Case.20 再度起動

Case.20 再度起動


 『穿つ』の件から数日後。

 今日のジュンの仕事は、街に飾られている彫刻のディストーションの解除だ。例の通り清掃業者『リペアート』を装い、彫刻のディストーションを解除していく。

 動物が踊っているところを切り取った彫像は、夜中に動き出すらしい。

「やっぱりブレイクダンスしてるんですかね」

 片手で逆立ちしている猫や大胆なポーズで空中に浮いている犬、頭を地面に付けて回っている最中の兎などなど各種の動物の銅像が自由に踊っている。

「ブレイクダンスというのかは知らんが、踊っているのは確かなようだ」

 銅像の前には広場があり、子供たちが遊んでいたり、大人が電話しながらせかせかと歩いていたりする。

 資料によると、夜には高校生や大学生がダンスの練習をしているらしい。何のダンスかは資料にはなかったが、この銅像たちのはっちゃけた感じからは、ブレイクダンスが想像される。

 子供たちは大音量で音楽をかけて練習……もっと乱暴に言えばたむろしているのは別の意味で問題がある。警察としては騒音苦情や深夜徘徊を取り締まるべきだが、今のジュンは改変対策課だ。銅像たちが動き出さないように、ディストーションを解除してやる。

 ディストーションの原因は銅像に描かれたマーク。誰かが銅像に落書きしているらしい。これもまた器物損壊で警察が対処すべき事案だ。

「いや、ディストーションの原因なら警察じゃなくて、改変対策課の仕事か?」

「口よりも手を動かせ」

 リクの指摘を受け、ジュンは黙って手を動かす。

 警察と改変対策課の棲み分けはどうなっているのか気になるところではあるが、そういう難しいことは課長の森田とかが上手にやっているのだろう。

「高架下とかに似たような落書きあるじゃないですか。あれはディストーションにならないんですか?」

 落書きが急に動き出すとかしないんだろうか。たくさんある落書きがみんな動き出したら、ちょっとしたパニックになりそうなものだが、落書きは現状放置されている。

「誰も注目しなければ、ディストーションになる可能性は低い。あの手の落書きなんて、東京だけでもたくさんある。その中の一つだけに注目が集まることは考えにくい。たくさんあることで注目を分散しているからこそ、ディストーションが起こりにくいと考えられる」

「注目が分散して、ディストーションが起こらない。そういうパターンもあるんですね」

「もはや景色の一部として認識されている部分もあるしな」

 人目についても、注目されない。最初のうちは描いても、消された。消されたから、また描いた。何度も繰り返すうちに、先に諦めたのは消す側だ。何度消しても、また描かれる。いたちごっこ。消すのにだって税金が掛かる。どうせ消してもまた描かれるのであれば、放置しておこう。

 放っておかれたままの落書き。注目されるどころか、景色の一部として誰の目にも止まらないものに成り下がってしまった。

 悲しい気もするが、擁護されるべきものではない。違法は違法。人に注目されたいのなら、もっと健全なことで注目を浴びるべきだ。

 この銅像の落書きを消すのは、落書きがディストーションのトリガーになるからだ。そういった理由がなければ、改変対策課も動けない。

「にしても、スプレー代だってタダじゃないでしょうに」

 ジュンならこの落書きに使うお金を焼き肉に使う。

「そういうものに発想が転換できないから、スプレーを買うんだろう」

 ずっと屈んでいると、腰が痛い。リクは腰を伸ばす。

「芸術と迷惑の違いもわからんやつの作品が、ディストーションになんてなるものか」

 単に注目を集めるため、だけではディストーションになりえないとリクは思っている。

「注目されたい。自分を見てほしい。それも結構。存分に芸術に励むがいい。だが、人に迷惑をかけて浴びる注目は、芸術ではない。犯罪だ」

 この銅像に描かれたマークもディストーションのトリガーではあるが、ディストーションそのものではない。マークが動き出す訳ではなく、銅像が動き出す。つまり、銅像のディストーションだ。

 作者が銅像で表現した生き生きとした動物の姿。そこにマークが施されたことによってディストーションが起きる。マークを入れた意味はリクにはわからない。注目を浴びたいからなのか、これが芸術だと思っているのか、それともこの銅像が気に食わないのか。

 いずれにせよ、これは芸術ではなく、犯罪だ。

「犯罪を取り締まるのは、警察の仕事だろう。かつての上司にでもお願いしておいてくれ」

「この銅像の管理者が警察に訴えれば、警察も動くでしょうけどねぇ」

 だが、リクのお願いはもっともだが、ジュンの管轄ではない。せいぜい管理者に『○○警察署の××課に相談されたらどうですか』とアドバイスをする程度だ。警察も万能ではなく、所有者本人の訴えがないと動けない。

