Case.24 事態収拾
Case.24 事態収拾
ジュンの顔めがけて辰巳のノミが振り下ろされる。
「止めろ」
リクの筆から墨が溢れる。屏風から出てきた虎や『穿つ』を取り押さえる時に使った時よりは細いが、同じタッチの縄が空間に描かれる。縄は辰巳に巻き付いて、動きを押さえる。
「ゴホッ! ハッ……辰巳さんっ! 落ち着いて……ゴホ!」
床には石の粉が大量に積もっている。石の粉を大量に吸い込みつつ、ジュンは必死に辰巳に呼びかける。
「は……はははは! 無駄よ! 私一人を縛り付けても、私たちは止められない!」
ガチャリ。
必死に辰巳を見上げるジュンは、確かに見た。空間が歪む瞬間を。辰巳を中心に、世界は歪み、変じ、ひしゃげた。
歪な空気は伝染する。伝染した先は、バレリーナたち。アトリエのラックに置かれた、辰巳が過去に作ったバレリーナたちが、一斉に動き始める。
「こ、れは――!」
舞い踊り始めたバレリーナたちは、圧巻の一言に尽きる。ジュンは思わず見入る。
辰巳が彫り上げた精巧なバレリーナたちは、たとえ習作であっても人間以上に美しく、正しい。それぞれの動きはバラバラなのに、整合性がとれている。類い希なる精巧さが、危ういバランスの一糸乱れぬ動きを可能にしている。
(辰巳さんの言っていることは正しい)
ジュンは辰巳の言葉を思い出す。『動いている彼女たちを展示することの、何がそんなにいけないんですか! これこそが、彼女たちの本来の姿なのに!』。これこそまさに、辰巳の芸術の完成形で、バレリーナたちの本来の姿だ。
これを禁止するのは、おかしいのではないか。ジュンの頭に疑問が生まれる。
「……だから、ダメなんだよ」
リクの溜息でジュンはハッとする。これは終わりではなく、始まり。何かが起こるからこそ、リクは筆を抜いて構えている。リクが筆を抜いたのは、辰巳を縛り上げるためではない。
「見て! 見て! 見て‼ これこそが! 私の表現したかったもの!」
辰巳は溢れ出る涙を拭うことさえ忘れて、両腕を広げてバレリーナたちを褒め称える。
「辰巳さん。最終通告です。ディストーションを、止めてください」
「私のバレリーナたち! こんなにも美しく儚く尊い! これこそが、人間のあるべき姿!」
リクの制止も、辰巳には最早聞こえない。いや、聞こえてはいた。ただ、意味ある言葉としてではなく、雑音として。自らの理想に行き着いた辰巳を邪魔する雑音として、辰巳は認識した。
「……いらないなものは、排除しないとね」
このアトリエに不要なものは排除しなければ。彼女たちは完璧だ。ならば、舞い踊るための舞台も完璧に整えなければ。
だが、辰巳は動かない。辰巳の願いに反応したのは、バレリーナたちだ。
意思を与えられたバレリーナたちは、辰巳の願いを聞き入れ、邪魔者を――リクを排除するために跳躍する。何十体もの石でできたバレリーナたちが、一斉にリクに飛びかかる。
「リクさん!」
上に乗ったままの辰巳を、ジュンは振り落とす。急いでリクの元に駆け寄るが、バレリーナたちの方が身軽で早い。リクは既にたくさんのバレリーナたちに取り囲まれている。
「リクさん! リクさんっ!」
リクに駆け寄ろうとするジュンを他のバレリーナが襲う。
精巧に作られたバレリーナたち。その素材は大理石だ。小さな大理石であっても、硬い。しかも、骨格から神経に至るまで、本物の人間以上に精巧に作られている。たとえ15センチ程度の大きさであっても、バレリーナたちに襲われれば死に至る可能性だってある。
先ほどのノミとは違い、打撲による痛みがジュンを襲う。
「骨格も筋肉も内臓も神経も。全て粉々にしてやる! 私の邪魔をするものは全て! 全て!」
辰巳の声は雷電のようにバレリーナたちに伝わる。バレリーナたちの動きは更に狂信的になる。
「……だから、ダメなんだよ」
バレリーナの塊から、リクの声が聞こえる。痛みに呻くわけでも、恐怖におののくでもない。いつも通りの冷静な声。だけど、そこには落胆の色が乗っている。
