第2話
トリガルーティン症候群。
ある状況がきっかけで決まった行動を取ってしまう精神疾患の一つである。
中学二年の夏をきっかけに、俺はその病気を患うこととなった。
川で溺れて意識不明となったカノジョ。その後の行方を知る事なく、俺は引っ越してしまった。引っ越してから何年経っても、自宅にカノジョから連絡が来ることはなかった。それで何となく状況を察してしまった。
だから俺は自分の中にカノジョのイマジナリーを作ったのだ。これ以上、精神に負担がかかることがないように自己防衛本能が働いたのだろう。それが俺のトリガルーティン症候群発症のきっかけだ。
「お大事に。くれぐれも川には近づかないでくださいね」
かかりつけの精神科へと赴き、カウンセリングをしてもらった。
彼女は念を押すように俺に注意喚起する。俺の症状は自分では止めることができない。今回はひまわり畑を見てフラワーパークに行っただけだから良かった。川を見て、彼女が溺れている様子を想起して助けに行くなんてことをしたら、大惨事になってしまっていた。
かと言って、ずっと避けるわけにもいかないのがこの病気の悪いところだ。
自己防衛として作り上げたイマジナリーに対して、何もしなければ精神的ストレスが募る。適度にイマジナリーと会いつつ、避けるところは避ける。今年の夏も骨が折れる日々を過ごしそうだ。
処方箋を受け取り、駅の方へと歩いていく。
お昼の日差しは肌を強く刺激する。長時間歩くとヒリヒリとした痛みに襲われるためできる限り日陰を歩いた。
「ん?」
駅に辿り着くと、柱に設置された液晶パネルに『花火大会開催』の広告が映し出されていた。〇〇花火大会が三年ぶりに開催されるらしい。
「今週の休日、花火大会が開催されるんだ。ねえ、行ってみたい!」
すると隣にいたカノジョがそう言って、俺に微笑みかけた。
長い黒髪を垂らし、まん丸な紺碧の瞳を閉じて、にっこりと笑う。まだ幼い彼女はセーラー服を身に付けていた。
「うん、行こうか」
再びイマジナリーに唆され、今週末に開催される花火大会に行くこととなった。
****
「最悪……」
花火大会当日。私が着いた頃には、会場は多くの人で溢れかえっていた。道路は観覧者のために一定区間通行止めになっていた。
目の前に広がる人の列。入ったら最後、もう戻っては来られないほど人が右から左へと流れていく。まるで濁流のようだ。
ここからバイトの先輩二人を探さなければいけないとなると骨が折れる。
スマホで時間を見ると午後六時半を回っていた。開催は午後七時なのでタイムリミットはわずか三十分。ひとまず、スマホからチャットを開いて先輩に通話する。
「もしもし」
「もしもし、千影です。今〇〇駅につきました。どこにいます?」
「近くの噴水にいるよ。ここ意外と綺麗に見えるらしいってさっき教えてもらったんだ」
会話をスピーカーモードにして、スマホの地図アプリで現在位置と噴水の距離を測る。ここから歩いて十分くらいで着けるようだ。
ただ、不幸にも濁流に反して動かなければいけないので、時間は大いにかかるだろう。
「わかりました。今からそちらに向かいますね」
「了解。人が多いから、気をつけてね」
「ありがとうございます」
通話を切り、ポケットにしまうと私は意を決して濁流へと入っていった。
人混みは流れる人と止まっている人がいる。それをうまくかわして歩いていった。時間はたっぷりある。ゆっくりと着実に歩いていく。
すると止まった人たちの間から大勢の人たちが流れてきた。私は思わず立ち止まり、彼らの流れを待つ。彼らは止まることなく、ゆっくりと流れるため空くまでに時間がかかった。
流れが消え、ようやく空くと私は少し急いで歩を進める。
刹那、不意に足が強く引っ張られると何かが抜けたような感覚を抱く。
勢いにのって私は前のめりになり、こけそうになる。
「大丈夫?」
それを前にいたお兄さんがうまく受け止めてくれた。「すみません」と言って、彼から離れる。反射的な行動で相手に不快を抱かせてしまったと思い、頭を下げた。その際に自分の履いていたサンダルが一足ないことに気づく。代わりに道路の熱を感じて思わず足をあげた。
素足をもう一方の足に重ねつつ、あたりを見回す。人が多すぎて自分のサンダルがどこにあるのかわからなかった。路上が熱を持った中、素足で歩くのは困難を要する。私は思わず、ため息をついてしまった。
こんなことになるなら来なければよかった。せっかくの花火大会なのに、何故こんな思いをしなければならないのだろうか。周りにいる人たちに対して、思わずイライラしてしまう。そう思ってしまう自分が嫌で落ち込む負のスパイラルに陥っていった。
『ドカーン』
それを吹き飛ばすように大きな音が鼓膜を伝う。波の振動に鼓動が共鳴し、強く疼く。
最初の大きな音を合図に『ヒュー』と打ちあがる音が幾多にも重なる。夜空を見上げると色とりどりの花火が一斉に花開いた。
「綺麗……」
落ち込んでいたからだろうか。久々に生で見たからだろうか。夜空に咲き誇る花火に心を打たれ、一人でに感嘆を漏らしてしまった。
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