Case.22 石像共鳴

Case.22 石像共鳴


 辰巳は開館1時間前には自宅に戻っていた。動き出したバレリーナたちは、未だに舞っていることだろう。魂が再び抜けてしまうのではないだろうかと、それだけが気がかりだったが、あの様子では心配なさそうだ。夢中で動き続ける彼女たちを見て、もう二度と抜けることがないと確信が持てた。

 ならば、辰巳が次にやるべきことは、新作を作ることだ。彼女たちの仲間を作ることだ。

 辰巳はノミを持ち、彫る。一彫り一彫り丁寧に彫る。これほど彫刻が楽しいのはいつぶりだろう。彫刻を始めた頃の高揚感が辰巳の身体を満たす。

 早く新しい作品を作り上げたいと急ぐ気持ちを抑えながら、いつも通りの仕草で彫っていく。彫るごとに、ただの石のかけらに魂が宿るのがわかる。夢中になって、夢想しながら、辰巳は一心不乱に石を彫り、削る。

 だから、部屋の中に突如として、アトリエに不似合いな派手なピンクのドアが現れて、その中からジュンとリクが出てきたことにも気がつかなかった。

「辰巳さん」

「……」

 辰巳は答えない。無視している訳ではない。聞こえていないのだ。

「辰巳さん!」

 ジュンは先ほどよりも強い口調で声をかける。だが、辰巳の目は手に握った石にだけ注がれている。

 リクがジュンを後ろに追いやる。名前を名乗り、リクは辰巳に語りかける。

「辰巳葵さん。これを作ったのは、あなたですね」

 リクは手に持った箱を辰巳に掲げる。ここでようやく、辰巳の目線が石から外れる。そして、同時に辰巳の目が釣り上がったのがジュンには見て取れた。

 辰巳は身体全身を震わせる。怒り故だと、誰の目にも瞭然だ。

「どうしてこの子をあそこから動かした!」

 痛覚を伴う怒声が、狭いアトリエに響く。

 リクが手に持っている透明な箱の中には、『仲間はずれ』のバレリーナのうちの一体が納められている。バレリーナは小さな箱の中で今でも舞い踊っている。

「返せ!」

 辰巳はリクの手から箱を奪おうとするが、リクは躱す。石の粉が舞い散って、リクは目を瞬かせる。だが、決して辰巳にバレリーナを渡そうとはしない。

「辰巳葵さん。お話があります。これから我々が出す条件を呑んでくれるのなら、この作品をお返しすることができるかもしれません」

 バレリーナを取り返そうと躍起になっていた辰巳の動きが止まる。リクを疑り深く見上げ、それからリクの後ろにいるジュンに目をやる。リクを信用していいのか、無言でジュンに問うている。

 ジュンは重々しく頷く。リク嘘を吐いていない。辰巳がリクたち改変対策課の意見を聞いてくれるのなら、バレリーナはきちんと辰巳の元に返す。

(だけど……)

 辰巳はリクの指し示す条件を呑むだろうか。ジュンの胸に重たい靄がつっかえる。

「わかりました。それで、話とは何でしょう」

「3人でこのアトリエは狭い。外に出ませんか?」

「いえ、話ならここで聞きます」

 リクもジュンも、石の粉で充満している、お世辞にも綺麗とはいえないアトリエから出て話をした方が、辰巳も落ち着いて良いと判断した。だが、当の辰巳が首を縦に振らない。諦めて、立ったまま話を始める。

「辰巳さん。もう一度確認します。これはあなたの作品『仲間はずれ』の一部で間違いないですか?」

 リクがジュンの持った箱を指し示す。辰巳は頷く。リクとジュンに見せる視線とは裏腹に、バレリーナに注がれる視線は慈愛に満ちていると同時に、恍惚感が溢れている。

「信じがたいことかもしれませんが、あなたのこちらの作品は、このように動き始めました」

「知っています」

「え?」

 あっさりと認めた辰巳に、ジュンから驚きの声が漏れる。

「知っています。だって、私は彼女たちが動き出す瞬間を見ていたのだから」

 辰巳は目を閉じる。動き出したのは今日の未明。時間はさほど経っていないから、当然まざまざと思い出せる。だけど、きっと。10年後も20年後も、同じように今朝の感動を思い出すことができるだろう。

「ならば、話が早い。この芸術が意図せず動き出す現象を、我々はディストーションと呼んでいます。そして、ディストーションされた作品は、展示することができない」

「はい? 今、何と言いました?」

「この作品は展示会から引き上げ、現在私たちで預からせてもらっています」

「どういう、ことですか?」

 辰巳の顔に困惑が広がる。

「これ以上の情報は、お伝えすることができません。今述べた通り、あなたの作品はディストーション状態となって動き出し、その結果展示を中止している状況です」

 展示会は今日も開場しているが、辰巳の『仲間はずれ』は撤去され、改変対策課が保管している。

「えっと、話がよく理解できないんですけど。私の『仲間はずれ』は動き出して、その……ディストーション? になったんですよね」

「はい。辰巳さんが作成された『仲間はずれ』はディストーション状態となり動き出したため、展示を中止させていただいております」

 辰巳の理解は正しい。リクは辰巳の言葉を整理して繰り返す。

「……おかしくないですか?」

「どこがでしょう」

「動き出す現象を『ディストーション』と呼ぶんですよね?」

「はい」

「じゃあ、展示会にある『穿つ』もディストーション状態なんじゃないですか? ディストーション状態の作品の展示がダメだと言うのなら、『穿つ』だって展示を中止しないとダメなはずですよね?」

