Case.21 舞踊狂咲

Case.21 舞踊狂咲


 もっと精巧に。もっと美しく。本物よりもより精巧で美しく。

 舞い、踊り、狂い、咲き、飛び、倒れ、立ち、繋ぎ、離れ、動き、止まり。

 精巧であればあるほど、美しい。それはまるで動き出すかのような精巧さで。だからこそ、美しい。

 人間は美しくない。人間は生きて死ぬ形をしている。そんなもの、つまらないし、美しくない。

 だから、作る。理想的な美しさを持つ人間を。それこそが、私の命題。

 骨格を矯正する。もっと手足が長く見えるように。もっと手足がしなやかに伸びるように。

 筋肉を補正する。もっと自由に舞えるように。もっと力強く、繊細な動きができるように。

 内臓を更生する。もっと長く息が続くように。もっと身体が軽くなり、優雅に飛べるように。

 神経を改正する。もっと素早い動きができるように。もっと正確な技術が身につくように。

 人間よりも、人間らしく。だけど、人間のような醜さを捨て去って。ただ舞うためだけに生きている人間。

 あぁ、彼女たちの何と美しいことか。思わず嘆息するほど美しい。私は彼女たちを見つめ、一人涙する。これ以上の人間は、この世には存在しないと言い切れる。ただそこにいるだけで彼女たちは、人々を感動させることができるだろう。

 あとは実際に舞うだけだ。彼女たちが動き出すだけだ。

 だけど、彼女たちは動かない。

 人間よりも、人間らしい。だけど、ただそこに魂だけが入っていない。動き出すための魂だけが準備できない。

「だって、人間の魂を入れたって、醜くなるだけじゃない」

 どんな人間も醜い。骨格も筋肉も内臓も神経も人間ではないものから生成できる。だけど、魂だけはどの技術でも未だに生成ができていない。AIだって、所詮は人間の意識の集合体だ。人間の醜さを煮詰めたような魂を、彼女たちに入れる訳にはいかない。

 彼女たちは完璧だ。完璧故に汚れなく。汚れがないということは、魂が入っていないということだ。

 だから、動かない。どれほど人間らしくとも、動きはしない。それが芸術。動かないからこそ、美しい。それが私の彫刻。

 ――だと、思っていたのに。

「どうして」

 それなのに、動き出した芸術がある。動き出した彫刻がある。

 『穿つ』と題された、お世辞にも上手だとは言えない木彫りの熊。良く言えば新進気鋭、率直に言えば売れていない作家たちの展示会。

 『穿つ』が入り口の正面に飾られたのは、大きさ故だ。人間の身長の倍ほどある巨体は、良い客寄せになる。アイコンとしても認識しやすい。何より、『穿つ』を展示会場の中まで運び込むのは大変だ。木でできているとはいえ、大きいからその分重い。運ぶ距離を少しでも減らして、楽をしたい。金のない作家たちの展示会は、会場設営から運営まで全部自分たちで行う。

 私も『穿つ』を入り口に置くのは賛成だった。『穿つ』は良くも悪くも目を引く。

 それに、万が一。『仲間はずれ』の隣にでも置かれたら、堪ったもんじゃない。『穿つ』と『仲間はずれ』は対局だ。大きく荒々しい『穿つ』と小さく繊細な『仲間はずれ』。

 『穿つ』と『仲間はずれ』が隣に立っていたら、『仲間はずれ』は霞んでしまう。『穿つ』に存在感があるからではない。『仲間はずれ』は儚いのだ。濃口が売りのB級グルメの後に、薄口の和食を食べると味気がないのと同じ。『穿つ』の迫力の後には、『仲間はずれ』はぼやけてしまう。

 優劣ではない。ジャンルの違いだ。『穿つ』はインパクトで勝負する。第一印象を鑑賞者の脳裏に焼き付ける。一方、私の彫刻はインパクトで勝負するものではない。ショーケースの前で足を止め、じっくりと見ることで初めてその価値がわかる。

 『穿つ』は印象こそ強烈ではあるが、足を止めてじっくりと鑑賞するような作品ではない。観覧者は『穿つ』の迫力を恐れて、足早にその前を通り過ぎるだろう。『穿つ』の隣に他の展示があれば、隣の展示も一緒に素通りされてしまう。

 だからこそ、強烈な一撃を持ち、鑑賞者を足早にさせる『穿つ』は入り口に置かれるのが相応しい。

 『穿つ』を入り口に置き、展示会の情報を発信するSNSのアイコンにもした効果はそれなりにあった。『穿つ』はSNSで良く目立った。あまり売れなかった前売り券だったが、代わりに当日券がそれなりに売れるようになった。

 売れた当日券は、そのまま『穿つ』の評判を更に高めることになる。SNSを見て展示会に来たミーハーは、行った結果をSNSにアップする。そして、また他のミーハーが展示会に来て、SNSにアップする。小さくはあるが、確かなサイクルが始まった。

 嬉しい誤算だった。だが、その嬉しい誤算を最も喜んだのは、『穿つ』の作者である斉藤だ。SNSにアップされる情報には、必ずと言っていいほど『穿つ』の写真が一緒だった。

 客寄せパンダ。アイコン。『穿つ』は見事にその役割を果たした。展示会と言えば、『穿つ』のような方程式ができた。斉藤の元には、いくつか仕事のオファーが入ったようだ。

「それでも良かった」

 それでも、良かったのだ。『穿つ』が注目を浴びる。その注目のほんの少しでも、他の作品に降り注がれればいい。誰か一人でも『仲間はずれ』のショーケースの前で立ち止まってくれればいい。

