06.取りこぼした時が心配なの


「母さん、ちょっといい?」


「どうしたのウィン」


「気のせいかもしれないけど、そこのドアから庭に出たら血の臭いがしたとおもう」


「血の臭いですって?」


 台所で食事の支度をしていたジナ母さんが手を止める。


 ウィンの故郷では朝食を食べる人は稀だ。


 せいぜい朝小腹が空いていたら果物を齧るくらいだろう。


 多めの食事を昼に摂り、夕食と合わせて一日二食で過ごしている。


 その昼食のためのミートパイを母さんは用意していたようだ。


「リタの家が肉屋でしょ? 嗅いだことがあるからまちがいないとおもう」


「いま私が料理に使ってる肉の匂いとは違うのね?」


「ちがう。一瞬だったけど、もっと濃い血の臭いだったとおもう」


「なにかしらね」


 あたしの言葉に首を傾げつつ、母さんは手を【洗浄クリーン】できれいにしながら裏口を出ていく。


 庭に出てから母さんは辺りを見渡す。


 いや、五感全てを使って何かを確認しているのかも知れない。途中から視線が鋭くなったから、そう思った。


「こっちの方角ね。違和感があるわ」


 そう呟いて母さんは東の方角に身体を向ける。


「【巻層の眼アイオブザクラウド】」


 あたしがまだ知らない魔法を使っている。魔力の感じからすると風魔法のようだ。


「……まずいわね。東の方からスタンピードが始まっている可能性があるわ」


「スタンピード?」


「魔獣や獣が土砂崩れみたいに一方向からなだれ込んでくる現象よ」


「それは……どうなるの?」


「放っておけば街が魔獣たちの大群に荒らされてしまうわ。家とかぺちゃんこになっちゃうわね」


「えー、まずいじゃない」


「そうねえ……そもそも何でスタンピードなんて……。あら?」


「母さん?」


 母さんの視線がますます険しさを増してくる。何か分かったのだろうか。


「ちょっと遠すぎて細かくは分からないけど、地竜の類いが魔獣たちを追い立ててるかもしれないわ」


「地竜? ドラゴンなの?」


「何とも言えないわね。いちばん楽観的なのは巨大なトカゲみたいなもの。いちばん最悪なのは毒のブレスを吐くような竜に近い奴ね」


「毒ってヤバいじゃん!」


「んー……煙も出てるかしら。あれが火によるものか酸によるものかで話が変わりそうだけど。まずは情報共有かしらね」


 そう言ってから母さんは何回かまたたきをした。


「それにしても、あの距離で良く気が付いたわね。お手柄よ」


「あたしは気づいたわけじゃ無いわ。血の臭いがした気がしただけよ」


 さすがに超能力とかのたぐいではないと思うけれど、予知に近いようなスキルなり加護でもあたしにあるんだろうか。


「それでもまだ、この距離なら何とかなるかも知れないわ。ちょっとお母さんこのまま魔法でお話を始めるわね」


「分かったわ」


「ウィンは倉庫にあるマジックバッグに食べ物を詰め込んでくれないかしら。最初にお姉ちゃんたちに、スタンピードからの避難準備っていえば分かるはずよ」


 あたしは頷いて、イエナ姉さんの部屋に走り出した。




「【風のやまびこウィンドエコー】。ブラッドさん、町長、聞こえるかしら。ジナ・ヒースアイルです。今いいかしら? 緊急事態よ」


 ジナは風魔法を使い、夫と町長に呼びかけた。


 いちど視認できる距離で魔法を使って会話すると、距離をとっても会話できるようになる魔法だった。


 夫には、冒険者時代の流儀が必要な状況では、自分が『あなた』ではなく名前で呼びかけると決めていた。


「ブラッドだ。街の南の森で約一時間の距離だ」


「ビリーじゃ。鍛冶場に顔を出そうとしてたが問題ない」


 ビリーというのは町長のビリー・ロイスのことだ。


 伯爵領の元領兵で工兵の経験があり、除隊直前には副兵長をしていたらしい。


 五十代に入って除隊してから故郷にもどって鍛冶屋を始めたが、数年経って周囲の勧めで町長になった。


 ブラッドとジナは冒険者時代に名を馳せていたので、それを知る町長に頼りにされていた。


「ミスティモントの街の東でスタンピード発生の可能性あり」


「なんだって?!」


「……ジナよ、続けてくれんか」


「上空からの魔法による観測では、現時点の到達予測は本日夜半過ぎ付近。発生の原因は、地竜が魔獣を追い立てている模様」


「あー、地竜の類いか」


「厄介じゃの」


「地竜は視認できるだけで二十体以上いる模様。また、森からは白煙が上がっていることから、何らかのブレスを吐くと考えられます」


 ジナの説明に、町長からため息が漏れた。


「地竜の到達予測はどれくらいとみてるんだ?」


「地竜の到達は明日の明け方以降になると思うわ」


「地竜は足を止めたり方向を変えたりはしておらんかの?」