「『穿つ』のディストーションは解除されました。なので、展示はしていただいて問題ありません」

 マニュアルを読んでいるかのように、リクの答えは平坦で淀みない。だからこそ、辰巳は余計に納得がいかない。

「『穿つ』は良くて、『仲間はずれ』はなぜダメなんですか」

「『穿つ』のディストーションは解除されました。ですが、『仲間はずれ』のディストーションは未だ解除されていません。そのため、展示を中止させていただいております」

「だから、どうして……」

「なので、私たちはここに来ています」

 再び怒気を孕み初めた辰巳の声をリクは遮る。

「ディストーションにはいくつか原因があります」

 ここで辰巳に告げることは敢えてしない。だが、ジュンの頭には何度となくリクや春日から繰り返し教えられた基礎が蘇る。

 ディストーションが起きる原因。それは大きく分けて二つ。

 一つは、他者からの偏見で意味が歪んだ場合だ。『穿つ』の場合は、大勢からの認知の歪みが具現化した。すなわち、『動き出しそう』と大勢が思ったから、本当に動き出した。屏風から虎が飛び出してくるのと同じ現象だ。

 だが、辰巳の作品に関する投稿は見受けられない。誰の注目も集めていない。

 展示会では、全ての作品で写真撮影が許可されている。売れていない作家たちの展示会だ。売名の意図もある。むしろ積極的に撮って、広めてほしいとさえ思っている。

 それなのに動きだしたということは、ディストーションが起こるもう一つの理由のせいだ。

 それは――。

(作者の強い思いが込められて、動き出す)

 毎日石を彫る、何体も彫る。寝食を忘れて掘り続ける。だけではまだ足りない。

 常軌を逸するほどの情熱を作品に込めなければ、魂を削るほどの真剣さがなければ、ディストーションは生まれない。

 ジュンは手に持ったバレリーナを見る。硬い大理石でできているはずのバレリーナは、本物のバレリーナが嫉妬するほど優美に踊る。頭の先から足の先まで精巧に作られたバレリーナは、本物以上に本物だ。

「あなたの強い思いは、確かにこの石像に届きました。それは同じ芸術を志す者として敬意を表します」

 ショーケースの中で舞い踊る『仲間はずれ』を見て、リクは素直に感銘を受けた。ジュンの解説本に載っていた写真を見たから、精巧さはわかっていたつもりだった。

 それでも、生で見たときは鳥肌が立った。辰巳のアトリエが――いや、アトリエの歴史が目に見えるようだった。骨格を知るための骨格標本があったときもあるはずだ。筋肉を動かすための図鑑があったはずだ。内臓を解析するための専門誌があったはずだ。神経を投影するための論文があったはずだ。

 そして、それらは現在の彼女のアトリエにはないのだろう。実際に、現在の辰巳のアトリエにはそれらの参考資料はない。それらの情報は全て頭の中に入っているからだ。

 いちいち標本などを見なくとも、辰巳の頭の中には正確な模型がある。頭の中のそれを動かし、ポーズを作ることができる。標本は不要で、それどころかアトリエを圧迫して邪魔になる。だから、既にアトリエから撤去されている。

 高い理想を掲げ、そしてそれを実現した。だからリクは、『仲間はずれ』に感銘を受け、辰巳に敬意を表する。

 だが、ディストーションになってしまった。それは認められない。

「石像のディストーションの原因は辰巳さんご本人にあります。あなたが石像に動くようにと強く願ったから、本当に動き出してしまった。裏を返せば、あなたが動きを止めるようにと願えば、石像は動きを止めます。石像の動きが止まれば、再び展示することができます」

 リクは残念に思う。『仲間はずれ』はもっと大勢に見てもらうべきだ。正当な評価を受けるべきだ。早急にディストーションを解除し、展示するべきだ。

「……つまり、彼女たちは私の『動いて』という願いに応じて動き始めたのだから、今度は『動かないで』と願えってことですか? 展示するために?」

 乾いた笑いが辰巳から零れる。

「そうです」

 リクは寸前で溜息を堪える。本当に、残念だ。

「嫌ですよ! せっかく! せっかく彼女たちの魂を用意することができたのに! やっと彼女たちに魂が宿ったのに!」

 辰巳は頭を振り乱し、リクに抗議する。

 本当に残念だ。リクにはわかっていた。辰巳が素直にリクの要請に応える訳がないと。ディストーションが発生するくらいに、辰巳の思いは強い。その思いを簡単に覆せるはずがない。

 それでも説得するのが、リクたちの役目だ。

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