 それで良かった。はずなのに。

 どうして。

「どうしてあんな熊ごときが――!」

 辰巳はジュンが置いていった木片にノミを突き立てる。衝撃で、アトリエに堆積した石の粉が舞い、辰巳の頭に降り注ぐ。

 『穿つ』が注目を浴びるのは、歓迎だ。展覧会が少しでも盛り上がってくれるのが、展示会に出品した全作家の願いだ。

 斉藤だけが結果を出すのも、悪くない。斉藤も長年、売れずに苦労してきた人だ。日の目を浴びて、仕事をもらって、三食カップ麺の生活を脱却できるのなら、辰巳も嬉しい。今は売れていない自分たちだって、いつかきっと売れるのだと希望が持てる。

 だけど、『穿つ』が動き出したのは、許せない。

 あんな荒削りの、あんな適当に作られた熊が、動き出すなんて有り得ない。

 骨格も筋肉も内臓も神経も。何もかもぐちゃぐちゃで、生命としてちぐはぐで、作品としても不完全。そんな『穿つ』に魂が籠もったことが辰巳には認められない。

 全てが不完全な『穿つ』に魂が籠もるのに、何故全てが完璧な『仲間はずれ』には魂が籠もらない。

 何が足りない。何を足せば良い。

 辰巳はインターネットで検索をかける。SNSに答えがあると思った。

 『穿つ』は『動いて人を襲いそう』とか、『怖い』といった評判がついていた。そして、実際その通りになり、斉藤を襲った。

 辰巳は『仲間はずれ』でも検索をかける。ヒットなし。検索エンジンを変えて検索する。ヒットなし。違うSNSを探してみる。ヒットなし。ヒットなし。ヒットなし。ヒットなし。

 そこで気がつく。

 『穿つ』と『仲間はずれ』の違い。それは、世間からの注目の度合い。『仲間はずれ』に比べ、『穿つ』は圧倒的に注目されている。

 それくらいしか、『穿つ』が『仲間はずれ』より優れている部分は見当たらない。

 辰巳は1日インターネットを徘徊した。目が霞み、焦点が合わなくなって、ようやく諦める。自分の作品は、誰の目にも止まっていない。みんな『仲間はずれ』の前を素通りしている。

 どうして。どうしてだ。

 あの展示会の中で一番の出来が良いのは、『仲間はずれ』だ。それは辰巳の思い込みではない。展示会に出品した全作家が言っていたし、素人目に見てもはっきりとわかる。

 それなのに、誰にも注目されていない。誰にも注目されていないから、『仲間はずれ』には魂が籠もらない。

 辰巳は展示時間が終わった展示会場に入る。『仲間はずれ』は静かに辰巳を待っていた。

「どうして」

 彼女たちに罪はない。辰巳は彼女たちを精巧に彫り上げた。完璧だ。人型が行き着く究極的な美しさを、彼女たちは持っている。

 ただ、彼女たちに宿る魂を、辰巳は用意することができない。

「どうして」

 辰巳の胸に渦巻くのは、疑問だ。

 どうして彼女たちは踊ることができないのだろう。

 どうして木彫りの熊は狼藉を働くことができたのだろう。

「どうして!」

 そして、辰巳は行き着く。私の中に渦巻いているこれは、疑問などという生やさしいものではない。

 これは怒りだ。憤怒だ。激高だ。

 『穿つ』が動くのに、『仲間はずれ』は動かない。作品としての出来がより優れているはずの『仲間はずれ』が動かないことに対する世界の不条理に対する怒りだ。

 こんなにも彼女たちは生きているのに、ただ石でできているというだけで、舞い踊ることはできない。あまりに理不尽。世界の理屈に納得がいかない。

 辰巳は世界の不条理と理不尽さに泣いた。泣いて泣いた。ショーケースに入れられたバレリーナたちは、制作者の辰巳を見て何を思ったのだろうか。辰巳が流す涙を見て、何を感じたのだろうか。

 そして、奇跡は起きる。

 カタリとした硬い音が辰巳の耳に届く。気のせいだと思ったそれは、何度も何度も、リズミカルに辰巳の鼓膜を叩く。

 顔を上げる。いつの間にか溢れ出ていた涙で、視界が濁る。濁った視界の中で、バレリーナたちがぼやけ、揺らぐ。

 辰巳は瞬きをする。涙が零れ、視界がまた違ったぼやけ方をする。バレリーナたちの揺らぎが変わる。

 辰巳は何度も何度も瞬きをする。瞳を覆う涙はもうない。それでも、バレリーナたちの揺らぎは止まらない。

 そして、中央に配置された一人だけの黒いバレリーナが大きく跳躍した。

「は、はははは」

 辰巳は笑う。見間違えではない。精神が錯乱した訳でもない。

 それでも、目の前のバレリーナたちは、確かに動いている。ギプスをつけたようにぎこちなかった動きは、時間が経過するごとに滑らかになっていく。

 ぜんまい仕掛けの人形のように正確に、だけど今まで押しとどめられた魂を表現するかのように情熱的に、バレリーナたちは舞い、踊り、狂い、咲き、飛び、倒れ、立ち、繋ぎ、離れ、動く。

「ははははは!」

 辰巳はショーケースの前で笑い続ける。目には再び涙が溢れている。

 これこそが、辰巳が目指した究極だ。完璧な骨格。完璧な筋肉。完璧な内臓。完璧な神経。そして、完璧な魂。

 究極的な美しい人型が、ここに完成した。そのことを誇りに思う。

 辰巳はショーケースを愛おしむように撫でる。いつまでもいつまでも飽きることなく踊り続けるバレリーナたちを、いつまでもいつまでも飽きることなく眺めていた。

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