「数分観察した限りでは、ミスティモントの街を目指していると思われます」


「了解じゃ。ブラッドとジナは先行して街道沿いに東に向かってくれ。過去のスタンピード防衛ラインの遺構が三層あるのは知っておるの? その一番外で待機じゃ」


「「了解」」


「直ぐに街に常駐する領兵と自警団から地魔法の使い手を編成して急行させる。先走らんで良いからの。お主らは偵察兼そやつらの護衛を頼む」


「分かりました」


「町長、私たちの子供たちをお願いしたいのですが」


「分かっておる。教会に向かわせるがよい。地下に大規模なシェルターがある。伯爵様の方針での、隣国に攻められても十日は全町民が過ごせる備蓄を持ち込める」


「そんなものがあったのは初耳だぞ、町長」


「まあ、儂の何代か前の町長の時スタンピードでかなり被害が出たようじゃ。大元はその経験によるらしいの」


「そうだったのね」


「うむ。まあ、スタンピードそのものは今から備えれば防衛ラインで方向を逸らせるじゃろう。――問題は地竜じゃな」


「うーん……火を吐く類いならおれもジナも余裕だが、数が多いのと、ブレスが酸とか毒だった場合がな」


「領都に直ちに連絡すべきね」


「スタンピードを含め伝達関連は儂が取り掛かる。時が惜しい。直ぐに動いてくれ」


「「了解」」


 会話を終えたジナは一つ溜息した。


「スタンピードか、面倒ね」


 そう呟いてから、武装するために倉庫に向かった。




 家の中で姉さんたちと話をしてから、あたしとジェストン兄さんは倉庫に向かった。マジックバックを台所に持っていくためだ。


 マジックバックというのは【収納ストレージ】の生活魔法をかけたカバンだ。


 家庭用のものは倉庫サイズの収納量が一般的だ。だから、収納しようと思えば倉庫の中のものを丸ごとマジックバッグに格納することができる。


 生活魔法である【収納ストレージ】が手軽に習得できる魔法であり、戦闘などに縁がない一般成人の魔力量でもタンス一つ分くらいの収納量を亜空間に格納できる。


 それだけ一般的な魔法であるため、マジックバッグも中古の魔導馬車一台分くらいの値段で売られている。


 倉庫に入ろうとしたら、中から母さんが出てきた。冒険者時代に着ていた戦闘服だろうか、濃い茶色の革製のシャツとズボンに皮鎧をつけ、背にはM字型の短弓を背負っている。


 腰の前部にはナタよりは若干長めの、反りが入った短剣をいている。


 装着の仕方が独特だが、腰にほぼ水平になっている。右手に包丁を持った状態で、刃を下にして刀身を水平にベルトのバックルに付けるような感じというか。


「あなたたち、ちょうど良かったわ。母さんはこれから父さんと合流して、スタンピード対策を手伝ってくるわね。あなたたちは荷物をまとめたら、教会に向かいなさい」


 そう告げる間も、母さんは小ぶりな片手斧を腰の後部に装着していた。


 柄の部分が左に来るようにしているので、手斧と短剣の二刀流で闘うのかも知れない。


「教会に行けばいいんだね?」


「そうよ。地下にシェルターがあるわ。神官さまによろしく伝えておいて」


「わかったよ。母さんも気をつけてね」


「遅くとも夕方になるまでには確実に教会に行きなさい」


 母さんは兄さんとそこまで話してからあたしに視線を向けた。


「ウィンも退屈かも知れないけど、ちゃんと避難してなさいね」


「母さん、気をつけてね」


 あたしの心配そうな視線を見て、うふふと笑ってから母さんは口を開く。


「不意打ちをされないかぎり、お母さんもお父さんも左手だけで片付けられる程度の案件よ。スタンピードの本体は向きを変えるだけだし」


「左手って……。でも、油断しないでね」


「もちろんよ。こと戦いに関しては、私もお父さんも事実をもとに行動するわ。あなたたちを護るために油断なんてしてられないし」


 そう言って微笑んでから、母さんはあたしの頭を撫でてくれた。


「油断はともかく、取りこぼした時が心配なのよねー……。あ、そうだ。私のコレクションの倉庫においてあった本だけど、【収納ストレージ】の魔法で回収したわ。あなたたちの私物で大切なものはマジックバッグに入れるのを忘れないでね」


「「はーい」」


「それじゃあ、行ってきます」


 まるで街なかに買い物に出かけるような気軽さで、母さんは手を振ってから歩き出した。


 だが、母さんが数歩歩いてから、その姿を目に捉えていたはずなのにすっとその場から消えてしまった。


「兄さん、母さんが消えちゃったね……」


「本番の前の肩慣らしみたいなものだとおもう。僕たちも仕度をすすめよう」


 兄さんの言葉にうなずいて、あたしたちは避難の準備を進めていった。

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