「こんな感じでどうですかね」

「いいだろう」

 リクに確認をお願いする。ジュンが磨き上げたつるりとした表面に、リクは満足したようだ。

「御朱印のときといい、今回といい、何の仕事してるかわかりませんね」

「こういう地味な仕事が世界を救うんだよ」

「臭いセリフですね」

「お前のやっていることは報われない」

「急に辛辣ですね」

 辛辣な言葉を言われるよりは、臭いセリフの方が良かったかもしれない。

 汚れを取るための水を溜めていたバケツを片付ているところで、リクのスマホに着信が入る。リクは手袋を取り外し、スマホを操作する。

「はい、松原です。……はい、はい」

 リクの顔がだんだんと険しさを帯びる。真面目なリクが勤務時間内に電話を取ったのだから、仕事の話だろう。険しい表情も頷ける。

 リクがスマホを下げる。通話が終わった。

「例の展示会の件ですね」

 ジュンの言葉は、確信に近い。

「……どうしてそう思う」

「だってリクさん、通話中一度も俺の方を見なかったから」

 通話中一度もジュンの方を見なかった。例の展示会がらみではなく別の仕事であれば、リクはジュンを横目に、わざとらしく疲れた表情を浮かべながら通話していただろう。

 だが、今回はジュンの方を見なかった。通話中に表情が曇ることはあっても、わざとらしさはなかった。

 リクはリクなりに、ジュンに気を遣っている。ディストーションを発見できなかったことを気に病んでいるジュンが、それ以上気にかけないように。

 だから、通話中はジュンを見ないようにしていた。それは無意識かもしれないし、意識的にかもしれない。

「お前に見破られるだなんて、俺もまだまだだな」

「どちらかといえば、リクさんはわかりやすいと思いますけど」

 リクは行動こそ捻くれてはいるものの、その心は真っ直ぐだ。嫌味を言うのは、その真っ直ぐな心を表現するのが照れくさいからだと容易に想像がつく。だから、ジュンはどれだけリクに馬鹿と言われても、嫌な感情を抱かないのだと思う。

「教えてください、リクさん。仕事なんでしょ? 俺も行きます」

 リクは溜息を吐く。

 ジュンこそ真っ直ぐだとリクは思う。ジュンはジュンでリクに気を遣っている。プライベートとはいえ、鑑賞した作品のディストーションを発見できなかったことを悔やんでいるし、その挽回をしたいとも思っているし、もっと改変対策課の力になりたいと思っている。軽そうに見えて、根が真面目なのだ。

 だからこそ、これから向かわなければならない仕事について言うのが躊躇われる。

 だが、真正面から言葉を待つジュンを、リクははぐらかすことはできなかった。

「……展示会『毎日、一日、彫刻』でディストーションが発生した。発生した作品は先日ディストーションが確認された『穿つ』、ではない」

 ジュンは息を飲む。他にもディストーションが発現した作品が出てきてしまった。

 それはいったい――。

「『穿つ』じゃなかったら、いったいどの作品でディストーションが発現したんですか?」

「……」

「教えてください」

 ジュンは重ねて頼む。リクはもう一度溜息を吐く。溜息を吐いても、胸にわだかまる憂鬱は取れない。

 リクは溜息を吐くように、作品名を告げる。

「作品名は『仲間はずれ』。作者は辰巳葵」

「え……?」

 ジュンは固まる。辰巳が作った『仲間はずれ』。あの作品にディストーションが発生した。

 嘘だ、と思いたい。だが、リクこのタイミングで嘘を吐く人ではないし、先ほどの電話だって第二係か課長の森田からのものだろう。彼らだって、嘘は吐かない。

 だからこそ、本当に起こったのだと確信が持てる。辰巳が心を込めて作った『仲間はずれ』にディストーションが発現し、動き出した。

 リクはジュンの手からバケツを奪い、足早にポイントに向かう。ポイントから電話をかければ、例のピンクのドアが開く。

「行くぞ」

「はい」

 ジュンはリクに駆け寄る。

 リクは唇を噛む。『仲間はずれ』をこの目で見たのに、辰巳の近くにいたのに、この間だって話をしたのに、またしても気がつかなかった。

「言っておくが、お前の落ち度じゃないぞ。あの展示会場にある全ての作品は、一度第二係のチェックを受けている。第二係が見落としたものを、お前が発見できる訳がない」

 ジュンの自責の念を感じ取って、リクは先回りして言葉をかける。ジュンよりも、リクよりも、ディストーションを見抜く目を持っている第二係にも見抜けなかったディストーションの兆候だ。発見できなかったからと、ジュンが自分を責める必要はどこにもない。

「大丈夫ですよ。落ち込むにはまだ早いですから」

 だが、やはりジュンは自責の念に駆られる。辰巳にもっと作品について聞いておくべきだった。

「……落ち込むなら、全てが終わってからにしろ」

 落ち込むなと言っても落ち込むのなら、止めても無駄だ。リクはスマホで連絡を入れる。程なく例のドアが現れる。

 ジュンとリクはドアを潜り、次の現場に赴いた。

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