バレリーナたちが一斉に地面に落ちる。ジュンを攻撃していたバレリーナたちも床に押さえつけられる。殺虫剤を浴びた羽虫のように、バタバタとみっともなく藻掻く。
「墨……」
よく見れば、全てのバレリーナたちは墨で縛られている。半透明で細く書かれた墨。何十とあるバレリーナたちには、リクの墨が纏わり付いている。網に掛かった小魚のように、バレリーナたちは床でじたばたとみっともなく藻掻くしかない。
「邪魔しないで!」
辰巳は怒声を上げて、リクの描いた縄を振り切ろうとする。だが、実体のない縄はどれだけ藻掻こうと解けない。
「辰巳アオイ。ディストーションに関する重要人物として、連行する」
リクは腰にかかった手錠を手に取る。
「どうして! どうしてよ! 何がいけないのよ!」
「何がいけないか? そんなこともわからないから、ダメなんですよ」
リクの声に呆れたような笑いが乗る。
リクはまず辰巳の握り閉めているノミを奪い、床に放り投げる。ガチャリと硬い金属音と共に、辰巳の手に手錠が掛かる。警察官だったジュンには聞き覚えのある音のはずだが、酷く重苦しいように思う。
リクはスマホを操る。改変対策課に電話をかけているのだろう。しばらくすると、例のドアが現れるはずだ。
「あなたは自分の作品で人を傷つけようとした。それがいけないことだとわからないから、ダメなんです」
リクが筆を引っ張り上げるように操る。地面に倒れ伏していたバレリーナたちが、網に絡みとられて乱雑に纏め上げられる。
辰巳の口から紙を引き裂いたような悲鳴が零れる。
「それは、あなたたちが私の邪魔をするから……」
辰巳を縛っていた縄が消える。だが、現実にかけられた手錠は解けない。それでも、辰巳は諦めない。目の前の男さえ排除すれば、私のバレリーナたちは再び踊り始めるのだから。
「たとえ俺たちが邪魔をしたとしても、あなたは正当な方法で石像を発表すべきでした。だけど、あなたは暴力に訴え出た。しかも、よりにもよって自分が魂を込めた作品で」
リクの視線が下に落ちる。辰巳もリクの視線を追いかける。
「あぁっ――!」
辰巳は悲壮な声を上げ、手錠がかかって不自由な手で一体のバレリーナを抱え上げる。抱え上げたバレリーナだけではない。リクの網に掛かったバレリーナたちはみな、縛られつつも、それでもまだ舞うために動き続ける。
リクの縄は解けない。バレリーナの動きも止まらない。結果、バレリーナたちの腕は足は首は、折れていく。バキリガキリボキリと音を立てながら折れていく。頑丈なはずの大理石の方が、意思に力負けして折れてしまう。
「――っ!」
造りが精巧ゆえに、痛ましい。ひしゃげた人間を模したかのように、バレリーナたちがひしゃげていく。人間よりもなお酷いのは、どれだけひしゃげてもまだ動き続けるところだ。
「とまっ、止まって! お願い、もうこれ以上動かないで!」
辰巳が絶叫する。全てのバレリーナたちに呼びかける。だが、バレリーナたちは辰巳の願いを撥ね除けて動き続ける。きっと石がバラバラに砕け散って、粒子の一粒になるまで動き続けるだろう。
バレリーナの足が折れ、辰巳の右手に突き刺さり、貫通する。だが、辰巳は痛みを感じない。バレリーナたちの狂乱を止めようと必死に足掻く。
派手な色をした場違いなドアがアトリエに現れる。ドアの向こうから、ジュンの見たことがない人たちが現れる。
「改変対策課の第三係だ」
戸惑うジュンにリクが簡単に説明する。リクが軽く頭を下げれば、第三係の人たちも軽く頭を下げる。
「嫌! 止めて! 彼女たちが!」
第三係のうち二人が泣き叫ぶ辰巳を両脇から辰巳を抱えて立たせて、ドアの向こうに連れて行く。他はバレリーナを回収し、クッションの効いたケースに収納していく。
「帰るぞ」
リクがスーツに付いた石の粉を払い落とす。
「はい」
ジュンは返事をする。息を吸うと口に入り込む石の粉が酷く不快だった。
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