして十五分から二十分ほど続いただろうか。やがてその死の暴走は遠くに去りゆき、周囲には夜の森の静けさが戻ってきた。
「ここまでは予定通りね」
「そうだな。地竜の到達までは時間があるが、どうする?」
「休憩しながら待機するのも手ではあるけど、戦術魔法の使い手がここにはいない以上おびき寄せてまとめて殲滅は領兵に負担が大きいでしょう。私たちはともかく」
「だよな。――町長に相談して先行して各個撃破で数を減らすのが無難かな」
「同感よ。ただ、その場合は全体の監視が弱くなるから抜けが出るリスクは高くなるわね」
ブラッドは唸りつつ、まずは町長と相談することを決めた。
あたしの名前を呼ぶ声が聞こえる。
疲れがあるのか、まだこのまま横になって目を閉じていたいのだが。
それでも、あたしの名前を呼ぶ声が聞こえる。
うるさい、人が寝てるのに何なんだ。
――ウィン・ヒースアイル!
息がかかる程の距離で名が呼ばれ、思わず目を開けるとそこは白い空間だった。
「ちょっと、ここどこよ?」
思わず声に出すが、あたしはここをよく知っている。
体を起こすとそこには、あたしを見下ろすようにあたしが居た。
「体感ではあなたには久しぶりになるのかしら、ウィン」
「そうね、ソフィエンタ」
そこには、あたしの本体が居た。
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